ハツカノ

□ハツカノ5
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『どうしよう…』

原田巧はいつもならばほとんど使用しない全身鏡の前に立っていた。
ベッドには三着ほどの服が出しっぱなしになっている。

何を着ていったらいいのだろうか?

はぁ、と溜め息をつきたい気持ちになった。
巧が今選んでいるのは、永倉豪と映画を見に行く時に着ていく服だ。
洋服なんかに興味はなくて、でも豪と会うのだから、自分が初めて好きになった人と遊びに行くのだから、豪が気にいる格好をしたい。

「うー…でも、」

唸り声が出てしまう。
でも、あまりにも意識していると思われたくない。
ハンガーにかかったままの服を持ち上げ、鏡に映る自分の姿を見る。
黒いワンピース。
これが巧が唯一持っているワンピースだった。
以前母親が買ってくれたものだ。
たまには女の子らしい格好をしなさい、と言ってプレゼントされた。
鏡の中に映る自分には、こんなもの似合っているのだろうか?

「やめた!」

ぽいっとベッドに服を放り投げ、そのまま上にボスンっと倒れこむ。
やめた。
こんなことでウジウジ考え込むなんて、全く自分らしくないではないか。
もう、寝てしまおう。

レッチェ前、十時

巧はいつも、六時半には起きている。
ここから横手まで、一時間も掛からないだろう。
いつもの時間に起きたら大丈夫だ。
巧は重い瞼に従うままに目を閉じた。





『眩しい…』

いつも思わないことを思う。
顔全体に暖かな日の光が当たっていた。

「!」

ばっ、と飛び起きる。
すぐそばにあった目覚時計を見た。
コチコチと秒針が動いている。
巧は短針の位置を見て、絶句した。

午前十時。





豪は赤いチェックを看板にあしらったファミリーレストランの前に立っていた。
時刻は午前十時十五分。
辺りをきょろきょろと見回してみるが、巧らしき人影は無い。
十時よりも前に来ていた豪は、もうかれこれ三十分ほど待っていた。
何度腕時計を確認しただろうか。
十時になるまでは緊張が大きかったが、十時を過ぎると不安の方が大きくなってきた。
巧は来てくれるのだろうか。
巧を信頼していないわけではない。
しかし、まだ会って数回ほどしかたっていない男に巧が気を許すとも思えなかった。

「でもなぁ…」

巧が誘ってくれたのだ。
あんなに大きな声で、赤い顔をしながら好きだと言ってくれたのだ。

『信じて待つしかないか…』

携帯の番号もアドレスも交換していない。
巧に連絡をとる手段は何もなかった。

レッチェ前、十時

巧が来ることを信じるしかない。
大丈夫だ、待つのは慣れっ子だ。
豪は決意を新たに、もう一度時計を見た。

午前十時三十分




バタバタと大きく足を鳴せる。
巧はやっと新田駅に着いた。
黒の運動靴に、デニムのスカート、その上に灰色のパーカーを着ている。
いつもと全く変わらない私服。
豪の好きな洋服を着たいと思ったが、選ぶ時間もなかった。

『服よりも、まずは会わなきゃ意味ないだろ』

はぁ、はぁと荒い息が零れるが、息を整える暇もない。
巧はホームに滑り込んで来た横手行の列車に慌てて乗り込んだ。

午前十一時




豪はちらりと時計を見た。
もう巧を待ち始めてから、かれこれ一時間は経つ。

『原田さん、どうしたんじゃろう…』

豪が溜め息を飲み込んだ時、後ろから待ち望んでいた声が聞こえた。

「永倉さん!」

驚いて振り返ると頬を紅く染め、荒い息をしている、走ってきたと一目でわかる原田巧の姿があった。

「はらださん…」

「ごめん、なさい…寝坊した」

ぺこりと頭を下げる巧に安堵の気持ちが零れる。
先ほどまであんなに不安だった気持ちも、巧の姿を見るやいなや姿を消した。

「全然ええんで」

初めて見る巧の私服に、ドキドキと胸が高鳴る。
いつもの制服姿ももちろんかわいらしいのだが、見慣れない姿が豪の体温を上げた。

「本当に、ごめん」

巧は見るからにシュン、とした顔でうなだれている。
それが、巧も豪のことを大切に思っているであろうことを現していた。
待たされたことよりも何よりも、その事実が豪の胸を焦がす。

「よかった、来てくれて」

巧に笑って欲しくて、笑いかけた。
巧が自分を特別に思っているとわかっただけで、幸せではないか。



にげわうファミリーレストランの前で、時計を気にしてまっている大柄な男を見つけた。

「永倉さん!」

驚いた顔で豪が振り向いた。
その姿に安堵が込み上げて来る。
よかった、まだ待っていてくれたのだ。
一時間もの間、自分が来るのを信じてくれていたのだ。
豪の姿を見た瞬間、力が抜けたように息が荒くなった。
はぁ、はぁ、と荒く息をつく。

「ごめん、なさい…寝坊した」
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