PPP3

□此処だ。此処から、鳩の背に隠れるのを止めた。
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 “エニエス・ロビー”
 海列車はそう刻まれたゲートの下に停車した。

 磨きぬかれた石畳には、黒いスーツを着込んだ男たちが数名と、海兵らしきセーラー服の“MARINE”を背負った男たちが左右に敬礼している。彼らの上げた鋭角の肘にはそれぞれ一切の歪みはなく、それらはどうにも個を喪失した群れ以上の印象をわたしに与えるものではなかった。つまらない所だな、久しぶりの相変わらずにわたしの肩は落胆に落ちる。
 では、はたしてここは相も変わらずであるのか、あるいは"相も変われず"だとでも言うのか。もし後者であるならこれ以上の救えぬ話もないだろう。なにしろ、とうに笑えぬ話なのだ。紡ぐ者を危める歴史など、それを支配する世界など、腹一杯に詰め込まれた不条理を容認する世界など、ああなんて馬鹿らしく阿呆らしい。隣人愛人類皆兄弟愛は地球を救うなんて、そんな詭弁に素面で熱を上げる純情のつもりはさらさらないが、それでも、わたしにはこの島が不愉快の象徴でしかなかった。
 だが、そうだ。だから当然、そして殊更…ここは、あの一年の始まりの地だ。わたしとルッチさんの、冗談と酔狂が揃いも揃って馬鹿になったようなこの生活が見切り発車を遂げた地だ。そしてあれから一年が経ち、わたしたちは再びここへ一緒に戻ってきた。…では、それは、一体どういうことなのだろう。終わりのない始まりはない。ならば、わたしたちの何かが、この始まりの地で終わるのかもしれないと思った。ここで。ようやく、もうすぐ!

 願わくば、その終演の堰を切るのが、わたしたちの何れかによる怒声でない事を。


 おい、何してる。聞きなれた低音の声がわたしを呼んだ。
 馬鹿みたいに顎を持ち上げ、一心にゲートを眺めていた視線を石畳の先へと寄越せば、そこではルッチさんが呆れたように小首を傾げていた。既に彼らは錠を背負ったロビンさんたちを連れ、階段を数段登り上がっている。置いて行くなんてヒドイ、慌てて階段を2段飛ばしで駆け上れば、ようやく追いついた。
 馬鹿面、慣れない服装で覚束ない足取りのわたしにルッチさんがそう哂って見せる。それは本当にいつもの軽口通りだったものだから、わたしは何も言えなくなってしまった。

 彼に、言わなくちゃいけないことは沢山ある。伝えたいことも沢山ある。わたしが、わたしがあの荒れ狂う海上で切り離された列車の中で決めたことは、飲み合わせの悪い決意に覚悟がひっくるめて腹に置いたものは、今度こそしっかりとこの腹の底に置いたものは、一年前のようにただヘラヘラするだけのわたしを許さない。なにしろ、わたしは決めたのだ。ずっと、この一年間逃げ続けてきた"覚悟"を、わたしはようやくこの腹の真ん中に置いたのだ。わたしは逃げない。もう、絶対。

「さすがに5年も出てりゃ、懐かしいか」
 待つ気のない歩調に早足で並べば、そんな声が頭上から降ってきた。

 それが私にかけられた言葉だということは、彼の声色から理解できた。必要な単語が並べれただけの素っ気ないもの。
 でも、それを発する声は、澱みも波紋すらない湖のような静けさを孕んでいたものだから、彼自身の残忍や冷酷といった気性に埋もれた…優しさしか汲み取る事が出来なかったのだ。それを男の同僚たちは揃いも揃って、それはお前にだけだよ…とまで言うのだから、前述の言葉がわたし以外に掛けられたものであるとは思えない。

「わたしは1年です。ルッチさんだって1年ぶりですよ」
 一度、わたしを拾いに戻ってきたじゃありませんか。一年前に。わたしの為に。

 高いヒールのおかげでいつもよりは高低差の少ない視線を彼へと向け、わたしはそう返す。
 すると彼は僅かに首を傾げた後、ああそうだったと大きく頷いた。そして直ちに、お前の為にじゃないと拳骨が振ってくる。やっぱり、この男は突込みには毎々拳骨が要ると勘違いしているに違いない。堪ったものじゃない。わたしの頭蓋骨がもたない。

