砂漠に咲いた花

□夢路@
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ニコ・ロビンは微笑ましく笑って、目の前の“用事”に着手した。


「朝よ、起きて」


ベッドの上で寝ている塊に、そう優しく声をかける。
塊はもそもそと動きながら「う…うぅ…」と唸っていた。しかし唸ってばかりでなかなか目を開かないので、ロビンは次の手段に打って出る。
等間隔に設置されている窓のカーテンを“一斉に”開ければ、薄暗い部屋の中に光が差し込んで、部屋の中が一気に“朝”になる。
そうしてもう一度、声をかけるべく女の方を振り返ると、


「……」

「…?」


目の前の塊…正確には“布団から、首から上だけ出して寝ている女”は、何故か鼻を「すんすん」とさせていた。しきりに辺りの空気を吸い込むように、妙な呼吸をしている。
…何かを嗅いでいるのかとも思ったが、それにしては寝起きに妙な行動をとるものだ。

純粋にそのことに疑問を持って、ロビンは疑問を口にしていた。


「何をしているのかしら…?」


ひとしきり「すんすん」と犬か何かの動物のように匂いを嗅いでいたらしい女は、疑問を聞いてようやく閉じていた双眸を開く。
しかし、その視線はロビンの方向を向いてはおらず、まだ天井を見たままで。口を開いて出た言葉も、まるで独り言のようだった。


「いや、…におい…が…」

「匂い?」

「部屋に入った時と違うかな…って思ったんだけど…」

「思ったんだけど…?」

「…わからない…」


独り言に返事を返していくと、女もまた言葉を返していく。
しかし、女は「わからない」と言ったきり、口を閉じてしまった。もう先程のように「すんすん」と鼻を鳴らすこともなければ、ただぼーっとした瞳で天井を見つめているばかり。


「わからない…なんて、曖昧ね」

「…うん…、もう匂いが無くなったから、もしかして気の所為かも…って…………!!?」

「そう。…あら、おはよう」


女の黒目がついっと動いて、ようやくベッド脇に立つロビンの姿を捉えた。

相槌と、朝の挨拶とともに優しげな笑みを浮かべてみるが、視線の先で女は目を見開いて固まっている。心なしか、頬が引き攣っていて顔も青白くなったようにも見えた。別にこちらが“恐い”から、そんな表情になっているわけではないのだろう。…恐らくは。

一瞬で顔は蒼白になり、次の一瞬で飛び起きた女は、まだロビンを凝視している。何かを言いたげに口をパクパクさせて、少し「じりっ」と後ずさった。
しかもひどく動揺しているようで、何故か言葉の語尾に疑問符がつく。


「あ…っ、え、お、おは……おはようございます…!?」

「えぇ、おはよう」


あまりにも器用に青ざめているものだから、ロビンは穏やかに「にこっ」と微笑んでみた。女も笑えば、その青ざめた顔も少しはマシになるかと思ったのだが…。
勿論女の表情はまだ固まったままで、和らぐことはなかった。

…どうにも昨日から、女の青白い顔以外の色を見ていないと、ロビンはふと思う。

それは、クロコダイルに会った時は勿論、最初に上のカジノのフロアで声をかけた時や、この部屋に案内した時もそうだ。
常に不安や怯え、あるいは戸惑いを隠せていない顔色をしていた。

……まだ緊張しているのね…。まあ、無理もないでしょうけど。

彼女にとってここは“まだ見知らぬ土地”であり、ロビンたちは“見ず知らずの他人”なのだ。緊張していても当然、とロビンは考える。…それにしては、随分と青ざめ過ぎているような気もするのだが。


「…ゆ、ゆめ……」


まだ顔色の冴えない女は、ようやく小さくてたどたどしい声を絞り出した。
わずかに指をさしながら、何かを確認するように


「……ゆめ…だったんじゃ…?」

「えぇ、夢の時間は終わったわ。今は現実、朝よ」

「そっか…。ゆめじゃ…なかったんだ…」


最後は、恐らく自分自身に言ったのだろう。吐き出すように言った女の言葉が少し引っ掛かったが、しかしロビンは問わなかった。
それは昨日、彼女自身が言っていた「泊まるところが無い」という言葉の所為だったのかもしれない。
恐らく『ここに泊っていることが“夢じゃなかったんだ”』とでも言いたいのだろうと思って、深く言うことを止めた。

