砂漠に咲いた花

□王宮
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ななしは、開いた口が塞がらなかった。

とりあえずその口に出されたクッキーなんかを詰め込んで塞いでみたが、視線はまだ辺りをきょろきょろと見回している。傍から見れば挙動不審この上ないのだが、だって“初めて”なのだからしょうがない。…ということで許してはもらえないだろうか…。


「…紅茶のおかわりはいかがかな?」

「……あ…、いただきます…」


虚ろにそう言うと、空になったカップを持って目の前の席から男が立ちあがる。白い装束を着た男…ペルは少し離れた場所まで移動し、何度目かの紅茶を淹れに行った。
ペルが席を立っている間、彼の隣に座っていたエジプトを思わせる風貌の男…チャカが「クッキーばかりだと喉を詰まらせるぞ」と優しく忠告してくれる。それに、まだ「ほけーっ」と辺りを見回していたななしは「ありがとう…ございます…」と実の入っていない返事をした。

ここは、『アラバスタ王国』というところの首都、アルバーナ宮殿内応接室。

“日本じゃないどこか別の国だろう”と前々から思ってはいたが、まさかここが王国だったとは思わなかった。
『王国』だの『宮殿』だのと付く通り、部屋の天井は高いし、辺りは豪華そうな装飾品だらけ。そんな中に座っているだけで、ななしは場違いなんじゃないかという気持ちになる。

…何故、こんな場違いな雰囲気を味わう羽目になったかと言えば。


『おれは少し用がある。だから、コイツの面倒を一日見てもらえねェか』


などと、如何にも“営業スマイル”という顔で言ったクロコダイルの所為だ。

いつも見る笑顔とは違う、かなり嘘臭いスマイルに一瞬鳥肌が立ったが、そこはあえて口に出さないでおいた。クロコダイルの有無を言わせぬ威圧感のようなオーラが、口を挟むことを拒んでいたような気もする。

朝一番、ロビンに“布団返し”の技で叩き起こされたのに始まり、頭が働かないまま有無を言わせず荷物をまとめさせられた。そうして朝食もそこそこに、陸を走るバナナワニ…Fワニと言う生き物に乗せられて、アルバーナ宮殿に連れてこられて現在に至る。


「(クロコダイルさん……ずるい…)」


ななしはそう心の中で呟き、ポケットから鈴を取り出す。

鈴は相変わらず肌身離さず持ち、ずっとポケットの奥にしまってはいた。
居候を始めてから数日は、クロコダイルに近付くたびに鳴っていたように思うのだが、しかし最近ではぱたりと鳴らなくなってしまった。…それが鈴の鳴る理由を聞かれなくてもいいとほっとする半面、なにやら寂しいと思ってしまう気持ちも、無くは無い。


「………」


まだ鈴に視線を落したままで、ななしは考える。
移動中、バナナワニに揺られながら、疑問を何度か投げかけてみた。

『どうして出かけなくてはならなかったのか』

『クロコダイルの言う“用”とは、一体何か』

…しかしクロコダイルは一向に答えようとはせず、黙って葉巻をふかすばかりで。次第にその沈黙が答えのような気がしてきて、ななしの方が聞くのを諦めてしまった。

いくら口を尖らせてみても、腑に落ちない顔をしても、クロコダイルが折れて口を開いてくれることはなかった。
ただ一言、

「明日、必ず迎えに行ってやる」

と言うだけで。


「(ずるい…。そんなこと言われたら、何も言えなくなる…)」


何か“言いたくない”事情があるだろうということは、なんとなく想像している。
だが何か理由があるにしても、いきなりこんなだだっ広い宮殿に連れてこられて、しかも一人置いていかれて、寂しくないわけがない。ななしがどんな気持ちで走り去っていくバナナワニを見送ったのか、帰っていったクロコダイルは知らないだろう。

確かに、明日になれば迎えに来てくれるのかもしれない。

でも今は、明日までの時間がとても長く感じてしまう。
どうしても、あのカジノの地下の…彼のいる部屋に、“帰りたい”と思ってしまうのだ。

これは、ホームシックと言うのか、“クロコダイルと離れる”ことに寂しさを感じるのか…。


「(…きっとホームシック…だよね…)」


別に、離れることに寂しさを感じてなんかない。

多分ようやく住み慣れてきた土地から、まったく知らない…というかこんな豪華すぎる宮殿に連れてこられて、カジノの地下が恋しくなってるだけなんだ。…あそこも大概慣れないけど、それでもここよりはだいぶマシだ。まだトラップの作動場所が把握できずにいるし、バナナワニはまだ恐いけど。


「…クロコダイルさんと離れて寂しいか…?」

「…!!?」


“クロコダイル”という単語につい反応して顔を上げると、こちらを窺うように投げられた視線とぶつかった。ペルはいきなり顔を上げたことで少し驚いていたようだが、こちらはそれどころじゃない。
まるで心を読まれていたような言葉に、恥ずかしさで顔が赤くなる。


「や、あの…っ、べ、別に…そんな寂しいわけじゃ…」

「寂しいのも無理はないが、あの方は王下七武海の一人。何かと忙しいのだ」

「……?」

「? どうかされたのか?」

「いや…オウカシチブカイって、なんのことかなって…思って……」


そうななしが言うと、目の前に座った二人は言葉を失って顔を見合わせていた。その顔には二人ともが「知らないなんて信じられん」と書いてあって、ななしは「すみません知らないもんで…」と苦く笑いながら補足しておく。

