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□キャラメルマキアート
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「キャラメルマキアートひとつ。レギュラーサイズで。」
懐かしいドリンクの名前が澄んだ声で呼ばれる。
「かしこまりました」
カフェで働いているのだから、メニューの名前を呼ばれたくらいでいちいち反応するのもどうかと思うのだけれど。
あたしは未だ、彼女を忘れられずにいる。
カフェに入るたび、キャラメルマキアートを注文していた彼女を。
「ご注文は以上でよろしいですか?」
「はい」
顔を上げたあたしは、目の前の女性の顔をまじまじと見た。
「麻貴…?」
息を呑む。
色白の肌と力強い瞳、整った顔を縁取る茶金の巻き毛…。
何ひとつ、あのころから変わっていない。
「…透?」
女性…麻貴は窺うようにあたしを見て、疑わしそうに聞き返した。とっさに頷いて彼女を見る。
懐かしそうに笑うその表情が、何よりあたしには嬉しかった。
「久しぶり…だね」
赤い唇から零れ落ちた言葉は、少しだけぎこちない。それは、あたしたちが離れていた時間の長さを物語っていた。
「うん…」
夢でも見てるんじゃないかと思うくらいで、意識をふわふわと宙に舞わせていたあたしに後ろから声がかかる。
「白川さーん、知り合いー?」
それで我に帰った。
今は仕事中なんだった。
「すみません!キャラメルマキアートひとつです!!」



「…こんなところで働いてたのね」
店長の気遣いで休憩時間をずらしてもらい、麻貴の向かいに座る。店内を見回し、懐かしさにか、麻貴はうっすらと目を細めた。
高校の時から麻貴はこれがくせで、見惚れるほど艶やかなそのしぐさも変わっていない。むしろ尚更きれいになったんじゃないかと思う。
「うん。昔この店よく入ったなぁ…って通りかかったら、求人広告出てて。思わずね。」
半分ほど嘘をついて頷く。
あたしがこの店で働きたいと思っていたのは、もう随分と前…たぶん、高校2年の春くらいからだった。
麻貴とあたしが通っていた高校の最寄り駅に入っているこの店は、あたしたちのいちばんの寄り道スポットだった。
学校から歩いて5分のこの駅で別れるあたしたちは、3日に1度はここでお茶を飲んだり、話したりしていた。
あの日、麻貴が留学を決めたことを知るまで。
「麻貴…いつ帰ってきたの?」
高校3年の春、あたしがそろそろ真剣に進学先を考え始めたとき。麻貴はイギリスへの留学を決めていた。
日本を発つのは10月。
あたしが大学の推薦入試を受ける頃だった。
「1年ほど前かな。」
麻貴は肩を竦め、そう答える。
「そっか…」
あたしが平凡なキャンパスライフを楽しんでる間、麻貴は海の向こうで彼女のための勉強を続けていたんだろう。
彼女があの会社を継ぐための勉強を。
「透は?」
「あたし?あたしはフツーの大学出て、見ての通り今はフリーターだよ。」
麻貴のように大きな会社を継がなきゃいけない訳じゃないし、何かやりたいことがある訳でもない。今のあたしはただ毎日を適当に過ごしてるだけだった。
「そう?でもそのエプロン似合ってるし、透は楽しそうよ。」
麻貴はクスリと笑って、キャラメルマキアートを一口飲んだ。
「…あたしね、向こうに行ってから後悔ばっかりよ?」
「後悔?」
麻貴にはひどく似つかわしくない言葉だと思った。あたしの知っていた麻貴は、後悔なんてしないわ、なんて言葉を、堂々と言える女子高生だったのに。
それも、過信なんかじゃなく本当に。
「そう。」
けれど、麻貴は至極真面目な顔をして頷いた。
「いざイギリスに行ってみたら、日本でやり残してきたことがあることに気付いて。」
「…やり、残したこと?」
なんとなく、胸騒ぎがした。麻貴がやり残したなんて言うくらい重要なこと。それは何なんだろう。
「たくさんね。」
麻貴は自慢の茶金の髪を指先で少し引っ張って、それからあたしの目を真っ直ぐに見つめた。
「…透。」
その琥珀色の瞳に見惚れる。胸が高鳴る。
高校の頃からあたしが抱えていた感情。それがひどく生々しく蘇った。
「何…?」
麻貴が少しだけ体を近付けてきて、懐かしいコロンの香りを感じる。
「好きだった。ずっと…」
表情があまりに真剣で、吸い込まれるのかと思ってしまう。
かつてないほどに心臓が高鳴って、あぁ、腹くくるしかないんだな、なんてどうしてだか嬉しいより強く思った。
「麻貴…」
声が掠れる。
想ってたのはあたしだけじゃない、そんな事実が目の前にあることが嘘みたいだった。
「あたしも…」
高校の時からずっと、あたしの心の中でくすぶっていた想い。今まで蓋をして、鍵をかけて…見ないように、目を逸らし続けてきたもの。
麻貴が隣にいることに慣れてしまって、いつかばれるんじゃないかって。臆病なあたしには、それ以上踏み出すなんてことはできなかったんだ。
「…ちゃんと言わなきゃ嫌よ。」
そうやって艶やかに笑う麻貴は、ほんとに嬉しそうで。あたしは小さく笑った。
ああ、これは現実なんだ。
「麻貴…すき。」
あたしの言葉を聞いた麻貴は、キャラメルマキアートを一口飲むと、口を開いた。
「どっか、寄ってく?」
高校時代の麻貴がその笑顔に重なる。あの頃も、こうやってお互いに別れを先延ばしにしていたっけ。
「うん。シフトもう少しで終わるから、待ってて。」





──あたしたちの想い、
やっとひとつに重なったね。





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