短編
□Sweet Valentine
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それは、社長室での事。
社長室へ入ってきた女…ななしは、ばたばたと慌ただしく部屋へ来るなり、真っ直ぐにクロコダイルの元へとやってくる。珍しく書類仕事をしていたクロコダイルだったが、しかしななしの呼びかけにすんなりと手を止め、顔を上げた。
「あ、あの……クロコダイル…さん!!」
「どうした?」
「あの……えっと……」
ななしは机の正面に立ち、胸の前で指先をこねながら、何かを言いたげに口先でぼそぼそと言っている。
「えっと…だから……あの…」
「……言いたいことがあるなら、さっさと言え」
「あ! ご、ごめんなさいッ!!」
そうななしは謝ったが、それでもまだ用件を言おうとはしない。
クロコダイルは一向に話そうとしないななしを見ながら、「目障りだ。出ていけ」とでも言ってやろうかと思っていた。
書類仕事は飽きたので、見ている時間だけは山ほどあるのだが。
…しかし、同じ光景ばかり見続けるのも、また飽きる。
いつもの調子で、クロコダイルは葉巻をくわえ、それを燻らせた。
「………あの……、クロコダイルさん…」
「用件を言…」
「あの! ち、チョコは……“チョコは好きですか”…ッ!!?」
「言わねェなら出てけ」と言いかけた言葉を、クロコダイルは呑み込んだ。そして目の前の大きな声に一瞬だけ、呆ける。
吸い込んだ煙を吐き出しながら、頭の中で言葉を思い出して反芻してみた。
突然大声を出したと思えば、「チョコは好きですか?」…だと?
「………」
そして一つ、思い当った。
もう一度吸い込んだ煙を吐き出してから、くわえていた葉巻を灰皿に押しつけて消す。そうして懐からもう一本、葉巻を出して火をつけた。
「……何かと思えば、くだらねェ行事か…」
「…知ってたんですか…? バレンタイン…」
「ぼそっ」と小さい声で、ななしは言う。それに鼻を鳴らして一蹴し、クロコダイルは椅子に深く座り直した。
バレンタイン…。
それは、“好意を抱く異性へチョコレートを渡す” とか言う、くだらねェ行事の名前。
クロコダイル自身、毎年彼を『英雄』と讃える女たちからチョコを貰っている身なのだが、本人はとても鬱陶しく思っていた。
あんなもん、何が楽しいのか分からねェ。
……とは言え、
「驚いたぜ。おめェがおれに好意を持っていたとは…。なァ、ななし?」
勿論、茶化したつもりだった。
ところがそう口にした途端、ななしは一瞬「はっ」と気づいた表情になったかと思えば、見る間に顔は真っ赤になって
「え、いやっ、そ、そういうこと…になる行事なんですけど、あの、決してそんなんじゃなくて…ッ!!」
「クハハハハ。どうした? 顔が赤いぞ」
「や、それはあの…、べ、別に、変な意味は…!」
誤魔化したいのかぱたぱたと手を振る動作があからさま過ぎて、それがさらにおかしくなって「くくくく」と喉の奥で笑う。一言「違う」と言えば済む話なのに、どうしてそう『何か意味があります』と捉えられる風に行動するのか…。
笑えば余計にななしの顔は真っ赤になって、その内顔から火が出てくるんじゃないかと思った。
そうして真っ赤な顔を誤魔化したいのか、ななしは理由じみたことを言い始める。
「ひ、日頃からお世話になってるから…! それで渡そうとか考えてて…!!」
「で? おれに聞きに来たってわけか?」
「はい…。一応、『チョコ嫌い』じゃないかどうかの確認を…。もう“みんな”に確認は取れたので、あとはクロコダイルさんだけで……」
「………」
「…? …あ、あの……聞いてますか…?」
「誰がいる」
「……はい…?」
吐き出すように言った声は、小さくて聞こえなかったらしい。ななしは聞き返して小首を傾げている。
だからもう一度、しっかり目を見てはっきりゆっくりと言ってやった。
「おれ以外に確認を取ったのは誰か、と聞いてんだ」
「……っ!!」
「びくっ」とななしの肩が震える。無意識に声に不機嫌が混じり、威嚇するように睨んでいるのが、自分自身で分かった。
…何故だ。
『自分以外に渡すかもしれない』というだけで、何故こんなに腹が立つ…。
そうクロコダイルが思っているなど露とも知れず、まだ真っ赤な色の抜けない顔で、ななしはたどたどしく言葉を話している。
相変わらず胸の前で指をこねながら、
