よろず部屋

□右手と左手の物語
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「昨日も思ったけど、やっぱ、朝は涼しいね、ツッキー」

「うん」

「昨日より湿っ気多いかな?でも気持ち良いよね」

「…そうだね」

朝っぱらから通常営業の山口のお喋りに、気の無いような相槌を返す。それが僕の通常営業。本日もお日柄は良くも無く悪くも無く。朝靄を払いながら昇り行くお日様は、今日の気温の上昇を予告している。もう9月だと言うのに。ちょっとげんなりする。

その僕に比べて、山口は朝から元気だ。山口って、寝穢い割りには眠気を引き摺らないタイプだ。そう言う僕は、寝起きは良いのに何故だか低血圧に見られる事が多い。常にローテンションだからだろうか。まあ、人のスタンス等は放って置いて欲しいケドね。

僕の隣のアホ毛は今朝も元気にピョコピョコ揺れている。そう、隣。これも他人に誤解されてる事が多いけれど、山口は別に僕の斜め後ろが定位置って訳じゃない。僕の方が先に行動する事が多いから、鈍臭い山口が少し遅れて後を追う、って形が目立つだけで、追い付けばちゃんと山口は僕の隣を歩く。今みたいに。

山口は話す。僕は適当に相槌を返す。時に山口の視線は僕の表情を確かめて、そして、極自然に逸らされる。その度にアホ毛は動く。

烏野高校男子排球部。強くなる為の朝練は必至。まあ、排球に限らずだけどね。

其処に問題は無い。始業より前に登校する事。二学期からは一年生もその輪に加わった、持ち回りの部室及び体育館の鍵当番は更にその30分前に来る事も、別に問題は無いし、異議を申し立てるつもりも今の処僕は無い。

何故だか背番号順になっている鍵当番。つまり、昨日は僕だった。昨日の朝、30分早くの登校途中、いつもの交差点に山口は当然のように立っていた。だからだ。だから、今日の僕もいつもの交差点に30分早く着くように家を出た。

「ツッキー、オハヨー!!」

僕の姿を見て、山口は大きく手を振った。「何で?」なんて訊いて来ない。だって僕だって昨日訊かなかった。だから。これで良い。

「あ、おはようございますー」

小さな犬を連れたおばさんに山口は愛想良く挨拶し、僕も小さく頭を下げる。

地元に愛される烏野高校男子生徒像はこんな地道な行動から創られる。男子諸君、努々忘れる事無く、ご協力をお願いします。ま、僕が言う事でも無いケドね。

朝早くと言っても、凄く早朝とは言えない。そんな時刻、町を歩いてる人はそこそこに居る。

犬の散歩、ウォーキング、ガーデニングの手入れ。気温が上がる前に済ませてしまおうって人は多いね。

山口は擦れ違う人に一々挨拶している。笑顔の無駄売り。だからって僕に向ける笑顔が減る訳じゃないから許してるけど。僕には愛想笑いじゃないから許してるけど。ちょっとだけ面白く無いけど。

アホ毛が揺れ動く。

僕の隣。でもその距離は偶然に触れ合う程には近く無い。極極普通の、ちょっと仲の良さげな男子高校生同士の空間が今の僕等の間には存在する。

僕の左側を歩く山口の右手は、時に鞄の肩紐を直し、時に歩行に合わせて前後に揺れる。指の長さが目立つ、僕のよりも少しだけ小さい手。いや、まあ、その身長に見合った、平均的男子高校生の手なんだけど。バレー部員らしく、ちゃんと切り整えられた10個の爪。

制服のポケットに突っ込まれた僕の手の指も、同じように爪は揃えられている。

ポケットに手を入れて歩くと猫背になるから止めなさい。言ったのは僕の母だったかな。判ってはいるけれど、歩く時、所帯無くなる手の、行き場はつい其処になる。本当、良くない。判ってる。


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