プロローグ


 BASARA学園二年生――真田幸村、十七歳。
 大きな瞳に人懐こい笑顔。柔らかく長い茶色の髪を、いつも後ろで一つに束ねていた。
 性格は一途で女子にしては熱く、学園でも真面目な方だ。そして何よりも優しい心を持つ、普通の女子高生だった。
 誰にだって一つや二つ、誰にも言えぬ秘密がある。この真田幸村には、それが周囲より少しばかり大きいだけだった。

 幸村は普通の女子高生であると同時に、既に婚約していた。
 それだけならまだしも――旦那様は同じ学園の教師で、幸村の保護者≠セったのだ。



『真田幸村十七歳、秘密の幼妻』



 幸村が十七歳の女子高生であると同時に、幼妻になった訳――それを辿ると、一年前まで遡る事になる。
 桜舞う、BASARA学園入学式。
 それは幸村にとって、今か今かと待ち侘びていたその日であった。それも皆――この学園で、ずっと慕い続けていたある男の生徒になれるからだ。
(二組……二組っ……!どうか……!)
 心の中で深く願いながら、組割り発表の掲示板の名前をたどってゆく。
(……!あった……!)
 一年二組の欄で真田幸村≠フ文字が目に入った。すぐに確かめる様に上に目線を向ければ……担当教喩:武田信玄≠フ文字。
「っ……!」
 幸村の瞳から、ぶわ……と涙が溢れ出す。それは驚きと嬉しさから溢れた涙だった。周りに気付かれない様に、すぐにセーラー服の袖で拭う。
「真田じゃないか、久し振りだな」
「孫市殿!」
 幸村の横に、茶髪で凛とした姉御肌の女性が歩いて来た。女子高生に見えない程大人びたこの女性の名は、雑賀孫市。孫市は幸村の親友で、中学も同じだった。そして幸村のとある家庭事情も知る、数少ない理解者でもあった。
「孫市殿、同じクラスでござる!良かった……!」
「ふふ、そうだな。それに……担任の名前を見たか、幸村」
 孫市は大人びた笑顔を見せると、掲示板の一番上に視線を誘導させた。
「はい……」
 視線の先――信玄の名を見て、幸村は薄紅色に頬を染め俯く。
「何の因果か、担任が保護者代わりとはな。学校でも家でも一緒とは、不思議な気分ではないのか」
「っ……そ、それはっ……」
――そう、担任になった武田信玄は、幸村の言わば保護者代わりの人物だった。
 中学に入る頃両親を事故で失った幸村は、父親昌幸の親友である信玄に引き取られた。
 幼き頃より幸村を知っていた信玄は、身寄りの無い幸村の保護者を自ら買って出たのだ。それ以来信玄は幸村の教育費、生活費全て負担し、一つ屋根の下で暮らしている。血は繋がっていなくとも、二人は家族になったのだ。
「お前の家庭事情は、周囲に漏らさぬと約束しよう。わざわざ言う事でも無い」
「孫市殿……」
 義理堅い友人に感謝しながら、二人は二組の教室へ向かった。指定された席に着くと、周囲の生徒と話しながら担当教喩を待つ。生徒達にとって期待と不安で胸がいっぱいになる時間だ。幸村の頭の中は教師としての信玄に会える≠サの楽しみでいっぱいだったけれど。
 ガラリ。
「……!」
 やがて教室の入口が開けられ、良く見慣れた顔が入ってくる。スーツに身を包み、高い背にがっしりとした体格。渋く精悍な顔立ちの教師――武田信玄だった。
(お館様っ……!)
 信玄は渋く威厳のある風格から、親しみを込めそう呼ばれていた。幼い頃父昌幸に教えて貰ってから、幸村もずっとそう呼んでいる。
 信玄は黒板にチョークで自分の名を書くと、生徒に向き直った。
「今日から二組の担任を勤める、武田信玄だ。宜しく頼むぞ」
 クラスの中が、少しざわつく。周りの女子達のヒソヒソ話が、つい耳に入ってしまった。
「ねぇ、武田先生だって!渋いね……」
「スーツ似合ってる……かっこいい……」
 明らかに好印象を持っている女子達を見て、幸村は少し複雑な気分になってしまう。
(う……やはり学校でも、お館様は……)
 普段一緒に買い物など外出する時も、街中で女性の視線がお館様に向けられるのを感じていた。学校ではどうなのだろうと思っていたが、やはり同じだった。
 しかし……それも仕方無いとは思う。それくらいにお館様は、男らしく素敵な大人の男性なのだから。
 切れ長の瞳に高く通った鼻筋。がっしりとした身体つき。低く耳に心地好い声。それに……何よりも、御心が広く温かいのだ。
 幸村は、年の離れた保護者――今は教師でもある信玄に、ずっと前から恋心を抱いていた。
 信玄に引き取られてから中学三年間、同じ屋根の下で暮らした。幼くして両親を失った幸村に、信玄は優しく、時には厳しく接してくれた。新しい家族になり、真の愛情を注いでくれたのだ。信玄が見守ってくれたから、幸村はやさぐれる事もなく、心優しい女子高生に成長した。
 そして、そんな信玄と暮らす三年間は――幸村が恋に堕ちるのには、十分過ぎる時間だった。
(お館様はきっと、家族としか思ってない……けれど幸村はずっと前から、お館様の事をっ……)
 いくら恋慕っていても、中学生の間は告白する勇気などなかった。せめて婚姻が出来る十六歳になって、お館様の学園に入学出来たら……その時は、気持ちを伝えようと。ずっと、そう心に決めて来たのだ。
(お館様に、どう思われようと……幸村の決意は変わりませぬっ……!)
 熱い想いを込めて信玄を見つめていると、その切れ長の瞳がこちらへ向けられた。そして微かに、ふ……と口元が和らいだのだ。
「っ…………!」
 幸村の顔が熱く火照り出す。いつも家では顔を合わせているのに……学校で教師姿の信玄を見るのは、初めてだったから。周りの女子が言う様に、本当にスーツ姿が良く似合っていた。
(今……此方を、見た……お館様っ……)
 大きな瞳が、とろんと蕩け出す。
 家では一緒だけれど、いつも朝になれば仕事と学校でバラバラになってしまう。
 でもこの学園に入れば日中も一緒なのだ。何より教師としてのお館様が見られる――それをどれだけ待ちわびた事だろうか。
(今日こそっ……お館様にこの気持ち、お伝えする……!)
 早く放課後になれ――幸村は緊張に胸を高鳴らせながら、教壇の信玄を熱く見つめていた。

