よろず部屋

□貴方に、繋がる物語
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『…ノノには、君が嫌がった事には決してそれ以上訊かないように強く言い含めるよ。だから、少しでも良い、あの娘に祖国の…日本の話をしてやってくれないか?勿論、君の語れる範囲で構わないし、思う処があるのなら、君自身の話でも構わないから』

見かねたハワードにそう頼まれ、考えながらも狡噛はそれを了承した。

とは云え、己の日本での半生を省みるに、子供相手に語るには特にこの10年来は余りにも生々しくも血生臭く、自然、話は、学生時代や嘗ての同僚達の人となりとなる事が多くなった。

自分が聞きたい話とは大きく外れて居ただろうに、それでも少女は狡噛の声に耳を傾け、続きを促した。或いは、狡噛の話を聴く事で彼自身を追体験し、そこから祖国を感じ取ろうとしたのかもしれない。

縢、常守、征陸、唐之杜、六合塚、…そして、佐々山と…宜野座。

些細な出来事が仕草が表情が、話す度に記憶として蘇る。確かに在ったあの光景は、今はもう、自分には記憶としてしか手元に残って居ない。それしか許されていない。しかし、ノノを見ると思う。それだけは、許されているのだと。

『誰に』かは、判らないが。

少女に語れ無い事は山程あった。それを濁す為の、狡噛の口からつい滑り落ちるのは、特に学生時代の事が多かった。

猟犬であった3年間はまるで別世界の事にも感じて居たあの時代が、今となってこんなにも近い。そんな皮肉に、笑いたくもなったが笑える筈も無かった。

桜。舞い散る花弁。夏の日差し。アスファルトの照り返し。アイスキャンディー。緑の芝生。図書館。入道雲。色付く木の葉。落ち葉枯れ葉。茜空茜雲。長く伸びた影。冷えた大気。白い息。音も無く落ちて来る雪。冬の星座。

ノノに語る場面には必ず、自分と、そしてもう一人が存在した。

真っ先に浮かぶのはやはり怒った顔だ。不機嫌そうな眉。引き結ばれた唇。無感情を装おうとして、いつも失敗してた瞳の色。初めて言葉を交わした日、助けて非難された。それが面白くて近付いた。戸惑う様子にどうやったらもっと受け入れられるか思案した。ぎこちなく、とても不器用に自分が許容されて行くのがとても嬉しかった――。

ノノも取り分け彼の話を喜んだ。若しくは、その話題の時に少しだけ軟らかくなる狡噛の様子を好んだのかも知れない。

ともあれ、少女は眼を輝かせてその時々の彼の様子を尋ね、彼の世間擦れして無いが故の失敗談に笑い転げた。

卒業後も自ら望んで側に在った。決定的な決裂をした後でさえも、それは変わらなかった。

それ故に、少女には不思議だったのだろう。今の狡噛の側に彼が居ない事が。

何度も躊躇いを見せた後、ある時、思い切ったようにその言葉を口にした。

「――ねえ、“ギノ”はどうしたの?どうして、コウと一緒に居ないの?」

それは揺るがない現実を突き付ける言葉。一瞬止まった…止めてしまった息を、狡噛は深く吐き出す。

このまま。

会話を終了させて立ち上がれば、賢い少女はその意味を悟り、ハワードの言い付けを守って、この件を再び追及して来る事は無いだろう。

息を吸い、もう一度深く吐き出す。僅かに喉が震えたのが自分でも判った。

「――俺は」

望んだのは断罪か、したかったのは懺悔か。

……こんな子供を相手に何を望む。

「ギノに許されない事をした…いや、し続けた」

***

少女に話せない事は沢山ある。そこを避け、濁した話は酷く歪で不格好で且つ不鮮明だったが、ノノは時折首を傾げながらも狡噛を言葉を遮る事はしなかった。

***

――どうして、助けなかったの?

少女の言葉の通りだ。一番の友達だと…親友とも思っていた。それなのに。

「……俺は、目的以外は何も見えなくなっていた。それを果たさなくては俺は俺で無くなってしまう。その思いだけでただ突き進む事を選んだ。何もかもを切り捨てて」

切り捨てた中に、彼もあった。親友だと相棒だと思った、何度も自分を引き戻そうとした彼の存在自体を、振り払った。後悔が無い、とは言えない。もっと、どうにか、彼の傷が少ないように出来なかったのかとは思う。けれど。そう。けれどだ。仮に時が巻き戻ったとしても、きっと自分は、あの白い男を追った。恐らくは、何度でも。

狡噛の言葉に、ノノは何処か哀しげに唇を一度噛み、それからまたそれを開いた。

「それで、コウは謝ったの?」

一瞬、少女が何を言ったのか、判らなかった。

解読不能の言語を聴いた者のように、怪訝に見詰める狡噛の視線を受けながら、ノノは更に言い募る。

「それしか出来なかった。だけど、助けられなくってごめん、って、ちゃんと“ギノ”に謝った?えっと、ド…ゲ、ザ?した?」


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