『甲斐の虎の隠された、唯一無二の宝―――

果たして深遠なる依存は、若虎か卿か――どちらかな……?』



ある、夜風が涼しい秋の夜の事だった。
空には雲一つ無く、一面を数多の瞬く星々が覆い尽くしている。
甲斐武田――躑躅ヶ崎館では、今宵最大規模とも言える程の祝宴が催されていた。
今回の宴の主旨は、唯一つ。信玄から大将を任された幸村が、戦場において立派に務めを果たし無事に帰還したこと。その幸村の働きによる武田の勝利の宴だった。
「幸村様も立派になられて……!いや、実にめでたいですなぁ!しかし、まさかお館様が幸村様と一緒にご帰還されるとは、思いもよりませんでしたが」
「っ……!そ、それはっ……」
幸村は正座をしながら、思わず顔を薄紅色に染め隣に座る信玄を見た。
幸村からの視線を感じながらも、信玄はその男らしく凛々しい顔をふ……と破顔させる。
「……そうじゃな。あの場で思い立った行動、皆にはすまぬ事をした」
総大将でありながら自らも戦場に立っていた信玄は、敢えて幸村に大将の任を託し、少し離れた別の戦場にいる筈だった。
信玄率いる別働隊が早々と拠点を抑え勝利すると、信玄はゆっくりと立ち上がり……家臣にこう告げたのだ。

すまぬが……儂には行かねばならぬ場所がある。後の事は頼むぞ

何も言わずとも、家臣達には分かっていた。
信玄の向かった先が、どこであるかを――
そして今、信玄と幸村が一緒に甲斐に帰還する姿を目にし、全員が歓喜に湧いたのだった。
「お館様……有難うございまする……」
幸村から溢れた、小さな声。抑えられぬ想いと共に隣の信玄を見上げる。
すると、その顔がゆっくりとこちらを見下ろし……何も言わず、僅かに瞳を細め笑みを浮かべられた。
「っ……!」
心臓が、ドクリ!と跳ね上がるのが分かった。
同時に甦って来るのは、あの時目に焼き付いた信じられない光景。嬉しい≠ネんて感情を通り越して、何も考えられなくなる程の――
大将としての役目を見事果たし、いざ甲斐への帰路に立とうとした時。耳に入って来たのは、ずっと聞きたかった大好きな御方の声だったのだから。

良うやった……幸村

その声に振り向けば、そこにはいる筈のない……戦に出てからも片時も忘れず、毎日、毎日――お会いしたい、声を聞きたいと願っていた、その姿。

お館様ぁっ!!

涙が、勝手に溢れ出していた。
周りに兵達がいるのにも関わらず、胸元に駆け寄り思い切り抱き着いてしまっていた。
それからゆっくりと、強く逞しい両腕が背に廻され……暫く抱き締めてくれた幸せは、もう一生忘れる事はない。
「お館様ときたら、何も言わず出て行くんですよ。まあどこに向かったかなんて、言わずとも皆分かりましたがね」
 そういう家臣の言葉は、信玄を責めるものではない。しかし信玄は珍しく罰が悪そうな様子で着物の腕を組み、伏せた瞳を閉じた。
「今はこうして二人帰還したのだ……その話はもう良かろう」
珍しい信玄の横顔を見つめながら、幸村の心臓はドクドクと早鐘を鳴らしていた。
(お館様はあの時、最後まで某の事を見守っていて下さったのだ……あの様な遠くの地から、馳せ参じてまで――)
熱くなる胸。抑えられぬ想いに、瞳が潤み出す。
お館様の事が、好きで……好きで……お慕いする想いがはち切れてしまいそうで、胸が苦しい。
この想いに胸が押しつぶされ、今にも涙が溢れそうになる。
「今宵は無礼講じゃ。武田の勝利を祝って、たんと飲め」
 信玄の掛け声と共に、勝利の祝杯が掲げられた。
兵と兵が盃を交わし、飲めや謡えの武田らしい賑やかな祝宴が始まる。
初めて大将として立派に任を果たした幸村に、祝いの言葉を述べに来る者も多くいた。時々そんな家臣に礼を言いながらも、幸村は信玄の側を離れる事はなかった。
ずっとずっと……隣にいた。
想い人である信玄の側を、離れたくなかったのだ。
家臣達から言葉を掛けられる幸村を、信玄は隣で温かい気持ちで見守っていた。


