N O V E L 3
□片道切符の使い捨てが
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やはりというか、この場所はいやに俺の胸をざわつかせた。
広く、青々としげる高い丘に並ぶ無機質な白い石。
すん、と鼻を鳴らすとどこか懐かしい線香の香りが頭を軽く叩いた。
まるで、記憶の扉をノックしたように―…
アイツは、ただひたすらだった。
ただひたすら、俺が好きだと囁いた。いや、囁くというよりは叫びに近かった。
それも、胸に押さえ込んだものが溢れ出すほどのか細い叫び声だったようにおもう。
「アヤ、」
部屋を出て行く時、必ず一度俺の名を呼ぶ。寂しい、行かないでと目が語る。
切実で純粋で、素直な瞳だった。
「…また、な」
別れを告げる俺はというと、そちらに目も向けず数度靴を履くのに爪先を鳴らすと直ぐにその部屋を出た。
俺はその一線を越えてはいけなかったから。
哀しい笑顔しか、もう後には見ることが出来なくて。出会った当初のあの包み込むような笑みは戻っては来なかった。
俺には医者の父がいる。どこかの漫画のような話だが、とても、厳格な父だった。
有名大学を出て成人してからは俺に期待する彼は直ぐに自分の後を継がせる為にたびたび知人を紹介しては、俺の将来を有利に進めようとしてくれた。
"愛"ではなかったかもしれないが、俺はそれが嬉しかったのだ。小さな頃から彼には優しくしてもらった記憶は余り無かったから。
ある日、俺は父の知人の娘と引き合わされた。控えめな美人で、何でもそつなくこなす彼女は、誰の目から見ても魅力的であった。
でも俺は、それが始まりだとは思わ無かった。
いつの間にか、俺はその彼女と付き合う事になっていた。
断りはしなかった。それが父の計らいだと知っていたから。
そして俺がアイツに出会ったのはその直ぐ後。
アイツが俺の事を好きな事は知っていて、体だけと言う立場をとってまで、俺の傍にいたいんだ、と零していたのを聞いたこともある。
だが俺はその"気持ち"には応えらなかった。応えることが出来なかった。
俺には彼女もいるし、同性愛なんて父が知ったら軽蔑される。
俺は芽生え始めた気持ちを、無意識に摘み取ったのだ。
しかし、だらだらと体だけの関係が続く中、やがて終わりが来る。
「アヤ…あの、」
「ごめん、彼女待たしてるから」
その日も体を繋げた後、珍しくアイツは俺を引き止めた。
俺はそんな言葉を遮り、一方的に話を終わらせる。直ぐに口を閉じたアイツに、流石に悪かったかなとチラ、と振り返るとアイツは、困ったように笑ってた。
「……そうだよな。ごめん」
「いや…」
―何でそんな顔するんだよ。
歯切れ悪く続きを飲み込むとドアノブを掴んだ。
「またな」
アイツの声が俺の背中を押した。
それが、アイツとの"最期"だった。
回想するたび、どうしようもない後悔が体中を走り回る。左胸の奥がぎゅう、と掴まれるような切なさが苦しい。
アイツの肌の手触りや、香水でも何でもないシャンプーの香りとかは今でもはっきりと思い出せる。だからこそ、今隣に居ないのが妙にちぐはぐに思えるのだ。
目を閉じれば更に感情が膨れ上がり苦しさが一際増した。
気付いたのが遅すぎたのなら、その気持ちはどこにあてればいいのだろうか。
もう、この想いを唯一打ち明けたい人はどこにもいない。
確かに手の中にあった幸せは、霧のように掻き消えた。
嗚呼、お前がいないこの世界全てが痛い。
この頬を濡らすものが、ただ悲しみだけのものならどれほど良かったか。
この涙には未だ消えない愛が溢れてる。
許してくれとは言わないから、
早く俺の元に帰ってこい。
(愚かな、そう運命が嗤う)