    *   *   *

 そして、待ちに待った放課後――幸村は真っ先に信玄にメールを送っておいた。
『職員室に面した校庭のベンチで、待っております。一緒に帰りましょう、お館様』
 それは自分の我侭で、初日だから何かとお忙しいかもしれない。けれどいつまででも、待つつもりだった。ベンチに座った頃、意外とすぐに返信が来る。
『少し遅くなるが、早めに切り上げて行く』
 その返信を見た瞬間、思わず笑みが零れた。信玄と一緒に帰れるなら、待ち時間なんて全然苦にならない。
 それから小一時間程経ち、綺麗な夕日が校庭を照らし始める頃――後ろから静かな声が聞こえた。
「幸村、待たせたな」
 振り向くと、鞄を手に下げ帰り支度をした信玄が立っていたのだった。
「お館様……!」
 幸村の顔が一気にぱぁっと明るくなる。思わず抱き着いてしまいたくなる衝動を、必死に抑えた。ベンチから立ち鞄を両手に持つと、俯いて頬を染める。
「初日なのだ、疲れただろう。先に帰って休めば良いものを」
「良いのです……それよりも、お館様と一緒に帰りたいのです」
 頬を赤らめながら、嬉しそうな顔で信玄を見上げる。幸村は感情がすぐに顔に出てしまう方だった。
 信玄は、暫く無言で幸村を見つめ……ふ、と愛しげに瞳を細めて笑んだ。
「その呼び名も、家だけにした方が良いだろう。儂がお主の保護者で、共に住んでおる事……余り知られぬ方が良い」
「あ……」
 確かに……今日の女子の様子から考えると、すぐに噂が広まり大事になりかねない。そして羨ましがられたり、何かと質問攻めされるかもしれない。
「で、ではっ……どの様にお呼びすればっ……」
「周りの生徒と同じ様に呼べば、不自然ではなかろう」
「ではっ……た、たけだ……武田……先生っ……」
 いつもと違う呼び方が何だか恥ずかしくて、顔が真っ赤に染まってしまう。そんな幸村を見て、信玄はふ……と笑んだ。
「やはりむず痒いな……だが、それで良い。全てお主の為だ。それとこうして共に帰るのも、程々にした方が良いやも知れぬ」
「……!そんなっ……しかし同じ家に住んでいるし、そのっ……幸村は、なるべく一緒に帰りとうございまする……駄目、でしょうか……?」
 寂しそうな瞳で見上げてくる幸村に、信玄の心はぐらり、と簡単に揺らいでしまった。
「……共に帰るなとは、言っておらぬ。そうだな……外で待ち合わせれば、気付かれず済むだろう」
「……!はいっ……!」
 幸村の顔が、また一気に明るくなった。
 信玄はいつも何だかんだ言っても幸村に甘く、優しかった。幸村が寂しそうな表情を見せれば、すぐに言葉や行動で笑顔になる様にしてくれた。そして幸村の笑顔には、一番弱かったのだった。
 高校教師という職業柄、時間が空けばいつでも勉強を教えてくれた。休みの日には、幸村の好きそうな所に連れて行ってくれたりもした。
 高校へ行ったらアルバイトをして少しでも返そうとした幸村だったが、学生の本分は勉学だから気を遣うなと釘を刺されたのだ。だからその分幸村は、料理と家事の方を積極的にする様にしている。
「今日の夕飯は、お館様の好きなものを作りまするっ。何が良いですか……?」
「初日で疲れておるだろう、無理をするな。今晩は弁当でも買って帰れば良い」
 そんな日常会話をしながら、家への帰路を並んで歩いてゆく。信玄の家は、学園からバスで二十分くらいの閑靖な住宅街にあった。バスを降りて二人分の弁当を買い、家に向かう。
 ――傍から見れば、普通の女子高生と、その保護者代わり。
 表面上は、時々いる少し事情のある家族=B
