短編

□ほら、手をかせ!
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髪の先から流れ落ちる滴を、茫然と眺めていた。


「………」


水分を含んだ髪は「ぽたり、ぽたり」と水滴を出し続けていて、ななしはそれをただ目で追い続けている。そうして無言のまま、空を見上げた。

空は今の季節にお似合いの淀んだ灰色をしていて、一緒に雲に隠れた太陽が見える。
それらを茫然とした表情で眺めながら、


「(…………泣きたい…)」


心から、そう思った。
ここはとある島にある、とある公園の中の片隅。その公園には少し大きめの池があって、ななしはその中にいた。
一度頭の先まで水の中に入った所為で、池の冷たさが脳に届いて頭がガンガンする。おまけに服は肌に張り付いて気持ち悪いし、腰から下はまだ池に浸かったままだ。

出ようと思えば簡単に出れるのに、何故だかそんな気が起きずにいる。


「は……はははは…」


小さく空笑いを洩らしながら、ななしはゆっくりとした動作でポケットを探った。そうして中から“何か”を取り出して、視線を落とす。

それは朱色をした小さな巾着袋で、お守りか何かのようだった。


「…やーっぱり、インチキだったかー」


軽い調子でそう言って、ななしはさも可笑しいと言いたげに笑った。
誰もいないのに急に笑い出すなんて、傍から見れば気でも触れたようにも見えるだろう。だが、本人はいたって正常だった。

ただ…今の彼女が陥っている状態が、次から次へと笑いを誘っているだけで。


「なーんか、そんな気がしてたんだよねー」


誰に言うでもなく、大きな独り言をななしは漏らす。

別に、最初から信じていたわけじゃない。勿論100%疑っていたし、買った時だって半信半疑だった。
「まあ、そうなればいいなぁ」と軽い気持ちで考えていただけなのに、まさかここまで不運の道を転がり落ちる羽目になろうとは。
こんなこと、一体誰が予想できただろう。…いや、予想できたとしても的中して欲しくはなかった。

落胆しているななしの脳裏に、店主の言葉がよぎる。


『それは恋守りです。持っていれば、きっと“良いこと”がありますよ』

「なーんて……嘘ばっかり…」


ちょっとでも信じた私がバカだった!

次第にななしは、池に落ちた恥ずかしさを通り越して腹が立ってきた。もうあの店主に文句を言ってから、一発ひっぱたいてやらないと気が済まない。
そもそもあの店でこれを買ってから、ななしには“良いこと”なんて一つも起きなかった。

それは、
財布を落とすに始まって、たくさんの犬に追いかけられ、猫にはひっかかれ、靴ひもが切れ、盛大にこけて、人とぶつかり、道を転がるほど。挙句、池に落ちて今に至る。

これがわずか数分間の出来事であるから、自分でも驚きだ。あのお守りが、何かの呪いで出来ているんじゃないかという気さえしてくる。
…人生山あり谷ありとか言うが、今のこの状況が谷だとしたら一体どこまで落ちればいいのだろうか。この果てしない不運の谷底の終着は、奈落かそれとも地獄か……いや…そもそもこれ以上悪いことが起きるなんて考えたくない。


「(私生きて船に帰れるかなー…)」


あまりに悪いことばかりが続くので、つい命の心配までしてしまう。
安全を確認しながら帰っても、途中で車にはねられて死ぬとか。この流れから言っても十分に有り得る話だ。
きっとそんなことになったら、船のみんなは悲しむだろう。
…うん、まあまだ付き合いは浅いけど、きっと悲しんでくれるよね…。


「ってそんな縁起でもないこと考えてる場合じゃなかった! もうここ寒いから、さっさと船に戻ってあったかいスープでも作ってもらおう! うん、そうしよう!!」


悪い考えを振り払うように、一人でポジティブなことを大声で言ってみる。
もし悪い考えが悪い出来事を呼ぶのだとしたら、これ以上不運を呼ばないためにも考えるのはやめにした。
手にしたお守りを「ぎゅぅっ」と憎々しく握りしめ、ななしは同時に思う。

船に帰る前にあの店に寄って、これ返品して貰わなきゃ。

「やっぱりあの店主に一言文句言ってから、ぶん殴ってやらないと気が済まない」だとかをぶつぶつ言って、ななしがいい加減池から上がろうと踵を返しかけた時。


「おっ!? お前なにやってんだよ、そんなトコで」


背後から、元気な声が突然降ってきた。やましいことなんて何もないのに、つい「びくり」と肩が震える。


「…!!?」

「うへぇ…まだ寒いってのに、泳ぐなんて度胸あんなァ。…許可貰って泳いでんのか? やめとけよ、池の水だって綺麗とはかぎんねーぞ」

「………」


まるで油の切れたロボットのようなゆっくりとした動作で、ななしは振り返ってみる。
ななしのすぐ後ろに、見慣れた男が立っていた。

その男は、ななしが思い切って「一緒に出かけない?」と誘おうとしたのに一人でさっさと船を下りてしまった男で、普段はガードが堅いわけではないのに近寄りがたくて、あまり話したこともなくて、でも他の女の子と話す時は親しげで、笑う顔は無邪気でまぶしくて、よく食べてすぐ寝る奴。
男の名前は、エース。