「うう、もう飲めぬぅ……」
祝宴も、数刻が経っただろうか。
家臣達の殆どが酔い潰れ、床に無造作に寝転び始める。気が付けば、座っているのはそれ程酒を飲んでいなかった幸村と、信玄くらいになっていた。
「ふ……これくらいで、たわいのない」
幸せそうな顔で寝転ぶ家臣達を見ながら、信玄は何事も無いかの様にゆっくりと口元へ盃を運ぶ。信玄は元々酒に強い事もあり、酔うどころか顔色一つ変わってはいなかった。
言葉では揶揄しながらも、口調は家臣達への温かみがある。
盃を持つ腕を膝の上に降ろした時……信玄は着物の裾を軽く引っ張られるのを感じた。
ふと、隣を見ると――
「……幸村」
瞳を熱に潤ませた幸村が、こちらを見上げている。
無言であったが、全てを伝えるかの様な瞳。
言葉が出ない程に胸を熱くさせ、募りに募った想い。その瞳は抑えきれぬそれに潤み、ゆらゆらと揺れている。
――何も言わずとも、信玄は直ぐにその想いを感じ取った。
同時に胸の内に湧き上がる、狂おしい程の愛おしさ。
信玄は、ふ……と挑戦的に瞳を細め笑むと、着物を掴む幸村の手を半ば強引に握った。
「……ぁ……!」
「……行くぞ、幸村」
信玄に手を引かれ、誰一人気付かれぬまま……二人は宴の席から姿を消したのだった。