 けれど幸村の気持ちは、とっくにそれ以上だった。
 信玄への恋心は日を増す毎に募ってゆき……今ではこうして隣にいるだけで、胸が苦しくなるくらいなのだから。
「学園初日はどうであった。ふ……しかし、何の因果か儂のクラスとはな。驚いたぞ」
「はいっ。幸村も、驚きました。嬉しかった……これで学校でも、お館様とずっと一緒にございまするっ……」
 幸村は隣に歩く信玄の腕を、両腕でぎゅっと抱き締めた。薄いセーラー服の上から、胸の谷間に信玄の腕が挟み込まれる。
 むにゅっ。
「……幸村」
 流石の信玄も、幸村の積極的な行動には目を見張る。高い背から斜め下の幸村を見遣ると、此方を見上げる瞳は熱に潤み、頬は薄紅色に染まっていた。信玄の角度から見ると、セーラー服から白く豊満な胸元が顔を覗かせている。
「お館様っ、嬉しいです……やっとお館様のいる学園に入れた……そればかりか、お館様のクラスにっ……幸村には運命としか思えませぬっ」
 ぎゅ……むにゅっ。
 胸が当たっていると言いたかったが、信玄には可愛い幸村を振り解く事など出来ないのだ。ただ目のやり場に困り、少し視線を外した。
「これからは、朝も昼も、夜も……ずっとお館様と一緒にございまするっ。うれしい……嬉しい、です……」
「…………」
 実はこの行動も、幸村の計算であった。
(お館様への気持ちが伝わる様、もっともっと積極的になると決めたのだっ!この女子として成長した身体も、分かって貰える様に……)
 幸村の胸は、女子高生にしてはかなり大きい方だった。程良く細い腰に形の良い尻と、スタイルは申し分無い。幼き頃からの信玄への恋心故なのか、遺伝なのかは分からないが。 
 信玄も幸村の身体の変化は感じていた。日に日に子供から、女らしい身体へと変化して来ている事。勿論意識して見ている訳では無いのだが、一緒に暮らしていれば否が応でも目に入ってしまうものだ。
 容姿も出会った時から比べると女らしくなり……中でも笑顔は、他に比べるものなど無い程愛らしい。
 幸村は古風な口調であるし、その点は一般の女子と違うかもしれない。だが学園に入れば、きっと男子に人気がある方だろう。信玄はそう確信していた。
 学園で生活していく内、いずれは好いた男子も出来るかも知れない。それを心のどこかで、寂しく思っていた。
「いつも一緒……か。お主は儂と常に一緒で嬉しいのか。家で共におるのだ、学校くらいは別のところへ行っても良かったのだぞ」
「お館様のいない学園に行くなど、幸村には考えられませぬ。ずっと……ずっと夢だったのですから」
 幸村は瞳を伏せ、頬を薄紅色に染めながら、すり……と腕に寄せた。
「そればかりか、お館様が担任の先生にっ……お館様の教師姿……そのっ……想像以上に素敵でございました……」
「……」
 暫しの間、二人の間に沈黙が訪れる。俯く幸村を、信玄は複雑な想いで見つめていた。
 幸村がどうしてここまで自分を慕ってくれるのか……分からない。けれどその感情は家族愛の延長の様なものだろう。そう思う事で自分の感情に蓋をして、分からないフリをしていたのかも知れない。
「……着いたぞ、幸村。今日は疲れただろう、先にシャワーでも浴びたらどうだ」
 信玄は玄関のノブを廻した。最後まで、幸村の腕を振り解く事は出来ずに。
「は……はい……」
 幸村が少しがっかりしながら、言われた通り風呂場へと向かうのだった。





本文へつづく

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