砂漠に咲いた花

□回想
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ロビンのあとに続いて部屋に入っていけば、下へと続く階段が延びているのが目に入る。その先には横に長い食卓テーブルが置かれていて、上座となる一番右端には


「遅ェぞ。何分待ったと思ってやがる」

「…あら、ごめんなさい? 彼女を連れて来たわ」

「あ…どうも…おはようござい…」

「挨拶はいい、早く座れ」

「……ます…」


昨日見た時と同じ、顔に縫い傷のある黒いロングコートの男が座っていた。機嫌が悪いのか元からなのか、険しい顔をして座っている。


「ご、ごめんなさい…ッ。すぐ座ります…!!」


ななしはロビンを追い越して、階段を先に降りていく。しかし、あまりに長い階段を駆け降りるのは、流石に朝から堪える。日ごろの運動不足も相まって、降りきる頃には少し息が上がっていた。
軽く息を整えながら、こちらを見ていた先客に尋ねてみる。


「あ、あの…、私の席はどこへ…?」

「どこだろうと構わねェ。好きな席へ座れ」

「…はぁ…」


そう返事してみるが、これだけの長い机だ。あまり遠すぎても失礼だろうし、逆に近すぎると今度はこちらが怖い。
指定のないことに戸惑い、少し考えてから、男の斜め前に座ることにした。
ここなら、遠すぎず近すぎることもないから大丈夫だろう。…多分。


「……あ、あの…」

「何だ」

「…おはようございます…!!」

「……あァ」


男は不機嫌そうな視線をよこしていたが、ななしの挨拶を受けるとその視線をついっと横へ流した。ななし自身は、遮られていた挨拶が出来たということと男が答えてくれたということもあり、無意識に笑顔になる。それを微笑ましく見ていたのはロビンだけで、男はまだ、こちらに視線を戻そうとはしない。

かと思えば、


「……昨日は」

「…はい?」

「昨日はよく眠れたか?」

「はい、おかげ様で。もうばっちりです」

「…そうか…」


ようやく視線を戻したかと思えばそんなことを言って、少し溜め息のような音を吐く。
何だろうとななしが小首を傾げていると、男は深く椅子に座り直した。そうしてまだ首を傾げているななしに、今度は少々雑に吐き捨てる。


「さっさと食え。冷めると飯がマズくなる」


気付けば、もう目の前に食器も朝食も並び終わっていた。前を見ればロビンが座っていて、こちらを見て「にこっ」と微笑んでいる。つられてななしも「へらっ」と笑っておいた。


「はい。いただきます…!」


両手を軽く合わせて、出された朝食を食べ始める。
パンをちぎって口に放り込みながら、


「(この人……思ってたより…怖くないのかも…)」


そんなことを、ななしはふと思った。
“この人”というのは黒コートの男のことで、ななしはちらりとそちらへ視線を流してみる。
昨日ここで会った時は『凄く怖い人』という印象だったのだが、今はその印象が妙に薄れてきている。…図体は大きいし、左手はフック船長だし、傷持ちだしコートなんだけど…。

しかし、全く素性の知れないななしに部屋を貸し、服を買い与え、朝食まで呼んで共にしているなんて、妙すぎる。

“こんな女一匹、置いていても大した害になどならないだろう”

と思っているのかもしれないが、それにしたって危険人物の可能性だってある人間を、わざわざ置くとは到底思えない。
最初にななしが申し出たように、適当に金銭を渡して、町から放り出せば済む話だ。…またはいっそ砂漠の砂に還した方が、余計なトラブルも出費も、せずに済む。
ななしは居候させてもらう方が何倍も有難いのだが、それにしたって…


「(怖くない。むしろ…優しい…)」


悪い人なら、“こんなこと”はしないんじゃないだろうか…。
まあ“善人の面をかぶるために、わざとやっている”のなら、話は違ってくるのだろうが…ともかく。

見た目の怖さと、処遇の優しさが反比例して、ななしは戸惑うばかりだ。


『いいかい、ななし。よくお聞き』


ふと、ばあちゃんが口癖のように言っていた言葉が、脳裏に浮かぶ。


『この鈴は、“運命の鈴”なんだ。ななしにとっての運命の相手を、必ず見つけてくれる。きっと、引き合わせてくれるんだよ』


あんなボロボロで錆ついた鈴が鳴るなんて、到底思えなかった。だから子供の頃は『昔話のような架空の話』だとばかり思っていた。
…正直、この歳になるまではずっとそうだと思っていたし、昨日“鳴った”という現実を目の当たりにした今でも、まだ『お伽噺であってほしい』と願っている。小さい頃は「素敵」だとか「凄い」とか思っていたが、いざ現実になると、まったくもって冗談じゃない。

夢は夢のままで、とはよく言ったものだ。

…人間って、有り得ない夢が現実になると、やっぱり夢であれって思うもんなんだなぁ…。


「……」

「…」


この“住宅街から砂漠の国に迷い込んだ”というメルヘンでファンタジックな体験と同じで、鈴の件はまだ信じられない。
…ここまで信じたくないのには、れっきとした理由があって。
ばあちゃんの話には、続きがある。


