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□さよなら、のキスはしないで
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 宛もなく黒い車を夜明けに向かって走らせる。このまま海沿いを走行し続けたなら、海に映る朝陽はさぞかし美しいだろうと思う。こんな時だというのに、否寧ろこんな時だからと言うべきか、俺は端から見れば上機嫌ともとれるような表情で音楽を掛け、心地好い音を立てるエンジンをふかす。
 もう昨夜の事になるのか。長い付き合いだった奴と、その関係に終止符を打った。付かず離れずの、奇妙な関係だった。会社帰りに待ち合わせたり行きつけののバーに二人で寄ったりする事ももう無いのかと思えば、不思議な気すらする。あいつを失った俺は、果たして自分が悲しんでいるのかも解らなかった。ただ深夜の道路を走りながら、このまま空気に溶けてしまってもいいような、そんな気がしただけだ。その気持ちも空が明るみ始めた頃には、何処かへ飛んでしまっていた。色んな事が浮かんでは消えた気も、何も考えてはいなかったような気もする。
 あいつとはもう、会う事もないだろう。互いに携帯のメモリから、相手の存在を消した。まだ発着信履歴には残っているだろうが、それも一週間もすれば消えるだろう。仕事とプライベートで携帯を分けるような、そんな面倒な事はしていないのだ。
 車内に音を溢れさせていたアルバムの曲が切り替わる。一瞬の沈黙に、不意にひどい寂寥を感じた。さして間を置かず、何事も無かったかのように次の曲が始まる。今まで何の気なしに聴いていた曲が、恋を失う歌に聴こえた。そこで初めて、好きだったのだと気付いた。余りに拙い恋だったと、今更にして悟る。自嘲するように唇を歪める。全く、何て事だ。
 本心なんて、自分ですら知らなかったのだ。脳裏に最後の夜の、あいつの唇が浮かんだ。キスは止めておこうと、何もせずに部屋を出た。あの細い、背中がちらつく。





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THE BACK HORNの「冬のミルク」をイメージして書いたものですが、途中からまったく関係がなくなって只のオリジナルと化しました。


 

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