人の強い想い――特に恋慕は、ある時信じられない奇跡を生み出すものだ。
 ここ甲斐の地にも、幼い頃より主に強い恋慕を抱く者がいた。

これは七夕の日――行き過ぎた、夏の奇跡の話である。



『やきもちと奇跡の夜』



 いつから、この心がお館様を恋慕う様になったのか……それを答えるなら、きっと出会った時から≠セろう。
 憧れや尊敬も、勿論ある。けれど、それだけでは無かった。
 お館様はいつも某を、家臣の誰よりも身近に置いて下さる。それに戦ではいつも、敢えて重要な役割を与えて下さった。
 お館様が、某に抱え切れない程の愛情と信頼を注いで下さるのを……感じていた。
 それだけではない。民や兵達にも心広くお優しい、在るべき国主としての数々の一面を、お側でずっと見てきた。
 そんなお館様と一緒に過ごしていれば、この想い抑えられる筈が無かったのだ。

『お館様っ……ずっとずっと……お慕いしておりましたっ……』

 ある日、とうとうお館様に募る想いを伝えてしまった。主に何て事をしてしまったのだと思う。
 しかしお館様はゆっくりと背を抱き締め、髪を撫でて下さったのだ。

『……そうか。儂も……お主を愛おしく想うておる』

 上からそんな静かな言葉が降ってきた時、どれだけ信じられず嬉しかった事か。何度も何度も、夢では無いのだと自分に言い聞かせた。
 それからお館様は、某を褥にも呼んで下さる様になった。夜、周囲に気付かれない様にお部屋に行くのは……とても緊張した。未だに心臓なんて、ドクドクと早鐘を鳴らしている。

 その晩も、某は緊張してお館様のお部屋へ足を向けていた。
 ――七夕行事前日の、夏の事だった。

   *   *   *

「んっ……ん、ふ……ぅっ……」
 ちゅく、ちゅ、ちゅっ……
 褥に連れて行かれると、お館様はいつも慣れない某を優しく抱いて、口付けてくれる。次第に激しさを増してゆく愛撫や抽送が愛しくて、いつも甘い喘ぎを上げる事しか出来ない。
 あの、ずっと恋慕って来たお館様の腕が……某の身体を抱いて下さっている。
 褥で某の名を呼び……某だけを見てくださっている。それがまだ信じられなくて、待ち望んでいた夢の一晩は一瞬で終わってしまうのだ。


(お館様……)
 長く激しい情事の後、空が白白となり始める頃。
 某はお館様を起こさない様に、ひっそりと寝顔を見つめるのが好きだった。こうすれば、少しでも長く夢の夜が続くから。
(お館様は、何故……某をこれ程までに、寵愛してくださるのだろう……)
 それはずっと前からの、密かな疑問だった。隣で精悍な寝顔を見ていれば見ている程、その疑問は深まってゆくばかりなのだ。お館様程の御方が、何故某の気持ちを受け入れ、こうして寵愛して下さるのか――
 小姓だって、女子だって……お館様がお声を掛ければ、他に誰だっている筈なのに。
(っ……お館様ぁっ……)
 贅沢だと言うのに、そう考えただけで寂しくて涙が出そうになってしまう。けれど立場上、お館様に真実を聞く事なんて出来ないのだ。
 一度思い切って聞いてしまおうと思ったのだが、お部屋に呼ばれた日は、お館様はすぐにこの身を抱いて下さる。
 お館様はとても床上手だから、そんな事など聞く間も無く、あっという間に何度も昇り詰めさせられてしまうのだ。
 そして、今この時の様に――毎回それの繰り返しだった。
(お館様は幸村の事を、どの様に思っておられるのですか……お館様をお慕いする大勢の中の、一人なのでしょうかっ……)
 お館様に限って、まさか都合の良い性処理の道具だとか、身体目当て――などではないだろう。
(いや……もしそうでも、某は嬉しゅうございますが……しかしっ……)
 寧ろお館様になら、この身体を好きな様に使って欲しいとさえ思ってしまう。呆れる程、この想いは末期症状なのだ。
(お館様のお気持ちが、知りたい……某の事を、どう思ってらっしゃるのかっ……)
 未熟な某は、いつも床上手なお館様に可愛がって頂くばかりだ。静かに眠る横顔を、想いを込めて見上げる。
(でもどうすれば良いのだっ……本人にでもならなければ、その様な事分からぬではないかっ……)
 逞しい胸元に頬を擦り寄せ、ゆっくりと瞳を閉じる。そのまま、夢の中に意識が沈んでいった。
 
 この時――某はまだ、知らなかったのだ。
 某が考えたそんな突拍子も無い願いが、叶ってしまう事を。

   *   *   *

「幸村……起きよ。大事が起きておるぞ……」
「んっ……」
 自分を呼ぶ、お館様の声……の筈なのに、それは別の良く聞き覚えのある声だった。お館様の声にしては高く、渋さも無い。いつも通りの朝の筈なのに、何かがおかしかった。
「お館様……」
 自分の発する声は耳に心地良く、低い渋みがあった。そうだ、これこそお館様の声だ。
(ん…………?お館、様…………?)
 微睡みの中ゆっくりと瞳を開けても、声の主の姿はどこにも見当たらない。
 代わりに目の前にいたのは、両手を組み、何やら難しい顔をした、某――真田幸村≠フ姿だったのだ。
「……っ!?な、ななな……!!何故某がっ!!お主っ……さ、佐助かっ!?」
 動揺して半身を起こすと、目の前の某は両手を組んだまま、静かに溜息をついた。
「……そう思うのも、無理は無い。しかし……残念ながら儂は佐助では無い。見た目や声はお主だが、中身は儂だ……武田信玄だ」
「な……?な、なに……を……」
「見た方が早かろう。今一度心を落ち着かせ、鏡を見てみよ」
 そう言って手鏡を渡されると、そこには――
「お……お……お館、様……!!」
 鏡を覗いているのは自分の筈なのに……そこには紛れも無く、渋く精悍なお館様の姿が映っていたのだった。
 それ以上言葉も出ず、手鏡を手から滑り落としてしまう。
「信じたくは無い事態だが……どうやら儂とお主は入れ替わってしまった様じゃな」
 腕を組んだまま、どこか冷静な某――もといお館様を他所に、某はもう考えるのを止めてしまっていたのだった。
「な、な……そんなっ……」
「お主、何か思い当たる事は無いか。今日が七夕である事は、まさか関係あるまいな」
「…………!」
 その言葉で、すぐに思い当たってしまった。昨晩……心の中で願ってしまった事を。

お館様のお気持ちが知りたい……しかし本人にでもならなければ、その様な事分からぬではないかっ……

そうだ……今日は天の川に皆が願いを届ける、七夕なのだ。それにしても、そんな突拍子も無い願いが叶ってしまうなんて。




つづく

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