*  *  *

「っ、んっ……ん、ぅ、ふ、ぅっ……」
 ちゅっ、ちゅっ……ちゅくっ……
 皆が酒に酔い、寝静まった頃――信玄の居室に連れ込まれた幸村は、その場で直ぐにその逞しい腕に抱き締められた。
頭を掌で抑えられると、顔を傾け強引に唇を奪われる。襖を閉められた二人きりの部屋に、甘く激しい口付けの水音が響く。
「っん、ふぅっ……ん、んっ……ぅ」
 ちゅ、ちゅ、ちゅくっ……!
戦から甲斐の地へ帰って直ぐ祝宴があり……今の今まで、こうして二人きりになれる機会など無かった。
それ故、久し振りの口付けは酷く甘く……そして激しい。
唇を貪る様な口付けから、全てが伝わってくる。
この時を待ち望んでいたのは、信玄も同じだったのだ……と。
「んっ、んっ、んんっ……ふぅぅ……っ」
 ちゅく、ちゅっ、ちゅぅ……っ!
角度を変えて何度も深く唇を貪られ、卑猥な音を立てて吸い上げられる。
誘う様に薄く開かれた唇の隙間から、熱く柔らかい舌がぬるりと入り込んできた。
上顎をなぞられ、舌を絡め取られると、余りの快感に腰が砕けそうになってしまう。
(きもち、いい……おやかた、さまっ……おやかた、さま……ぁっ)
 信玄の口付けはいつも卓越していて、幸村は翻弄され快感に身を委ねてしまう。
それでもどうにかして、この気持ちを伝えたい……その一心で、ぎこちない動きで背に両腕を廻そうとした。
腰をしっかりと抱き留められているものの、余りの幸福感と快感に抗えず、立っているのがやっとの状態。
それを察した信玄はそのまま胡座をかいて床に座り、幸村を膝の上に跨る様に座らせた。
「んっ、んっ……ふ、ぅんっ……!ふぁっ、はぁっ、はぁっ……おやかた……さまぁっ……」
「どうした。その様に瞳を潤ませて……武田の将として活躍した姿とは、思えぬぞ?」
暫くしてやっと唇を解放されると、目の前で見惚れる程男らしく端正な顔が笑みを浮かべていた。
 とうとう、幸村の瞳からじわりと温かい涙が溢れ出す。それは快感によるものだけではない。嬉しさと……そして幸せも入り交じった涙。
「っ……お館様っ……もうしわけ……ございませぬっ……」
 信玄に、将としての自分を最後まで見守って貰えた事。何より、こうしてまた信玄の側にいられる事――
皆の前では必死に抑えていた涙が、とめどなく溢れて止まらなくなってしまう。
幸村がこうして全てを曝け出せるのは、いつでも信玄の腕の中だけだった。
間違った事をすれば諌めてもくれるが、今回は違う。
「あの様に分かりやすく誘いおって……会う事叶わぬ間、儂がどれだけ辛抱していたか……お主に分かるか」
「っ……!ふぁぁっ……!」
耳元に唇を寄せられ、低く色を持った声が鼓膜を打つ。愛しさと欲情を抑えた様な声色に、背筋を電撃の様な熱と快感が走り抜けるのを感じた。
腕の中でビクビク!と勝手に身体が反応してしまう。
「うれしい、ですっ……やっと……やっとお館様と、こうして……この時をずっと、ずっと……待ち侘びておりました……」
広くて男らしい背に、ゆっくりと両腕を廻す。
落ち着くまで背や髪を撫でてくれる、大きな掌。
嗚咽混じりに次から次へと大粒の涙が溢れ出してしまう。
「お館様が来てくれた時っ……どんなに、嬉しかったかっ……お館様は、いつでも幸村の事を見守っていてくれるのですね。どんな時も……」
「ふ……まるで分かっていた様な口ぶりじゃのう」
「いえ……ただ、離れていても……いつもどこかでお館様が見守っていてくれる……そんな気がしておりました」
幸村が嬉しそうに微笑むと、溢れた涙が目尻を伝ってゆく。
それから自分の胸に静かに掌を当てると、感じ入る様に瞳を伏せた。
「どこにいても、この心はいつもお館様のお側に……戦に勝って、お館様の元へ帰るのだ≠ニ。ずっとそう願い続けて来ました。お館様の事を想えば、幸村はどこまでも強くなれる気がするのです……」
幸村はゆっくりと信玄を見上げた。見上げる瞳には、一点の曇りも無い。
「儂とて……同じだ」
「え……?」
 まるで独り言の様に呟かれる声。幸村にじっと見つめられ、信玄は自嘲するかの様に小さく笑んだ。
「此度は一切関与せずいるつもりが……気が付けば、お主の元へ足が向いておった。お主を信じておらぬ訳ではない。ただ、一刻も早く会いたいと……この心が、そう望んでおったのだ」
「っ……!」
幸村の瞳が、信じられぬ嬉しさに見開かれてゆく。
思わず、ぎゅ……と信玄の背に抱き着いた。
「お館様の帰る理由に、なれるなんて……幸村にはとても勿体無きお言葉にございます……でも……うれ、しいっ……」
涙と共に溢れ出して抑えられなくなる、包み隠さぬ幸村の想い。
出会った時から始まったそれは恋慕となり……いつしか幸村が戦場より帰る糧となり、強さとなった。
それは幸村だけではなく、信玄も同じだったのだ。
「帰る理由……か。……その通りやも知れぬ」
信玄は見上げてくる愛しい頬を包むと、涙を親指で拭った。
 この身が朽ち果てるまで……幸村と、甲斐の国を守ってゆきたい。
信玄の胸には、常にその想いがあった。
それ以上の糧など、無かったのだ。
「おやかた……さま……あ、あ……のっ……」
信玄にずっと見つめられていると、幸村の頬は紅潮し、瞳が熱に潤み出してきた。
幸村の反応は素直で、実に――分かりやすい。
「ふ……我慢出来ぬか、幸村」
「んんっ……!ん、ぅ……ふ、ぅっ」
幸村の望み通り、信玄は再び強引に唇を奪った。
激しい口付けに翻弄されている間に、身体を抱かれたまま褥の上に優しく押し倒されてしまう。
「ふ、ぁ……はぁ……っ……おやかた……さまぁっ……」
「こうして、お主の身体をこの腕に抱くのも……床に沈んだお主の顔を見るのも、久し振りじゃな」
「っ!ぁ……ふ、ぁ……はぁっ……」
すぐに身体の横に手を着かれ、覆い被さる様にして見下ろされてしまう。
その姿は、以前と変わらず男前で……その瞳に見つめられているだけで、身体がじわりと熱く火照ってしまう。
見上げる瞳は歓喜と期待で、勝手に潤み出す。

早く……早く、この身の内で、お館様を感じたい。
めちゃくちゃに、抱いて欲しい……
この心も身体も、正直にそう叫んでいる。
愛しいこの御方に心も身体も全て征服され、犯されるのを待ち望んでしまう――

「いやと言う程抱いてやる……その様に煽った事を、後悔する程にな」
「後悔なんてっ……こうしてお館様が抱いて下さる日を……幸村はずっと、夢見てっ……」
幸村は頬を包む信玄の手に自分の手を重ね、頬ずりをすると……真っ直ぐに想いを伝えた。
「今宵は朝までお側にっ……どうか幸村の事を……お館様の好きな様に抱いて欲しいのです……お館様をずっと感じていたい……」
「……幸村……っ……」
 抑えていた欲情が、信玄の中で弾けた。
 余りに素直で、真っ直ぐに伝えてくる唇を、愛しさの余りすぐに奪う。


――会う事叶わなかった長い期間を埋める様に、二人は互いを求め合った。
長い夜が明けるまで……ただひたすらに。




続く

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