砂漠に咲いた花

□遭遇A
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「あぁぁぁぁ………が…っ!!」


目の前に落ちてきたネズミ…ことその女は、「いた…い…」と言いながら床の上で身を捩った。
あのまま左へ進んでも結局はここに辿りついていたのだろうが、落とし穴に落ちたということは右へと進んだのだろう。確かに彼女はVIPというには程遠いだろうが、まさかあの案内板の通りに進むなんて…。


「(よほどの馬鹿正直さん…なのかしらね…)」


ミス・オールサンデーことニコ・ロビンは心中でひっそり思っておいた。それと同時、このあと彼女に迫るであろう“恐怖”に、形だけのお悔やみを申し上げる。

可哀想に…。せいぜい苦しまずに死ねるといいわね。

一方で、席を立って女へ歩み寄るクロコダイルの顔つきは、至極楽しそうで。


「ようこそ、お嬢さん」

「…っ!!!?」


ゆったりと身を起こした女に、クロコダイルが話しかけた。喋り方からして、“カジノ経営者”という顔になろうとしているらしい。クロコダイルは喉の奥で笑いながら、さらに女に近づいた。
地を這うその声に、びくりと女の肩が揺れて、明らかに動作が固まる。

まるで油の切れた機械のようなぎこちない動きで、女は顔をあげてこちらを見た。目の前に立つ自分と目があったので、一応「にこり」と微笑んでみる。だが女に微笑み返す余裕はなかったらしく、そのまま振り返ってしまった。
まだ油は切れたままで、今度はクロコダイルを見上げている。


「あ…あの…あの……っ」

「……」

「あの…、あの…わたし…っ」


その時、一瞬クロコダイルの顔が不意を突かれたような、滅多に見せない顔になった…気がした。


「(…あら…?)」


だが次の瞬間には、クロコダイルの表情は元に戻っていて。一瞬そう見えただけだったので、ロビンの見間違いかもしれない。
…もし仮にあの表情が本当だったとしたら…あれは、一体何だったのだろうか…。


「…あの…あの……」

「……」


一方で、女は同じ言葉をずっと繰り返している。目の前の恐怖で言葉が出てこないのだろうが、それにしてもクロコダイルまで無言なのは少しおかしい。
いつもなら高笑いして散々相手を痛めつけるとか、余興と称してバナナワニの巣に落とすとか。相手を枯れ木のように干乾びさせて、捨てたりしてもおかしくない筈なのに…。
何故か今回に限っては何もしようとせず、何も言おうともしない。
最初に笑っていた顔つきも、今では不機嫌そう…というか不思議そうなものになっている。


「(これは…変ね……)」


……りん、


「?」


その時、小さな音が空間に響いた。

「りん…」と弱々しく鳴くその音は、どうやら鈴の音のようで。女の方から聞こえてくるらしく、ゆっくりした動作で女はごそごそとポケットを漁っている。
間もなくして出てきたのは、錆びついていて一見それとわからないようなほど小さな、丸い鈴だった。
しばらく手のひらの鈴を眺めた女は顔を上げ、クロコダイルの方を見る。

りん、りんりん…

鈴の音は、それに反応するように、鳴り続けた。
…まさか…あの鈴で何か機械を作動させたのだろうかとロビンは思う。それが証拠なのか、女の顔は最初にクロコダイルを見たときとは違う蒼白さを見せていた。
鈴に関しては同じことをクロコダイルも考えていたようで、


「その鈴…まさかイカサマの…」

「ち、違います! これはその……ば、ばあちゃんの…形見で…」


女は視線を逸らし、まるで鈴の音を聞かれたくないかのように鈴を両手で隠した。揺らしてもないのに鳴る鈴は怪しいことこの上ない。
まさか『能力者』に反応しているのかとも思ったが、自分と会った時には鳴らなかったので、その案を却下しておいた。イカサマ道具が誤作動した…とも考えられたが、よく考えてみれば鈴でイカサマする原理が、いまいちわからない。

二人の訝しげな視線が伝わったのか、女は再び視線を上げた。
てっきり弁解するのかとも思ったがどうやら違うらしく、


「あ、あの…少しでいいんです。数日分、町で寝泊まりできる分だけ…お金を…その…貰えませんか…?」

「…それはまた突然だなァ、お嬢さん」

「ご、ごめんなさい…! 図々しいとは思うんですが…私もその…お金がなくて…」


ようやく言いたいことを思い出したのか、はたまた鈴から注意を逸らしたいのか…。女の言葉に、次第に必死さが増していく。


「お願いします! 私…わけあってここに来たんですけど、お金も泊まるところもなくて…困って……その…ごめんなさい…っ」

「それは認めるのか? イカサマしたことを」

「イカサマはしてません! これだけは本当ですっ!!」


「証明は…出来ないけど…」と女は小さく言って、そして黙り込んだ。

確かに、あの鳴り続けている鈴が、イカサマの道具じゃないと証明はできない。しかし、“何故鳴るのか”を女が話そうとしない限り、その証明は永久的に無理だろう。
そのくせ、「生活できるお金を下さい」と言うのだ。誰が聞いても虫のいい話だった。


「……」


しかし、ロビンは黙ったまま。

この事態の顛末を決めるのは、オーナーであるクロコダイルであって彼女ではない。
彼が「断る。今ここでお前を殺す」と言ったとしても、ロビンはそれに従い、それを見守るのみ。止める権利も、義理もない。


「…行く当てがねェのか」

「はい…ちょっと、まあ…いろいろ事情があって…」

「…いいだろう」

「……え…?」

「(……あら…?)」

「“今日からここに住め”」


一瞬、クロコダイルが発言した言葉の意味が解らなかった。

ロビンが目を丸くしている先で、淡々とした口調でクロコダイルはそう言う。彼の口から出た言葉が、まだどうにも信じられない。なにせ“こんなこと”は、今まで一度たりともなかったからだ。
この突然の提案には、目の前で青ざめていた女もかなり驚いたようで。


「…え、い、良いんですか…!!?」

「あァ…、おれの“気まぐれ”だ。ただし、気が変われば即追い出すが…構わねェな?」


それは、“いつ来るか分からない期限付き”の提案だった。しかし女は「有難うございます!」と即座に条件を飲んで、勢いよく頭を下げる。
ようやく少し血色が良くなった女の表情見て、クロコダイルは口の端をつり上げた。

…それは、ロビンがいつも見ているような、冷酷で、残忍な笑みとは少し違う…どこか人間味のある笑み…のような気がした。
もっとも、その感覚も“滅多にない事”だったので、正しいかどうかの確証は持てないのだが。


「…“支配人”…」

「…はい」

「コイツに部屋を用意してやれ」

「…わかりました。“オーナー”」


こちらが了承した事を伝えると、クロコダイルは悠然とした歩調で歩きだす。
すれ違いざまに


「……優しいのね」


と小さく皮肉を言えば、


「何、路頭に迷った“一般市民”を助けるのも、英雄の仕事じゃねェか」


いつもの口調で、なんとも利己的な…しかしどこか満足げな音で、クロコダイルはそう答えた。




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