長編

□第八章
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悠は財布から千円札を2枚テーブルに置くと、鞄を手に立ち上がる。
「なんか今日はごめんね…」
「いいから電車。遅れるよ!」
早苗に怒られ、悠は回れ右をする。
そこで朝耶は、
「あ、小沢さん」
鞄の上のマフラーを、振り向いた悠へ放る。
空気を孕み、ふわりと手のひらに舞い落ちた黒のマフラー。
悠ならず莉沙も早苗も驚いていた。
「貸す」
「でも…」
「熱、あるんなら暖かくしたほうがいいだろ」
持っていてわざと付けていないのなら付けさせればいいが、どうやら持ってすらないようなので。
「俺ので悪いけど」
「ううん、ありがとう…」
悠は迷っていたようだが、莉沙は朝耶にお礼を言うと悠を引っ張って行ってしまった。
店を出て行く2人の姿は、外が暗くてよく見えなかったが、悠の首には黒いマフラーが巻いてあったように見えた。
「さてと、八神、あんたどうすんの?」
残っていたジュースを飲み干した早苗は朝耶を見た。
朝耶は電車なのでもう少し時間を潰さなくてはならない。
早苗は帰る気のようだが。
「松本」
「なに?」
「小沢さんの親って…」
そこまで言って朝耶は口を閉ざした。
それは自分が聞いていいことなのだろうかと思ったからだ。
内容によっては興味本位で聞くのは憚られるものという可能性もある。
「んんー、そういうのってあたしが言っちゃっていいの?」
「内容によるだろな」
「うーん」
少し考えていたようだが、早苗は立ち上がる。
朝耶は「やっぱだめか」と諦めた。
しかし、早苗は向かいの椅子にトスッと腰を下ろした。
「松本?」
「隣に座ったままってのも変でしょ」
腕を組んで憮然とした表情だが、この様子からだと話してくれるようだ。
「言っとくけど、あたしだってあんま詳しくは知らないからね」
そう前置きして早苗は知ってることを簡単に話してくれた。
「ゆぅの家って、お母さんしかいないんだよね」
早苗はグラスの中に残った氷をストローでつつきながら話し始める。
「そんでお母さんは結構夜遅くまで仕事しててさ、だから昔からゆぅが莉沙ちゃんの面倒見てるんだって。
そのせいかどうかは知らないけど、莉沙ちゃんはお母さんとあんまり仲良くないみたいで」
朝耶は黙って聞いている。
「ゆぅとしては働いてるお母さんに気を遣ってるのか、今日みたいな態度なわけよ」
「…お父さんは?」
「たしか離婚って聞いたけど」
「…」
朝耶は一度頭の整理をつけるためにゆっくりと瞬きをして、早苗に目を戻した。
「わかった。ありがとう」
今度こそ帰るために早苗は立ち上がった。
すると、朝耶も腰を上げる。
「電車ってそんなに早く来るの?」
まだ悠たちが出て10分も経っていないが。
朝耶は伝票を掴む。
「送ってく」
「うええ!?」
早苗は奇声を上げるほど驚いた。
「なんだよ。松本だって女だろ」
「うわ、あんたあたしのこと女だってわかってたんだ!?」
「…その発言、俺をバカにしてるけど、同時に言ってて悲しくないか?」
「いーよ、あんただし」
それはどういう意味だと言いたかったが、ここで漫才?をするのはあまりにもアホらしい。
「暗いし、松本歩きだろ」
「いいよあたしは。部活とかでこれくらいは普通だし。それなら奢って」
そう言えばここに来る前にそんなことを言っていた気がする。
朝耶はため息を吐いた。
「…今回だけな」
「うそマジで!?やったね!あ、でも理由がゆぅのこと話したからってなら、イヤだからね」
睨まれたが、これには朝耶も顔をしかめ、正面から見返した。
「そんなんじゃない」
これを聞くと、早苗はにぃと笑い、鞄を肩に掛ける。
「なら喜んで奢られてあげる。ありがと。じゃねー」
軽い足取りで帰っていった。
椅子に座り直した朝耶は、窓を見る。
店内が反射してよく見えないが、駅の方角に視線を動かす。
もう今頃2人は電車の中だろう。
朝耶は窓の先の暗闇を見つめながら、明日の電車に果たして小沢さんはいるだろうか…と考えていた。
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