よろず部屋

□海の見える街へと
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壁の外へ。

いつか。

巨人を駆逐し尽くしたら、一緒に海へ行きましょう。とアイツは言った。

『海』なるものは既に聞いて…聞かされていた。この世界、いや、壁の外の世界の、大部分を占めると云う、大量の塩水の存在。

途方も無いその話を信じ、求め、無邪気に誘うその姿に、「しょうがねぇなぁ」と苦笑した。断ったらまたしつこく食い下がられるのは目に見えてたし、何より、俺は、巨人が居なくなった後の自分なんざ考えても居なかった。まあ、これと言った拒絶する理由も無かったからだ。

そうしたらヤツは、益々嬉しそうに笑い、その零れ落ちそうにデカい瞳を(文字通り)目一杯に輝かせて、「約束ですよ」と何度も繰り返した。

一緒に行きましょう。ずっと。

ずっと、一緒に生きましょう――と。



***

前の自分の一生を、まるごと覚えて居たのが、不幸中の幸いであった。と、そう思えるようになったのは、ある程度脳が落ち着きを見せた――小学校に入った頃だったか。

四十にも満たない生涯だったが、一応それなりに力の限り生き、そして閉じた。

その記憶が、俺に、現在の己では無いのだ、との認識を促した。

終わった事だ。既に死んだ男の物語を、俺だけが覚えて居る。それだけの事だ、と。

その男と同じ名を、自分が再び与えられたのは少し不思議だったが、魂と云うヤツには名札でも付いてやがるんだろう、そう思う事で片付けた。

振り返ると、我ながら冷めてひねくれたガキだった。だが、飢えも凍えも、不当な暴力も、命を懸けた盗みを働く必要も無い。そんな当たり前の事に感謝の念を抱く、俺がそんな気持ち悪ぃガキだったのは、間違い無く前の記憶があるからに他ならないのもまた、事実には違いなかった。

己と同じ存在を、全く期待しなかった。と言えば、完全な嘘になる。過剰な望みは自分が辛いだけだとは判っていたが、矢張り、巨人も壁も在りはしないこの世界に投げ込まれたのが自分一人切りだと云うのは納得が行かなかった。

俺は求めて居た。探す、迄の積極性を持たずに、それでも心の何処かで呼んで居た。

同じ存在を。

いや、違う。

正確に言おう。

アイツを。

だが。

同時に諦めてもいた。



***

『人類の希望』

そう祭り上げられたエレン・イェーガーと云う名のクソガキは、全く持っておかしなヤツだった。

「好きです、リヴァイ兵長」

そう言われるのには慣れていた。自慢にもならねぇが、このガキと同じく祭り上げられた身の上でも、長くやっていれば、そう言い出す輩はそれなりに出現するものだ。しかし、憧れと、死への恐怖からの逃避と、更には生存本能から来る性欲の高まりが混じりあった、ややこしい感情はある程度理解は出来るが、流されてしまうのは双方に取って宜しく無いと経験上学んでいる俺は、取り敢えず好意だけは受け取って、それからバッサリ切る事にしていた。

大抵の奴はそこで諦めるか、我に返る。中には逆上し、力尽くで想いを成し遂げようとする阿呆も居るが、そう云ったヤツには正しい教育的指導をくれてやった。そして、それでも諦め無かった奴とは……まあ、その時々の成り行きだな。

しかし、その中に新兵は含まれ無い。壁外に出れば、命の危険は等しく平等だが、経験値が低い新兵はより死に近い処に居る。バッサリ切って、己の命迄バッサリ棄てられたら目も当てられない。

だから新兵相手には、のらりくらりとかわす事にしていた。そうすれば、命があった大概の兵は自然と諦めて行った。極稀に居た諦めの悪い奴は、上等な手段では無いが、エルヴィンに頼んで自分より遠い部署に配置換えをして貰った。だが、その数は多くは無い――それ程に調査兵団の死亡率は高かった。

まあ、それは兎も角、巨人になれると云った特殊能力を持っては居ても、その、熱に浮かされたような瞳の奥にギラギラと牙を剥く獣を隠し持ってたとしても、エレン・イェーガーが尻に卵の殻を貼り付けた新兵である事には違いは無い。いつものように俺は慎重に、期待を持たせないよう、だが決定的に突き放さないように、かわし続いた。

だがしかし。

壮絶な初陣、その直後の混迷極まる作戦からも無事生還した中々しぶといガキは、それでも諦めると云う選択はしてなかった。

初陣を生き延びた奴は、一皮剥ける事も多い。その段階で淡い恋心は美しい(…かどうかは判らないが)青春の1頁と昇華させる奴も決して少なく無いと云うのに、クソガキはその後も最初の時と変わらぬ目の温度で、俺に告白をし続けた。

さて、どうしたものか。

流石に俺もそう思った。


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