「……エース…」


ななしが密かに片想いしている相手だった。

片手をポケットに突っ込んでいるエースは、もう片手で買いこんだらしい食料の入った袋を持っている。服装は出かけた時のまま…というかいつもの上半身裸の格好。顔には呆れと驚きを半分ずつ塗っていて、まだ「池の水は汚い」とか何とか言っていた。
彼の立ち姿にくらりと来てしまったななしだったが、それとは反対に顔には「しまった」と書かれていた。


「(見られたくなかったなぁ……特にエースには…)」


好きな異性にみっともない格好を見られることほど、悲しいことはない。さらにこれで幻滅なんてされたら、もう目も当てられなくなる。

さっさとどこかへ行って欲しいのだが、折角のチャンスに言葉が喉の奥で引っ掛かった。
あしらうには簡単かもしれないが、しかしこんな機会はもう来ないかもしれない。そう一瞬で思ってしまって、言葉が出てこなくなった。

普段は遠巻きにしか見たことがなかったエースの姿が、今は手を伸ばせば届きそうなくらい近い。


「………」

「…なんだよ、黙ってこっち見るだけで。上がって来ねェのか?」

「あ、いや…うん、上がるよ、上がる。って言うかここの水冷たいから、早く上がりたい」

「なんだよそれ」


呆れたように笑ったエースは、かと思えば手でも叩きそうな何かを思いついた顔をして「あー、わかった」と、手にしていた袋を足元に置いた。
そうしてななしを見て、相変わらず無邪気そうに笑いながら


「おめェ、一人じゃ上がれねェんだろ? 手伝って欲しいならそう言えよ」

「え…あー……」


そう言う意味で見てたんじゃないんだけど…。

とななしが思っていることなど露知れず、エースは中腰になるとゆっくりと手を伸ばした。










ほら、手をかせっ!








「……っ!!」


ななしははっと息をのんだ。それと同時に自分の顔が赤くなっていくのを感じている。
まさかエースをこんなに近くで見れただけでなく、手まで差し出してくれるなんて思ってもみなかった。差し出してくれたと言うことは、つまり「手を握れ」ということだ。

何か…何か不思議な“力”でも働いていない限り、こんなこと有り得ない…!


「(………力…?)」


舞い上がりそうになる気持ちから、一瞬だけななしは意識を戻した。そうしてふと、手元に視線を落とす。

力いっぱい握りしめたお守りを見つめながら、店主が言っていた“続き”を思い出した。


『このお守りは、必ず願いを叶えてくれます。ただ…その願いに“見合った”分の不幸………いえ、ちょっとした“アクシデント”が起きるかもしれませんので、気を付けてくださいね』

「(……見合った…不幸…?)」

「どうしたんだよ。やっぱり上がらねェのか?」

「…いや…上がる…」


小首を傾げながら尋ねてくるエースに返事をしながら、ななしは考えた。
もし……もし今までの出来事が“呪い”じゃなくて、店主の言う“幸運に見合った不幸”なのだとしたら……?

間近に見る、話をする、手を握れる…

それが全部、今までのことに繋がっているとしたら…?


「(……じゃあもし…“エースと付き合いたい”って願いを叶えようと思ったら……私死ぬしかないんじゃないかな…)」


手を握ったりするだけでも、こんなに散々な目にあったのだ。なんだかそれくらいの代償を払わないと、叶わない気がしてきた。…どうしよう、一番叶えたいことなのに…。

不思議そうな顔をしているエースの手を、落胆の色を浮かべたままでななしは握り返す。
しかし今までの出来事が『手を握る』というこの一点に繋がっているのだと思えば、不思議と店主への怒りは収まってくる気がした。…まあまだ腑に落ちないけど、今回は大目に見てもいい…かな。

などと思いながら、引っ張り上げてもらうために思いっきりエースの腕を引いた時。

“何故か”エースが足を滑らせた。


「うおっ!!?」

「うっそぉ…っ!!」


高く水しぶきを上げて、二人仲良く池に転落したことは言うまでもなく。
エースは能力者だから溺れるわ、引き上げるのに時間がかかったわ、冷たい水に長く浸かったわで、なんとか船に戻った二人は数日間風邪をこじらせて寝込んだらしい。

さて、これは一体何の“代償”だったのやら……。





おしまい
【title:色恋沙汰】





§ほら、あとがきだから手をかせっ!§

…そういうわけでして、こんなエース短編が出来ました。大変お粗末さまでしたー。
なんというか…本誌ではエースが“あんなこと”になってからはや数ヶ月。…一緒に祭りを立ち上げたyako様と一緒に信じ続けて、この度週刊誌で“決定打”を打たれた気分です。ち、チクショウ…!!

…そんなわけで、「エースに手を差し伸べてもらうネタ」で作ってみたのですが、なんだかお守りのくだりが鰐社長連載の所のヒロインの鈴みたいになった気が…(いやいや全然そんな気はなかったのですが…あれ?)。
まあ結果に繋げていく過程でそうなってしまいましたが、まったく別物とお考えいただきますと幸いです。……まあ、あの…『書いてる人が同じ!』ってことで…ご了承ください(すいませんでした)

それにしても、前の短編もそうでしたがエース登場の際は何故だか食料とセットのような気が…!? 私の中のエースは“口いっぱいに何かをほおばっている”姿が印象的なようです。決して食いしん坊なんじゃないんです。……たぶん。


ご一読有難うございました。
また次でお逢いできますことを。

霞世


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