よろず部屋

□煙草と君とサンダルと
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「帰るぞ、臨也」

手を差し延べるなんて、気障な仕種は出来っこねぇ。煙草も持ってねえ俺の手の、右はジーンズのポケットに親指引っ掛けて、左は身体の横にだらりと下げたままだ。それでもカラカラと鳴る音は俺を奴に近付かせる。

「……か…える、って、俺…今、新宿帰るトコだったん、だけど……っ」

ゆらゆらと声が揺れ動く。そう来たか。面倒臭ぇ。俺の告げるべき事は言ったし、よし、引きずり下ろすか。そう決めて一歩の幅を大きくすれば、その先で馬鹿は有り得ねえ行動を取りやがった。

「ゃ…っ!……え?ぅあ!?」

いきなり距離を詰められる事に恐怖感が煽られたのか知らねぇが、咄嗟に奴は身を引いた。…手前が何処に立っているのかも忘れた様子で。

「…わ…っ、!!、!?、!!!!」

後ろに引いた足を受け止める物は当たり前だが何も無い。馬鹿は、後ろ向きの形で鉄柵から落ち、何故かその向こうのコンクリ部分で一回転げ、有ろう事か更にその向こうの暗闇の中に呑み込まれて行った。

「お!!ばっ!!ぅおっ!?」

勿論、俺もただ見ていた訳じゃねぇ。奴がバランスを崩したと同時にこちら側に引き寄せようと腕を伸ばし――信じられねぇ事に、床を蹴り付けたその足からサンダルがすっぽ抜けちまった。

そっから先は、滅多に無い位――永い一瞬だった。

サンダルがすっぽ抜け、こけた俺は、伸ばし掛けてた手で咄嗟に奴がついさっき迄立っていた鉄柵を掴み、片腕だけで自分の身体を持ち上げて半回転を加え、闇の中へと消えた身体を追い掛けた。

――後から考えるに、その時の俺は焦って、すっかり失念してしまっていたのだ。俺が長年追っ掛け続けた奴が、どんな特技を持っているのか。……ソイツを追っ掛け続けた為に俺に迄影響を及ぼした、技術体系って云うヤツの存在を、だ。

「…え…?な…っ!?シ…!!」

なんつったか、ソレがビルから墜ちた奴に迄有効な技とは知らなかった(と後で思った)。廃ビルからそのつもりも無く飛び降りた形となった俺が目にしたのは、コンクリートの壁を蹴る事で空中で体勢を変えようとした黒くて細い姿だった。ノミ蟲だけはある、とは流石に思わなかったが、やはり奴は馬鹿だったと言うしかない。

その馬鹿なノミ蟲は、続けて墜ちて来た俺を見て――立て直そうとした体勢を更に崩した。

「あ?な!?バ……っ!!」

…カ野郎!!と続けたかったが、生憎俺にもそんな余裕は無い。壁か。そうか、壁を使うのか。思うより先に動いた掌がコンクリの面を弾き、その反動を利用して追い付いた細っこい身体を俺は宙空で腕の中に納めた。

後は…と考えずとも俺の身体は勝手に動く。普段抑え込むのに苦労する力はこう云う時だけは便利なモンだった。

手で弾いた分遠くなった壁に今度は足裏で蹴りを喰らわす。コンクリに触れた瞬間、自分が素足だと気付いたが、それは大した問題じゃねぇ。常ならば壁を打ち抜いちまう程度の蹴りも、地に軸足が着いてない分威力は弱まり、俺達二人分の身体は、僅かに間隔を空けて建って居た隣の建物の壁へと飛んで居た。人一人を片腕で抱えながら、もう片方で俺が目指したのは、向かった建物の側面に取り付けてある配水管だった。何故それだったかと言えば、こちら側には処々の小窓しか無いのっぺりとしたコンクリート面で唯一掴めそうな物だったからだろう。

狙いは外れる事無く、俺の片手は配管を掴み、その結果として二人分の重力が腕一本に掛かって来た。

「っかは…っ!!」

二人分の重力。しかし、悲鳴を上げたのは俺では無いし、俺の片腕でも無い。声は俺の胸元…腕の中からだった。余分な力が入り過ぎ、抱えてる痩身を必要以上に圧迫したのは判ったが、腕を緩める事はしない。下手に力を抜いた事で、地面に叩き付けられてミンチになる可能性を考えりゃ骨の一本や二本、ずっとマシだろうが。(とは、後からこの馬鹿に文句言われて返した台詞だったが)

さて、ぶら下がって一応落下は止まったのだがどうしたものか。片手だけで配水管を伝って降りる事は難しくはねぇが、抱えてるコイツの協力があるば、より楽になる。

「おい、いざ…やぁあっ!?」

「ぅわ!?ちょっ!?シズちゃん!?」

腕の中に声を掛け、下を向いたその時に、何かが軋む音と同時にガクンと俺達の身体は再び沈んだ。クソ、みっともねぇ声出しちまった。まあ、コイツの方がノミ蟲らしく喚いたから良しとするか。

視線を上へと上げれば、俺の片手はしっかりと古ぼけた配管を掴んでいた。しかし更に上を見遣れば、その管を壁へと縫い付けていた筈の止め具が外れている。落下速度プラスの二人分の衝撃に古いそれが堪えられ無かったのは明白だった。


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