よろず部屋

□さよならなんかは言わないで
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「――よお、お疲れさん」

不意に…そう、本当に不意に、としか言えない感覚で声を掛けられ、縢は、今ここに存在する己に気が付いた。

「……え…?あれ…っ?」

目がいきなり醒めてしまったような、そんな気分で、辺りを見回すが、眼に映るのは一人の人物以外は白、白、白――只ひたすらの白ばかりだった。

上下左右、何処に視線を飛ばしても、白だ。

自分の足はここに立って居る。足裏には確かに体重を支えるだけの固さを感じるのだが、その足の下に在るのは只の白い空間ばかり。

あの、『ただやたらに白いだけの部屋』だって、こんなには白くは無かった。

これだけ白いと眼がチカチカして来そうなものだが、縢の双眸がその痛みを訴える事は無く。故に丸く見開かれた両目は、極正常範囲内の瞬きを繰り返しながら辺りを窺い、……やがて、一つ箇所に落ち着いた。

「…状況確認は終わったか?」

何が楽しいのか、くわえ煙草の口端を吊り上げてそう訊いて来る男の姿に、縢は大きく一つ瞬いた後、再び瞠目する。

縢の目の前。そこに立つのは、見た事のある男だった。

「え…と、…ハジメマシテ?」

「何で疑問系なんだよ」

「いや、だって。オレ、アンタ知ってっけど、一方的にってか、会った事無かったし」

「ああ、…まあ、そうだったな」

あっさりとそう言った男は、軽く首を振った後に縢へと向き直り、何故か心持ち胸を張って口を開いた。

「だがな、俺はお前を知ってるぞ。縢秀星」

「……何でそこでドヤ顔なんだよ…、って!?、!!?」

半ば呆れ混じりで言った縢の貌が不意に歪む。

「な…ん、だよ…っ、これ……っ!?」

咄嗟にそう呻いていた。

映像。頭の中にそれが浮かぶ。

「あ、何だよ。俺が種明かししよーと思ってたってのによぉ」

不満気な男の声に返す事も出来ない。

見上げる黒いスーツの男と見下ろす白い男。会話。死闘。倒れる黒スーツの男。近寄る白い男。その時、駆け付ける小さな身体。勢い良く振り抜かれるヘルメット。

「う…わ、朱ちゃん、かっけー…」

頭の中の映像は、勝手に進行して行く。

倒れる黒スーツの男の声。もう一度、振り上げられるヘルメット。子供のような、少女のような顔に憎しみが哀しみが、そして涙が浮かぶ。投げ捨てられるヘルメット。涙を湛えた口上。

全てが頭に浮かぶ映像だった。確かに見えたのに、ちゃんと感じたのに判ったのに――ここには何も無い。

「っ、クソ、あの馬鹿野郎…!」

小さな悪態と共に投げ捨てられた煙草が、いつの間にか俯いていた縢の視界に入る。男の苛立ちを表すかのように、乱暴に踏み消される火種。が、しかし、煙りが消え、男が上げた革靴の下には、何も存在して無かった。吸い殻も、僅かの灰でさえも、最初から無い物のように、そこには白い空間だけが広がって居る。

つまり、ここは、そう云う処、と言う事だ。

溜め息を一つ吐く。

「…まあ、アンタが居るって段階でそうだとは思ったんだけどねー」

目の前の男には、確かに見覚えがあった。

あの娘が「本人には訊けない」って理由で本人以外の人達に訊き捲ってた、例の事件の資料を、縢も気になって開いて見ていた。其処に在った被害者の顔は確かにこの男の物だった。

目線を上げて、縢が見遣ったその男は既に先程の不機嫌さを拭い去っている。

佐々山光留。

思う。

あの写真の男はこんなにニヤニヤ笑ってなど居なかった。が。

けど、まあ。


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