「大丈夫ですか?やばいんですか?脳細胞的なものが…」
 ついには拳骨で言葉を遮られてしまった。酷い上に痛い。

 なんてこった。脳細胞が危ぶまれるのはわたしの方じゃないか!
 そんなわたしの平常通りの悲鳴など、彼は意に介さず、何を思ってか短くこう呟いた。

「そうか…1年か」
「はい、1年です」
 するとルッチさんはわたしの視線に合わせるよう前方へ首を伸ばし、こくりこくりと顎だけで頷いた。

 カツン カツン、わたしの高いヒールの先とルッチさんの固い革靴の底が、石段を終えたのを知らせる。

「たった…1年です」
「ああ、高が1年だ」
 そしてわたしは自らが写る涅色の双眼を凝望したまま、ぱちぱちと目蓋で瞬きを返した。

 何故、そうしたのかは分からない。ただ、今、彼から目を逸らしてはならないと思ったのかもしれない。そしてまた、彼自身もそう思ったのかもしれない。ひょっとすると、互いにあの冗談のような1年を思い返していただけかもしれない。あるいは…偶然、珍しくわたし達の視線が数秒に渡って交わっていただけなのかもしれない。
 どちらにせよ、わたしとルッチさんは対極の存在なのだから、恐ろしいまでに何万光年も離れた対極の思考をする存在なのだから、互いが互い、相手の背後を持ってようやく互いの視野を認識するような存在なのだから、この行為に込められた意味など…それぞれの意図は那由他に挙げられた仮説による思考の影だ。考えて分かるものではない。到底分かるものではないのだ。わたしには彼が、彼にはわたしが、それは知ることの叶わぬ相対だ。
 だが、わたし達はそれを恨んだ事も、妬んだ事もない。愛しんだだけだ。少なくとも、この1年。分かり合えぬという焦燥は、いつしか互いを例外と、その解答を那由他の情動外へと追放した。

 だからわたし達は…そこで、ようやく、絡み合っていた視線の糸を解いたのだ。
 ちらりとすら、盗み見すら、わたし達の視線が交わる事はない。1年ぶりの、あの懐かしい面子が揃うあの広間まで、それは2度と交わる事はなかった。
 
 彼は、ルッチさんは気づいている。わたしが彼に隷属しないことに。わたしは気づいている。彼の支配はわたしの身に馴染まないことに。彼らは知っている。わたしがルッチさんと同じくらい、頑固者だっていう事に。わたし達2人の共通点なんて、きっとそれくらいだろう。
 それくらいわたし達の本質は、明らかに閑全と異なっている。わたし達の根幹は燦然の個として、それこそ他として全くの劃然たる地で呼吸が可能だ。互いが互い、わたしとルッチさんはお互いが居なくても生きていける。互いが居ないからこそ、無いからこそ、生きていく事のできる併存だ。対岸の志向は幾百年経とうが交わらぬ畔、それは理、この1年間で思い知らされた真実。それでも、それをもうひとたび骨髄に想い気づかせたいのであれば、それはかの素戔嗚尊が犯した高天原の天つ罪。わたし達は端から立っている所すら違えば見ている物も違い、思考と言う血管などの中身は成分からして喰違の晩餐だ。だから、そう…だからこそだ、




 わたし達2人は、もう互いの目と目も合わさずに、笑ったのだ。
 わたしは耐え切れない情動に喉をカラカラ鳴らし、ルッチさんは珍しい事にいつもより大きく口角を持ち上げて、わたし達は笑った。




「だが、されど1年だ」
「はい、されど1年です」
 それからわたし達は、どちらからともなく…手を繋ぐ。

 しっかりと、解けぬように。けれど、やはり何故そうしたのかは分からなかった。きっとまた、彼自身も分かっていないのだろう。それでも、わたし達の指は隙間なく絡み合っている。どちらか一方の力に偏るものではない。
 なら、ならば、それはそういうものなのだろう。わたし達の持ちえる言葉のどれをもってしても、それは示す事の出来ないものなのだ。ああ、嗚呼…それでいい。それでいいのだ。何れ訪れる終焉の暁、まで。




 この1年間、逕庭でそれぞれの異議異存の紅旗を掲げながら、それでもわたし達は生きてきた。共に生きてきた。それを共存と言わずに、何を共に在れと嘯くのか。そんな詩などあってはならない。
 嗚呼、そうだとも。わたし達は…わたし達の狭間に嘘も建前も愛想すらなく、それらは己が意地を存分に振り乱すのに忙しなく垣間漏れる隙も無い程に…そうだとも、わたし達は全力で全身全霊を以って共に在ってきたのだ。



 そこに嘘はない。だから、わたしは…










 (繋いだこの手を離さない)
to be continued
2人の道は此処で違えたわけではなく、はじめっから異なっていた。それは2人がよく分かっていたことだから、これからとる行動に表れた思念の違いを…2人はお互いを責めあったりしない。
…そんなかんじのことをかきたかったのだあー

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