“殺されたかもしれない”運命が一転、“居候させてもらっている”のだ。「夢ではないのか?」と、疑いたくなって当然だろう。
女はそのまま、本当に夢なのか確かめるように、自分の頬を「むにっ」とつねっていた。勿論現実なのだから痛覚はあって、「いたい…」とぼんやり顔で言っている。


「さぁ、起きたところで着替えて頂戴。朝食に遅れるわ」


とりあえず女の夢確認は放っておくことにして、ロビンはそう言うとベッド脇に置いてあった白い袋の口を開いた。下手をしたら、人が一人入りそうな大きさのその袋の中に入っているのはすべて服で、何着か出してはベッドの上に並べていく。ロビンが服を並べていく動作を、女は茫然とした顔で眺めていた。

無作為に服を並べ終え、ロビンは口を開く。


「どれでも好きな服をどうぞ。全部貴方の服よ」

「……私の…?」

「えぇ、そうよ」

「あの…昨日の…、私の服は…どこへ…?」

「あぁ…、あれは洗ってるわ。今は無いの」


昨日女が着ていた、砂まみれで埃だらけの服は、昨晩のうちに洗濯に出したことを告げる。
それはクロコダイルの命令でもあったし、ロビン自身もそれが良いと思っていたから、特に疑問にも思わなかった。

ところが女の方はそれに不満があったようで、ベッドの上に置かれている服を「じぃっ」と見つめている。
かと思えば顔を上げ、


「あの、これ以外の服って…」

「ないわ」

「…そう…ですか…」

「フフフッ、何かご不満かしら?」

「え、いや……別に…」


女は言葉を濁すが、その顔は明らかに「並んでいる服に不満たらたらです。他のが良いです」と言っていた。
だから、というわけではなかったが、一応の補足説明を加えておく。


「これはオーナーが選んだものよ。文句があるなら本人に直接言って頂戴」

「…オーナー…?」

「えぇ、昨日貴方が会った、黒いコートの男よ」

「え!!? …あ、あの…あの人…ですか?」

「そう。うちのカジノのオーナーよ」


名前は出さなかったが、ロビンはクロコダイルのことを伝えた。しかし、名前は出ていなくても女にはわかったらしい。
昨日の記憶を呼び起こして、クロコダイルの外見を思い出しているようだった。そして「信じられない」という顔をし、何度も「あの人が…」と呟いている。
女が驚くのも無理はない。平然とした顔をしていたが、ロビン自身も信じられないのだから。

まさか“あの”クロコダイルが、女一人のために服を用意するなんて…。しかも、袋に何着も詰めるほど、たくさん。


「とにかく、ここにある服しかないの。着てくれるかしら?」

「う……うぅ…」


きっぱりと言うと観念したのか、女は少し悩んだ後に服を一着手に取り、着替え始めた。

女が出された服の変更を要求してきたのは、昨日の夜とで二度目だ。
今着ているパジャマを出した時も、同じように「これ以外の服は無いか」と変更してほしいと遠回しに言ってきた。勿論、「無い」と断ると渋々着ていたのだが。

“支給された服”と言うのが嫌なのかとも思ったが、


「あら、似合うわ」

「…そうですか…? …普段こういうの着ないので、慣れなくて…」


どうやら“着慣れない服”を出されたことに抵抗があるらしい。
とは言え、その服を『着る』しか女の選択肢は無いのだから、たとえ嫌だろうと着てもらわないと困る。

ようやく着替え終わった女に、ロビンはにこやかに言った。


「さぁ。行きましょう」

「うぅ……はい…」


腑に落ちない返事をしながらも、女はようやくベッドから絨毯の上へと降り立つ。それを、まるで小さい子供を褒めるように「そう、良い子ね」と言って、ロビンは歩いて行こうとした。
…しかし振り返れば、女は絨毯に縫いつけられたように動こうとはしていなくて。

彼女の顔はまた蒼白になって、窓の外を凝視している。

その視線の先に、バナナワニが数頭、悠然とした動きで窓の外を泳いでいるのが見えた。




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