…どうしてロビンもこの二人も、聞き慣れない単語を聞いただけで言葉を失うほどに驚くのだろうか。ななしとしては、その反応の方が驚きだ。


「…王下七武海とは、“政府公認の海賊”のことだ」

「“海賊に対してのみ略奪行為を許された海賊”として、度々アラバスタの民を守ってくれている。あの人は英雄と呼ばれ、民から慕われているのだ」

「!!? …か…海……海賊…っ!?」


ななしは目を見開いて驚いた。つまり、クロコダイルは
職業は『海賊』で、しかも『政府に認められいてる海賊』で、それは『オウカシチブカイ』で、アラバスタ国民を守って『英雄』と呼ばれている。
ということになる…のだろうか。

もっとも、クロコダイルが“誰かの下で働いている”という図式が想像できないのだが、二人ともが言うなら真実なのだろう。…意外性は抜群だが。


「…あれ…? でも“海賊”ってくらいだから、どこかに仲間がいたりするんですか?」

「……いや、あの方は常に一人だったはずだ」

「一人!? 大勢相手に一人じゃ危ないじゃないですか!!」

「…クロコダイルさんは“能力者”だ。恐らくこの砂の地で、あの方に敵う者などいはしない」

「そもそも七武海加盟には、知名度や実力も必要になる。七武海に入っている時点で、その辺の海賊どもには負けぬだろう」

「…そう…なんですか…?」


頷きながら、ななしはひとまず相槌を打っておくことにした。どうやらクロコダイルの他にも海賊はたくさんいるようだが、その点はひとまず置いといて。
とりあえずクロコダイルが一人でも負けないであろう理由は分かったが、まだ疑問は残っている。

ペルの言った『能力者』という単語だ。
それも聞いておこうと思ったのだが、二人が声を上げる方が早かった。


「しかし驚いた」

「…いや、まったく」

「? 何が…ですか?」


ななしはそう聞きながら、ぬるくなった紅茶に口を付けた。どうせ「知らないことが多すぎて」とか言うんだろう…と思っていたのだが。


「すまない。あまりに意外だったもので、つい…な」

「同感だ。まさか“あの”クロコダイルさんに」

「貴方のような、“付き合っている女性”がいるとは……」


ぶッ!!!?


聞き捨てならない単語に、ななしは紅茶を噴く。もっとも、まさか高級な絨毯やソファに噴きかけるわけにはいかないので、カップの中で泡を立てておくにとどまった。

“付き合っている”という単語にまたみるみる顔の温度が上がって、二人の方を見る頃には耳まで真っ赤になっていく。


「ど、どどどうしてそんな話になるんですか…!!」

「…違ったのか?」

「我らはてっきりそうかと…」

「ち、違いますよ!! 全然違います!!!」

「しかしあの方が女性を連れてくることなど、今まで一度も無かった」

「親密な間柄…ではないのか?」

「違います! 私はただの居候で、別に付き合ってなんか…!」

「しかし先程、何やら見ていたようだが…」

「これはばあちゃんの形見で、別に貰ったとか思い出してたとか、そういうわけじゃありません!!」


…まあ、“思い出していた”という点は事実なのだが、この際なのでその辺も否定しておく。

しかし、そこまで言ったところでななしの顔が何かに気付いたように「はっ」となった。と同時に青ざめると言う器用さも見せ、油の切れたロボットのように「ぐぎぎぎ」と音が出そうな動作で鈴へと視線を落とす。
…忘れていた。


『鳴った相手とは、離れないようにするんだよ。そりゃあもう四六時中ね』


ばあちゃんの鈴には、“守るべき約束”があったんだった。


『多少離れていても平気だろうけど、距離が離れすぎたり半日以上離れたりすると“呪われて死んじゃう”から、なにがなんでも一緒にいなきゃダメだよ!』


「……私…帰ります…」

「? どうしたのだ、突然」

「クロコダイルさんには明日迎えに来るまでいるようにと言われていたはずだが…、良いのか?」

「…ちょっと“急ぎの野暮用”を思い出したので、この辺で失礼したいんですが…」


随分と覇気のない声でそう言うと、ペルとチャカはしばらく黙り、そうして立ちあがった。


「急ぎ戻るとなると、超カルガモ部隊を使うか…」

「なら私が行こう。途中のサンドラ河からは、私が運ぶ」

「…すいません、急に…」

「良いのだ。急ぎの野暮用ならば仕方あるまい」

「それよりも、勝手に帰ってななしが怒られはしないかの方が心配だ」

「……二人とも、優しいですね…」


急に「帰りたい」なんて無茶な要望も叶えようとしてくれるなんて、二人はなんて良い人なのだろう…。

帰宅の準備をしてくれる二人に、ななしは少し感動してしまう。
今日クロコダイルがいきなりやって来て「コイツの面倒を見ろ」と言った時も言葉には一瞬だけ詰まったものの、それでも嫌そうな顔はしなかった。

きっと、二人はとても優しいのだ。
優しくて、そしてとってもお人好しなのだろう。…初対面でこんなことを思うのは、失礼極まりないと思うが…多分間違ってない。

そして今日の手馴れたクロコダイルの手口から、頻繁にそういう“優しさ”が利用されているんだろうとななしは思ったが…。今は素直に礼を述べておく。
二人は「超カルガモ部隊を呼んでくる」と言って席を立ち、応接室を出て行った。…カルガモに超が付くってどういうことだろう…。そもそもカルガモって、あの小さい鳥…だよね…?


「……」


ななしはもう一度、鈴に視線を落とす。

確かに、「迎えに来るまでここにいろ」と言われていた。それを破ったら睨まれるだけじゃ済まないだろうことも、容易に想像できる。移動中のクロコダイルの沈黙が、ここにいなくてはならないことの重要さを物語っていた。

だが、それでは駄目なのだ。


「…離れたら、私……死んじゃう…」


是が非でも、戻らなくてはならない。
鈴が鳴った時点で、ななしはクロコダイルと離れてはいけなかったのだ。



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