『もし鈴が鳴ったら、必ずその人と結婚するんだよ、ななし』


どこまでが現実か解らない、夢物語のような話が。


『そうじゃないと“呪われちゃう”からね。四六時中一緒にいて、決して離れないようにするんだよ。いいね?』

「……!!!?」


ななしは、自分の顔が青ざめていくのを感じていた。
思い出していた記憶の中では、「この鈴がばあちゃんとあの人を引き合わせてねぇ…」といつものじいちゃんとの出会いの話が始まろうとしている所だ。それを強制的にフェードアウトさせながら、ななしは味のしなくなったパンを飲み下す。

鈴が鳴ったという事は、これは紛れもない現実と言うことで。
現実と言う事は、ばあちゃんの言ったことも、現実だったということで。
呪いの話も…恐らく本当のことで。
…と言う事は…

この人と…けっこ…ん……しないといけないってこと…なの?


「…どうした? おれの顔に何か付いてるのか?」

「え!?? あ…、いや…あの…っ」

「そうじっと見られていては、おれも食事が出来ねェな」

「あ、いや、あの、ご、ごめんなさい!! なんでも…何でもないんです! 本当に!!」


「本当に」なんて強調したら、「実は何かあるんですよ」と言っているようなものだが、もう口から言葉が出てしまったのだから後の祭り。ななしは自分の顔がみるみる赤くなっていくのを感じていた。青ざめていた顔が一転、今は火を吹かんばかりに真っ赤だ。

どうやら鈴のことを考えているうちに、男の顔を凝視していたらしい。それを指摘され、皮肉の一つも言われて、ななしは恥ずかしさですぐにでも走り去りたい気持に駆られた。穴があったら入りたい、とは、正にこのことなのだろう。
しかし残念なことに入れるような穴はどこにも開いておらず、まだ食事も途中。

出された食事を放り出してしまうのは失礼だと、パニックになった頭でそう考えて、ななしは残りの食事を済ませることにした。指摘されたことから、真っ赤な顔を見られることから逃げるように、食事に没頭する。

もくもくとサラダやパンを口いっぱい放り込んで咀嚼する様は、まるで“小動物の食事風景”のそれだ。しかしそれに気付くのは残りの二人だけ。ななし本人は、勿論それに気づく余裕すらない。


「急いで食べると詰まるわよ」

「クハハハハ。その通りだ」


なんて言っている声さえ、今は遠い気がする。
もぐもぐ咀嚼を繰り返し、ようやくサラダの塊を飲み下した。


「ごちそうさまでしたッ!! とても美味しかったです!」


感謝の言葉と、手を合わせることも忘れない。
ななしは急いで席を立ち、早歩きでその場を立ち去ろうとした。今はとにかく、二人の傍にいたくない。特に、この男とは…。
元気良く「部屋に戻りますね!」とななしは言って、一礼してからテーブルを迂回しようとする。


「待て」


だが、男の背後を通り抜けようとした時、短くそう呼びとめられた。


「……!!?」

「まだ、てめェの名前を聞いてねェな…」

「あ、あの、私はななし…です。……貴方は…?」


本当は、すぐにでもこの場を立ち去りたい。しかし名前を聞かれた以上、聞き返さねば失礼だ。それに、昨日聞きそびれたこともある。ななし は逃げ出したい気持をこらえて、男に名前を尋ねた。
緊張からか、ななしの心臓が次第に早く鳴り始める。
鈴の事や、ばあちゃんの言った事を考えていた所為もあったかも知れない。一瞬、これが男を“意識している”のだと、錯覚しそうになる。

違う! これは緊張と、恥ずかしいからなの!


「…クロコダイル。サー・クロコダイルだ」


そんなななしの叱咤を消すように、低く空気を震わせて男は言った。


「く、クロコダイル…さん、ですね!? 分かりました! じゃあ私は部屋に戻りますね!!」


用件は済んだ。一刻も早く、ここを立ち去ろう。

声を大きくして「部屋に帰ります」と宣言すれば、男…クロコダイルは短く「あァ」とだけ言った。背もたれの影になって見えなかったが、ライターを擦る音が聞こえた辺り、一服しているのかもしれない。

その時、「ふわり」と鼻をついた匂いを、ななしは知っていた。

今朝、ベッドの上で嗅いだ匂いに、それは似ていて。
一体何故その匂いがするのかを階段に差し掛かったななしが考えた時、再度男が呼びとめた。


「ななし」

「は、はい! 今度はなん…」

「その服、似合ってるじゃねェか」


振り返った時に、クロコダイルが葉巻を咥えた口を不敵に歪めたのが見えた。その表情と、柄にもなく褒められたことに、顔の温度はまた上がって…。

ななしは90度かと思うほど深々と勢いよくお辞儀して「ありがとうございます!!」と言うと、息が上がるのも忘れて一気に階段を駆け上った。
そしてそのまま部屋まで全速力で駆け帰った所為で、ベッドで死にそうな呼吸をする羽目になる。

“何故、葉巻の匂いがしたのか”

その疑問は、まだ当分思い出されることは無かった。



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