よろず部屋

□JUST COMMUNICATION
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しかし、あれは紙の本や資料が好きだっただけで、何が何でも紙を使いたがる、と云う訳では無かった。現にそれなりの期間友人をやっていたが、受け取ったのはメールや通信ばかりで、手紙等は貰った覚えは無い。

一瞬だけ胸の中に走った苦みをやり過ごし、宜野座は革手袋の中でより白さが浮き上がるそれを見た。

流れるような英語の筆記体は、筆跡を判らなくする。

分析に掛ければもう少し判る事もあるだろうが――。

思いながら、二つ折りの紙をまた畳み、封筒の中へと戻した。

それから目を上げ、薄曇りの空を、この屋上よりも高いビルを見遣る。久し振りに見る所為か、記憶にあるのより一本か二本、その建造物が増えてるような気がする。

硝子張りの建物に、幾つかの影が見て取れる。あれは其処で働く人間か、或いはドローンか。そこ迄は判らない。元々視力が悪い訳では無かったが、特別良いと云う訳でも無い。

勘や気配にしてもそうだ。猟犬に堕ちてから僅かながら鋭くなった気はするが、それでも、殺気も孕まない視線を感じ取る事等、未だ出来はしない。

眼に映るビル達の全てのフロアが埋まって居る訳では無いだろう。

だが、廃棄区画とは違う。此処は、この地域は、都市の中心部だ。色相スキャンもセキュリティも完全な物を設置して居る事だろう。不審人物等、入り込む余地は無い。――それは、この公安局ビルにした処で同じ事だが。

宜野座は再び手の中へと視線を戻す。

中を確かめた時は、思わず失笑してしまう処だった。今また込み上げて来る笑いの発作を堪えるのが難しい。

『Happy birthday』

30男の誕生日の、何がめでたいと言うのだろうか――。

そうだ。可笑しい。可笑しく無い訳が無い。

在りもしない可能性を導き出そうとしているこの自分自身も。笑わずには居られない位には、可笑しなものだ。

自然持ち上がった唇の両端。その表情のまま、白の封筒を持ち上げ、両手を掛けた。

少しの力を加える。たったそれだけで、小さな悲鳴を上げたそれは只の二つの紙片と成った。

抑える力が無くなった紙切れは、すぐに風に攫われ、瞬く間に何処かへ消え去った。

まるで、あの男のように。

ああ、可笑しなものだ。

有り得ない可能性も。

笑い話にしかならないだろう。

ならば、その笑い話に最後の一花を添えてやるのも一興だろう。

笑みを敷いたまま、宜野座の唇は動いた。声は無い。音の無い、唇だけの呟き。

『――来年は、直接渡しに来い』

さて、休憩は終わりだ。

もう一度だけ。青み掛かった灰色に、風の行方に視線を投じ、宜野座は踵を返した。

宜野座の気に入りがこの場所だと知って居るのは今となっては二人のみ。霜月監視官はまだ知らないし、六合塚は敢えて此方に踏み込んでは来ない。…そして、常守監視官は、緊急の時以外はこの場所に居る自分をそっとして置いてくれる。だからこそ、それに甘え過ぎてはいけない。

この身は彼女の猟犬なのだから。例え彼女自身がそう思ってないにしても。

そう、だから。

宜野座の脚は惑う事無く進み、屋上への出入り口を潜る。

――だから。

『来年は、直接渡しに来い』

そうしたら。

その時には、俺が、お前を殺してやるから――。

そんな当ても無い高揚に、宜野座の唇は暫くの間笑みを張り付かせて居たのだった。













END.
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