「……オフィサーエージェントのみんなと…国王様とペルさんとチャカさん……です…。一応、お世話にはなっているので渡そうかなって思って…」
「………」
「…あの……それが何か?」
「…その行事は…」
「?」
「その行事は“好意のある人間一人”に送るもんじゃねェのか?」
「ま、まぁ…そうなんですけど…。でも最近は…」
「だから他の奴にはやるな」
「友チョコって………え…?」
イライラしていた事もあっただろうし、ななしに聞き返されたこともあっただろう。
一言で通じるはずだった言葉はもう一度、クロコダイルの口から出て行った。
今度は言葉を少し変え、はっきりと。
「おれ一人にだけ作ればいい。それ以外の奴には渡すな」
「!!?」
随分と身勝手なことを言ったと思ったし、失言だったと、クロコダイルは即座に気付いた。
しかしそれより先に言葉が出てしまったのだから、気付いたところで後の祭り。クロコダイルには、ばつが悪そうに顔をしかめて舌打ちするしか道は残っていなかった。
前を見るとななしはきょとんと虚を突かれた顔でこちらを見ている。
かと思えば、意味を理解したのかみるみる顔が真っ赤になってきて、至近距離だと言うのに割れんばかりに叫んだ。
「そんなの…“誰が本命か”分かっちゃうじゃないですかッ!!! 友チョコなら分かんないって思ってたのにあんまりですッ!!」
「……」
今度はクロコダイルが呆ける番だった。
ななしの言い方は、まるで
「それは、おれが『本命だ』と、言ってるように聞こえるぜ?」
「…………あ…」
「ククククク」
「や! べ、別にそういう意味じゃなくて、あの…っ、だからえっと…」
顔の温度が真っ赤の域を通り越して、発火しそうになっているななしの失言があまりにおかしくて、クロコダイルは珍しく長く笑った。ななし自身も“口を滑らせるにしてはあまりに滑らせ過ぎた”とわかったようで、恥ずかしくなって俯いている。これ以上の訂正は更なる墓穴を掘るだろうと、自分で分かっているからだろうか。
ひとしきり笑って、クロコダイルは椅子に深く座り直した。葉巻を灰皿に押し当てて消し、新しい葉巻に火をつける。
「…まァ、そういうことなら構わねェ。全員分作るといい」
「……違うんですけど…」
「何か言ったか」
「い、いえッ、何も!!」
ぱたぱたと手を振ったななしを見ながら、クロコダイルはまだ口角を上げたまま笑みの形を崩していない。その内、訂正をかけられないだろうことをようやく理解したらしいななしは、小さく「はぁ」と溜め息をついた。
Sweet Valentine
「…分かりました。じゃあ、これから作りに行くんですけど……クロコダイルさんは甘くない方が良いですか? チョコ」
「……いや」
「!? 意外ですね。なんかブラックとかビターとか、そんな感じが好きかと思ってました」
「…確かに、そういうのも好きだぜ」
「だが」と言葉を切って、クロコダイルは燻らせた葉巻の煙を吐き出した。
吐き出した煙と一緒に出て行ってくれない、
「たまには、クソみてェに甘いものを食いたい時があるだけだ」
この身体の奥に溜まっていく、
甘だるい“何か”をかき消してくれるような、もっと甘い何かが。
今は、欲しかった。
おしまい
§甘いバレンタインとあとがき§
当のイベント、バレンタインが一カ月以上過ぎてしまい、ホワイトデーすら過ぎた後に出来てしまって大変乗り遅れてしまいました。申し訳ないです…。
というわけで、
連載番外(若干if設定)の短編が出来ました!! 大変お粗末さまでした。
話の流れとしては、
『会議』の後『聖地』の前辺りを想像して書いてますので、BW社員とも面識を持ったあと…と思われます。
今回は題がちっとも浮かばなかったので、そのまんまを採用しました。…相変わらずのネーミングセンスの無さは自覚してますので突っ込まないであげてください…。今即興で考えたので粗だらけだって自分で知ってるんです…。
話の内容が二転三転しながら辿り着いたゴールなのですが、上手く出来ている…のでしょうか…。
若干の嫉妬心を抱いているクロコダイルを楽しんで頂けると幸いです。
今回ロビンは出てないのです。でも実はこっそり聞いていたり「本人に直接聞いて来い」とけしかけたのは彼女だったりする…という裏設定もあったんですが、上手く挟む事が出来ませんでした…無念……。
連載の方は進むのが遅いですが、お時間の許す限りお付き合いくださいますと幸いにございます。
一読有難うございました。
また次で、お逢いできます事を…。
霞世