砂漠に咲いた花
□生物
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前を歩く黒髪の女は、にこやかな声と微笑みで、さらりと言った。
「あれは“バナナワニ”よ。オーナーのペットなの」
「…ぺ、ペット…? …あれが…?」
「えぇ。とても凶暴で獰猛なペットよ。可愛いでしょう?」
「え、いや……はぁ…」
どう答えていいのか分からず、適当に相槌を打つ。
同時に思い出すのは、部屋の窓の外に見た、大きな生物の姿…。メダルの裏に書かれていた生物であり、この建物のてっぺんに乗っかっている生物…。
“頭の上にバナナの乗った、大きな大きなワニ”
それを窓の外に見て、悲鳴を上げることも忘れてななしが固まってしまっていたのが数分前。
「……」
まさか、あれが現実に生きている動物をモデルにしていたなんて…。
てっきりあの生き物が“マスコットキャラクター”だと思っていたななしは、内心でまだドキドキしている。
あんな巨大で、“バナナが乗ったワニ”なんて珍種…現実にいただろうか…。いや、ああして目の前で泳いでいたのだし、現実に存在しているのだろう。きっとななしが知らないだけなのだ。…そう思っておくことにする。
「貴方、バナナワニを見るのは初めて?」
「はい…。そもそもあんな大きなワニが、この世に生きているのも知りませんでした…。UMAもびっくりですね」
「ユーマ? フフフッ、面白いこと言うのね。“海王類”なの?」
「……カイオウ類…?」
○○類と言えば、爬虫類とか哺乳類とか、そんな分類しか知らないし習ってない。
「いえ…UMAは未確認生物のことですけど……それよりカイオウ類って…?」
そう疑問を言えば、女は少し驚いたような顔つきをした。
「バナナワニは知らなくても当然と思ったけれど…。海のない場所で育ったのかしら…? “海王類”も知らないなんて…」
「あ、あはははは……」
まるで“世間知らず”だと言われているようで少し心外だと思いながら、ななしは笑って誤魔化しておいた。確かにこんな砂漠とは縁遠い、コンクリートビルに囲まれた場所で育ってはきたが…。しかし海には何度か行ったこともある。
だが、あんなに巨大で、凶暴そうな生き物は、生まれてこの方見たことが無い。
そんな話をしようと思ったが、ここへ来た説明を求められても困るので、とりあえず黙っておく。
そのあと女は、少しだけカイオウ類に対する説明をしてくれた。…のだが、ななしには到底理解できるものではなかった。
とりあえず、
『海に棲む大きな生物で、カームベルトに巣がある』
ということらしい。言ってる言葉すらよく分からなかったので、要点だけ押さえてあとは頷くだけにしておいた。…でも、カームベルトってなんだろう…。
「あ、そうだ。一つ聞きたいんですけど」
これ以上“育った場所”を聞かれる前に、ななしは話を変えた。
前を歩く黒髪の女は特に気にもしていないようで、「何?」と尋ねてくれる。それに便乗して、ななしは質問することにした。
「あの、名前…教えてください」
「名前?」
「はい。…確か昨日、聞いてなかったなって…思ったんで…」
「………」
確かに、昨日は部屋に案内されてから、コートの男にもこの女にも一度も会っていない。
聞く機会もなかったのだが、ななし自身『名前』のことに気がついたのが寝る直前だったということもあって、次の日に延びてしまっていたのだ。
…本当なら出会ってすぐに聞くべき質問だったのだろうが、昨日はそれどころじゃなかった。何より恐かったし…。
尋ねたななしの視線をよそに、女は少し考えるように沈黙を持たせた。
「そうね…」と言ってから、小さく
「……ニコ・ロビン…」
「?」
「私はニコ・ロビンよ。ロビンと呼んで頂戴」
「…はい…、ロビン…さん」
「フフフッ、そこに“さん”はいらないわ。そのまま呼んでくれて結構よ」
「わかりました。私はななしって言います。改めて、よろしくお願いします。ロビン」
「えぇ。よろしく、ななし」
言い終えて「ぴたっ」とロビンの足が止まる。ななしも一拍遅れてその場で足を止めた。
「さぁ、着いたわ」
そう言う彼女の前には、ドアノブが中央に左右二つ取り付けられた、大きなドアがある。このフロアの地理を把握しきれていないななしには、当然どこがどの部屋なのか、まだ分からない。
しかし、目の前に現れたこの扉の部屋だけは、なんとなく分かる気がした。
他とは違う、比較的豪華な造りの二枚扉。重々しい雰囲気と、閉めていても外に伝わる緊張感…。
頭上にとりつけてあるプレートには『社長室』と書かれてある。昨日、ななしが落っこちて、背中を強打した部屋だ。
そして、ばあちゃんから貰った“鈴”が鳴った、男が待つ部屋でもある。
「…そう緊張しなくてもいいのよ」
「え、あ、……でも…」
「フフッ、まあ無理もないでしょうけど」
「彼、恐いから」と言うロビンの言葉に、ななしは共感を得て笑ってしまう。確かに、あの顔に「緊張するな」と言っても無理な話だ。
笑っていると、緊張が少しほぐれた気がした。その笑顔を見て、ロビンもほっと安心したように微笑んだのだが、そのことにななしは気づかない。
ロビンはノブに手をかけてドアを開こうとしたが、ふと、手を止めて振り返った。
「…そうだわ、ななし」
「え、あ、はい…!」
「“部屋の鍵”は、ちゃんと掛けた方がいいわよ?」
「? 鍵…ですか?」
ななしは首を傾げる。確かに部屋に気持ばかりの鍵は付いていた気がするが、昨日は着替えさせられたあと倒れるように眠ってしまった。…そういえば掛けるのを忘れてたっけ…。
そう思いながらななしが考えていると、ロビンは続ける。
「まあ“彼”には無意味なのかもしれないけれど…。でも、少しの時間稼ぎくらいなら出来るはずよ」
「えっ、あの、彼って…?」
「世の中にはオオカミがたくさんいる、と言うことね」
「あの…、彼って一体…」
「さぁ、行きましょう」
「……あの…」
疑問の声を上げるななしを無視して、ロビンは扉を開けた。