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□遠イ場所ノ物語。
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「台風、くるらしいね。」
薄暗い部屋の中、ぼんやりと光を放っていた消音のままの画面を見て、九条は遠い世界の話でもするように呟いた。確かに窓から見える空は汚い灰色をしている。あの日自分達が出逢った街のように。
逃げ出してきた組織から追われていた。あの街で死ぬまで這いずり回って生きていく筈だった二人は出逢い、そして共に走り出した。
安全にのうのうと生きていられるこの場所へ、どのようにして辿り着いたか廣園は覚えていない。
ただ靄が掛かったような記憶の中で、九条と出逢った夜だけは鮮明に覚えていた。

ただ白と黒を混ぜただけの色ではなかった。
あの街は、汚濁と不条理と背徳とを、こね回したような色をしていた。
物心ついたときにはもう、組織のために生きることを教え込まれてきた。まずはじめに男の相手をすることを、次には組織の手足となって動くことを、そして最後に、人間を殺すことを。
だから、どうしてあの場所から逃げ出す気になったのか、廣園には判らなかった。
ただ走り続けて雨に打たれ、どうしようもなくなったとき…闇の中に、ぼんやりと浮かび上がる銀の髪を見た。
『逃げようか?』
土砂降りの中で火が点くわけもない煙草を銜えた少年は、旧知の仲ででもあるかのようにそう言って笑った。
思わず引き寄せられたのか、それともやけだったのか。廣園は差し出されたその手を、まるで操られたかのように掴んだ。

その瞬間から、廣園は九条と一緒に街を抜け出した。そうして、あの日からずっとここまで来た。
振り返ることなど何もなかった。後ろを省みたところで在るのは暗いトンネルの向こうのような日々だ。
生々しい痛みを持っていた世界は、いつしか廣園にとって遠い場所の物語となった。この狭いマンションの一室からさえ、廣園はほとんど出ることはない。
あの日からどれだけの月日が経ったのか、二人の少年はとうに青年と呼べる程に成長していた。
「寝ようか。」
カーペットの上という些か不似合いな場所に敷かれたシーツの上に白い上半身を晒した廣園は、既に微睡みかけていた。九条はあの夜手を差し伸べたのと同じ気安さで廣園の横に寝そべる。
うつ伏せで横たわっているために露わになったその貝殻骨を、九条は強く歯を立てて咬んだ。緩やかな睡魔に身を任せていた廣園は小さく声を漏らして覚醒する。
くっきりと紅い痕の残ったそこには、黒い印が刻まれていた。
かつて廣園がある組織の所有するモノであったという証が残るその場所を、九条はことあるごとに苛立ちに任せて咬む。廣園はもうその行為に慣れたのか、何も言おうとはしなかった。沈黙したまま、されるがままになっている。

やがて九条自身を体内に受け入れ、何度か波の頂点から落下することを繰り返した廣園は、そのまま眠りに就いた。
傍らに横たわる白い肢体を見つめた九条は、煙を吐きながら自嘲するように唇を歪めた。
廣園は知らない。けして知ることはないだろう。
あの夜九条が廣園に声を掛けたのは、気紛れなどではなかったこと。九条は、組織から逃げる身などではなかったこと。
全ては廣園が飼われていた組織から彼を攫うために仕組まれたことだった。
だから、九条があの場所に立っていたのも廣園に手を差し出したのも、元より計画されていたこと。
九条は廣園の組織とは敵対関係にあった組織に属していた。組織の長に気に入られていた廣園を手に入れるよう、命じられていたのだ。どんな手を使ってでも構わないと。
けれど九条は、廣園を連れて街を逃げ出すことを択んだ。厭な場所ではあったが、穢れた街は九条にとってけして居心地が悪くはなかった。いつしか頂上までのし上がるという自信もあった。
それでもここまで来てしまったのは、あの夜廣園の手を引いて走り出してしまったのは、どうしてだっただろうか。ただ、手放せないと思ってしまった。
随分と後になって、九条はやっと、嗚呼これがあの潰せなかった組織の長までもを虜にしたこいつの魅力なのだ
と気付かされた。
そのときにはもう、あの広かった街は遠く後ろになっていた。
二つの組織はまだ、自分達を追っているだろうか。九条は知らなかった。ただこの部屋にいる限りは廣園との小さな世界が保たれるのだと、それだけで良かった。
ため息をつき、九条は煙草を側に置かれた灰皿で揉み消し、目を閉じた。

沈黙したままのテレビはまだ、どこか離れた場所の空模様を映し出していた。





  

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珍しく一文目よりも情景の方が先に思い浮かんだ話でした。
脳裏に浮かんだのは嵐の前の曇り空と濡れそぼつ少年二人。
イメージカラーは灰色。
一気に書き上げてしまいましたが、書いていてとても楽しかったです。
またこの二人の話を書けたらいいなぁ…と思っていたり。
それから、気付いたのはウチのサイトは攻めの方が美人サンが多いなぁ…ってこと。笑
別に意識はしてなかったんですが、今回の九条といい『罪重ね〜』の綾といい、中性的で読めない人が書きやすいようです。
感想等bbsに書いて頂ければ励みになります。
 

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