最低な、男

□マドンナイズム
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無自覚がこれほどまでに罪深いものとは知らなかった。

俺が獄寺への恋心を自覚してから、10年。10年だ。
長くて、途方も無い時間。

まさか俺が、こんなに執着心のある男だとは思わなかった。


中学の時に始まったこの恋は、時を経るごとに愛に変わり、その時にはもう、この呪縛から抜け出せなくなっていた。

俺が正気を保っていられたのは、獄寺がこの10年間、他の男のかげを全く見せなかったからに過ぎない。


常に10代目への忠誠ひとすじで、周りのことなど目にもかけない。
自分の道は主だけ。

獄寺のそんな頑なさが俺を救っていた。


もし獄寺に男ができていたら…俺は何をしだしたかわからなかっただろう。



盲目的な獄寺への想いは、ある意味 宗教にも似ている。






マドンナイズム







「やり直し」

冷静な声とともにズバッと書類を突き付けられた。

ものの1分も読まないうちに書類を押し返される。その切り口のなんたる鮮やかなことか。

「え〜ダメかぁ?」

「駄目に決まってんだろ。なんだこれは」

報告書は作文じゃないんだと言う獄寺は静かで、氷の華のように美しい。
短気で熱しやすかった獄寺はこの10年間ですっかりなりを潜めていた。

綺麗でしなやかで、格好良いくらいデキる女。
何から何まで用意周到で、そのくせ自分の美貌に無頓着。

獄寺の何気ない仕草にどれほどの熱い視線が向けられているか、知っているのだろうか。

大勢の男がその華奢な腰に手を回したいと、虎視眈々と隙を狙っていることに、獄寺はちっとも気付かない。

獄寺は知らないだろうが、俺が、――例えば影でライバルを蹴落とすなんてこと、しょっちゅうだ。


無自覚で無頓着で無防備で。



そんな獄寺が愛しくて。でも同時に、決して報われることのない自分の恋心が、切なかった。







「獄寺くんは別にオヒメサマなんかじゃないと思うけどなぁ……」

執務室でツナと2人、しなければならない報告も終え、他愛ない話をしていた時のこと。
何の話だったか、ふと思い出したようにツナがそんなことを言った。


山本は獄寺くんをちゃんと見てないんじゃないかなあ、と。


「――や、それはねぇよ。なんてったって俺、アイツのこと10年間も見てきてるんだぜ?」

「………よく考えたら10年間片思いって、一歩間違えたらストーカーだよね」

「ハハッ、きっついなー!」

カラカラと笑い飛ばす俺に、ツナはそうじゃなくて、と続ける。

「恋は盲目っていうか、相手に夢を見てるというか……獄寺くんだって、普通の女の人なんだよ?」

「?どういう意味だ?」

「だからね、山本が思ってるほど獄寺くんは、無知な女の子でも美麗で淡白な女王様でもないってこと」

「はあ?」

なぞかけか?と俺が尋ねてもツナは曖昧に笑ったまま。答えを教える気はないらしい。

ツナの言うことは時折難解で、俺には難しいすぎる。







「――オイ、聞いてんのか?」


獄寺の不機嫌そうな声に、俺は慌てて意識を戻した。

獄寺が怪訝な顔で俺を見つめる。向けられた翡翠の瞳にドキリと胸が高鳴った。

「わ、わりぃ。少しボーっとしてた」

「ふん、ボケッとしてるのはいつもだろ」

「ヒデーのな」

苦笑する俺に相手にならないとツンと顔を背けた。そのとたんに感じるふとした違和感。
なんだろう。そう思ってよくよく見れば、獄寺を見続けてきた俺にはすぐわかった。
癖のない銀髪が艶やかに流れる中、右の毛先が跳ねている。


――寝癖…かな?


意外だった。欠点の見当たらない完璧な格好に、ぴょんと跳ねた髪が可愛らしい。

知らず知らずニヤニヤしていた俺を獄寺は怪訝そうに睨んだ。

「……なんだよ」

いつものことながら獄寺の態度は冷たい。
麻痺してしまった心の痛みを誤魔化しながら、俺は指差した。

「髪、跳ねてる。右肩んとこ」

「〜〜〜ッ、な…!」

俺がそう言うとパッと手を出して慌てて髪を押さえた。過敏な反応に俺は目が丸くなる。

悔しそうに俺をキッと睨む獄寺の瞳が、何故か潤んでいることに俺は驚く。

「…ごっ、ごくで…」

「お前のせいだぞっ」

突然声を荒げられて俺はキョトンと首をかしげた。

「……へ?」

「寝癖!直んないから今日は諦めてたのに、なのにお前が来るっていうから慌てて直してたのにっ、」

来るの早いんだよ!

ってキレるように言う獄寺に俺はポカンと口を開けた。



……っていうか…、

っていうかそれって……



「……獄寺?」

俺が名前を呼ぶと、我に返ったのだろう。自分が何を言ったか気付いた獄寺はかああと顔を赤くした。
雪のように白い肌が、今は首まで真っ赤だ。

「それってさ…」

「ッしゃべんな!」

「俺と会うのに、寝癖があったら恥ずかしいって思ったんだよな?」

「…ッ!だから!」

「俺に会うから自分の格好を気にしたんだよな?」

「……それがなんだよ」

俺を止めるのを諦めたのか、感情的になった自分を恥じているのか、不貞腐れたように獄寺はつぶやく。


――まさか…まさかあの獄寺が…



だってそれ、俺を意識した、ってことだよな?



ぶわっと感動にも似た思いが胸の奥に駆け巡る。


「――〜〜獄寺!」

「……なんだよ」

「好きだ!」

俺の告白に獄寺は端正な顔を崩してあんぐりと口を開いた。

「空いてる日いつ?デートしよう!映画見て街歩いてフレンチ食って夜景見て、そんで、」

デスクに置かれた手を取って、俺はまっすぐに翠色の瞳を見つめた。

「結婚しよう!」

「はあぁああ?!」

驚愕の表情を浮かべる獄寺に、俺は最後の言葉を言い放った。

「獄寺を愛してるんだ!!」

「――〜〜〜ッ!」

彼女は声にならない悲鳴を上げながら、白魚のような右手を振り上げた――。






綺麗でしなやかで冷徹で。
何から何まで用意周到で、そのくせ自分の美貌に無頓着。

そんな幻想はどこにもいない。

獄寺は、氷の女王なんかじゃなかったんだ。


寝癖の1つを気にする、俺の大切な大切な女の子――。




マドンナイズム



(だからその頬の赤さは、期待してもいいってこと?)

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