よろず部屋

□貴方に、繋がる物語
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***

狡噛が辿り着いたのは、港から幾らか内陸にある集落であった。

縁も、血の繋がりも無い者達が集まり、寄り添い合い共同生活を送るコミュニティー……『コロニー』とも呼ばれるそこに、狡噛は身を置いて居た。

宛ても無く、何を考えるでも無く、ただ止まる事を良しとしなかった足が狡噛を此処迄運んだ。水と、当面の糧を求めようとした処で、このコロニーのリーダーを名乗る男に声を掛けられた。

50絡みのその男は、かの恩師と同じ識者の瞳で狡噛を眺め、静かに口を開いた。

――君は、何処かに行く宛てはあるのかい…?

ある筈も無い。

答え無い狡噛に彼は続けた。

――もし無いのだったら、暫く此処に留まってはどうだろうか?此方は男手は幾らあっても足りない位だし。……それに、何て云うかな、君は今、独りで居ない方が良いような気がするね。

全くの初対面に看破される程、自分は虚ろだったのだろうかと思うと、苦笑が生まれた。

男の言葉を受け入れたのは、その指摘の通りだ。

何処にも、行く宛て等無かったからだった。

***

ノノはそのコロニーの少女だった。

そして、何故だか狡噛に懐いた。

愛想を作らない時の自分は、決して子供に好かれるような質ではない。その自覚が狡噛にはあった。子供好きがするのは、常守とか縢のようなタイプだろう。――また、当人達は否定するだろうが、六合塚や宜野座もそうだと言えた。

子供には、自分の相手をしてくれそうな人間を直感的に見抜く力がある。とは誰に聞いた言葉だったか。

だが、この少女が自分に近寄って来たのは、別の要因の為である。

***

コロニーのリーダーである、あの男から聞いた話だ。

6年前の事だ。とある海域で、クルーザーに改造を加えた程度の船が漂流して居るのが発見された。古く、昔から海上での人命救助は、種族民族国家を超えた、海に生きる者達の鉄則である。その慣わしに則り、発見した船の乗員がクルーザーを探索した処、船内に在ったのは一つの遺体と一人の生存者。遺体は腐敗が進み、また唯一の生存者も餓死寸前だったと云う。

船舶の形状、また船内に積まれた荷物から、クルーザーは日本の物と判明。遺体は簡素な祈りと共に海へと還されたが、一部採取されたDNAを後に調べた結果、死亡者は日本人男性、そして保護された生存者…女児の肉親である事が判った。

保護された女児は、狡噛が降り立ったあの港で、一番近場のコロニーリーダーである彼の手に渡される。程なくして身体は快復したが、心の方迄はそうとは言えず、コロニーに来てからも暫くは一言も話さなかった。

――最初は、声が不自由なのだと思ったんだがね。

それが、凄惨な体験故か、それともそれ以前からそうだったのかも判らないまま。

暫しの時が過ぎたある時、女児の唇が動き、声らしき物を発して居る事に気付いた男は、試しに己を指差し、『ハワード』と言ってみた。僅かな祈りの気持ちと共に。

果たして、仮の名『ガール』と呼ばれて居た女児は、小さな手で自分を指差し、『ノノ』と言ったのだった。

その時の気持ちを、男…ハワードは、『世界中のあらゆる神に感謝を捧げたい程だった』と語った。

しかし、その感謝にも、やがて恨み言を混ぜたくなった。

いつしか笑顔迄も見せるようになった女児…ノノだが、その幼い唇から辿々しく紡がれる言葉は、全てこの国の言語だった。そして、ある程度の会話が成り立つ迄になった時、慎重に問いを重ね、男は知るに至った。

…ノノの中には、このコロニーに来てからの記憶しか存在してなかった事を。

無理も無かった。

恐らく間近で見たであろう父親の死。その死体と共に漂流。そして飢餓。それらの一つだけを取っても一人の子供の精神を壊すのは充分過ぎる事柄だ。

無理は無いと言えた。しかし。それでも。

――……神様はその人間が耐えられ無いような試練はお与えにならないと言う。けれど、その神様にだって、あの娘から父親を奪う権利は無かったと、私は思うんだよ。

何処か疲れたように男はそう締め括った。

***

そして、ノノは、このコロニーにて、言葉を覚え、感情を覚え、愛情を覚えて育まれた。

彼女は非常に聡い娘で、記憶は失ったままではあるが、既に自分の出生地も、このコロニーに来た経緯もちゃんと把握し、それを受け入れて居た。

――日本人…?

初めて狡噛を見た瞳は、驚きに見開かれ、期待と不安、困惑と興味に酷く落ち着かなかった。

それ以来、彼女は狡噛の姿を見ると駆け寄り、話し掛けるようになる。少女が自分に何を求めて居るのかは、判り過ぎる程に判った。が、しかし。

迷う気持ちが狡噛の口を重くさせた。それでも尚、少女は狡噛に駆け寄り、明るい笑顔を向け、声を掛ける。


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