砂漠に咲いた花

□相違
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いつもと変わらず脱衣所から出てきたななしは、


「……!!!?」


自分でも驚くほどの反射力で、開けたドアを勢いよく閉じた。


「(あれ? …いま……今何か…)」


心臓は急激な運動でバクバク言っていて、頭は突然な出来事に一気に混乱していた。まだ当分、その混乱から抜け出せそうにない。
まるで手のひらが溶接されたようにしっかりと両手でドアノブを握りながら、ななしは精一杯考えた。

ドアを開けた時、そこに広がっていた光景を懸命に思い出す。ここに入る前と後で、違っていた光景を考えてみた。…思い当たるものは、生憎と一つしかないのだが。

“アレ”が記憶の捏造、あるいは見間違いでなければ、今、確かに “見覚えのある影”を見たような…。


「………」


試しにもう一度、そっとドアを開けてみた。少しだけドアを開け、その隙間から部屋を覗いてみる。

やはりと言うか、その部屋には“見覚えのある影”がいて。

クローゼットを閉めてから窓の外を泳ぐバナナワニの方を見、いつもそうであるように葉巻をふかしていた。


「……!!?」


そうしてななしが失った言葉を探している間、窓の方を向いていた“影”がゆっくりと視線を流し、こちらを向く。
その顔には「この部屋にいるのは至極当然」と書かれているようで、それが証拠か覗きこんでいるななしを見て「出てきたか…」と短く言った。

勿論、再びななしが勢いよくドアを閉めたのは言うまでも無いことで。


「な……なんで居るんですかぁっ!!!」


小さな空間で反響するのもお構いなしに、ななしは割れんばかりに叫ぶ。思いっきり叫んだ所為で、脱衣所の中で自分の声が反響して耳が痛くなった。だがしかし、今はそうも言っていられない。

顔には一気に血液が上がって真っ赤になり、心臓は再び早鐘を打ち始める。


「…“なんで”……だと…?」


一方、突っ立っていたクロコダイルは、ななしの叫びを聞いて疑問の声を出した。ドア越しで顔は見えなかったが、声音からすると「妙な反応しやがる」と言う感じだ。

そのクロコダイルの反応に、ななしは勢いよく噛みついた。


「そうですよ! なんで居るんですか!? クロコダイルさん…嘘つきましたね!!?」

「あァ? おれは嘘なんざ…」

「ついてますよ!! ……“部屋には入らない”って言ったじゃないですか…!!」


そう。クロコダイルは確かに言った。
部屋に帰ってくる前…正確には“定例会”とやらが終わって廊下で話した時。

『部屋には入らねェ』

と、そう言った言葉を信じたのに…!
自分が部屋に入った時は廊下に立っていたから、入ってこないと思っていたのに…!

ななしはドアの向こうで憤慨し、裏切られたような気持ちでいっぱいだった。


「……嘘はついてねェ」


わずかに不機嫌そうな声を混ぜ、クロコダイルは言う。しかし頭に血の上ったななしは、再び噛み付こうと口を開きかけた。


「!! まだそんなこと……」

「第一、おれは“部屋”には入ってねェ」

「言うんで………え…?」

「感情に任せて“嘘つき”呼ばわりされる覚えはねェな、ななし」

「え……ちょ、ちょっと…」


ちょっと待って!?

ななしはもう一度、ゆっくりとした動作でドアを開けて目だけを覗かせ、クロコダイルを見た。向こうもこちらを見ていたようで、必然的に目が合う。
いつものように葉巻を咥えているその顔には、“疑問”の色が塗られていて。何故ななしが怒っているのかが分からない…そんな表情にすら見える。
その表情を見て、ななしの脳裏に一つの考えが浮かんだ。…それは、出来ればあまり想像したくなかった考えで。

もしかして……いや、恐らく、クロコダイルの言う“部屋”と言うのは……


「まさか、クロコダイルさん…」

「あァ?」

「廊下で言ってた部屋って…“この部屋”のことだ! …とか……言わないですよね…?」


視線を落とし、目で“今自分の立っている空間”を指して恐る恐る言ってみた。するとわずかばかり片方の眉を上げたクロコダイルが、平然とした声で告げる。


「他に何がある」

「っ!!! こ、ここは“脱衣所”って言うんですよ!! 部屋じゃないです!!」

「建物にある空間は“部屋”と呼ぶじゃねェか。…知らねェのか?」

「だ、だとしても脱衣所とか洗面所って言いますよ…!! 曖昧に“部屋”だなんて…私はてっきり、“私の部屋全体”のことだとばっかり…」

「? …つくづく妙なことを言いやがる。部屋に入らず、どうやって服を選ぶって言うんだ?」

「うっ……ま、まあ、それはそうですけど…!」


確かに、その疑問はななしの中にもあった。
しかしクローゼットに詰められている服を持ってきたのがクロコダイルだったと言うこともあって「きっと服を覚えていて、言葉で指示するのかな?」などと勝手に思ってしまっていたのだ。
…あの時…廊下で何故その疑問を口にしなかったのかが悔やまれて仕方ない。
まあ今となっては、すべてが遅いわけだが。

もっともらしいことを言われて言葉に詰まるななしを眺めながら、クロコダイルは溜め息交じりに吸い込んだ煙を吐き出して。


「……いつまでもそこにいると風邪を引く。さっさと服を着ろ」

「!!? だ、誰の所為でこうなってると…」


「思ってるんですか!!?」とななしが噛みつくより早く、黒いロングコートを翻してクロコダイルは踵を返した。
そのまま悠然とした調子で歩いていくと、ドアの前でぴたりと止まる。


「用件は済んだ。おれは部屋に戻る」

「……あの……ほ、本当に…」

「…なんだ、信用してねェのか」

「あ、いえ…別にそんなわけじゃ…」


「ないんですけど…」と尻すぼみにぼそぼそと言うななしに、背を向けたままのクロコダイルは溜め息をついた。

別に信用していないわけではない。

むしろ“そんなこと”をしない人間だと、ななしは今でもクロコダイルを信じている。
しかし、約束破り(正確には言葉の勘違い)があった今、100%信じきるのは無理そうだ。どうしてもクロコダイルに対して警戒心が先に出てしまうし、言葉を疑ってしまう。
…まあ「部屋に戻る」と言ったら「戻る」以外に、取りようがないのだが。


「………」


そして、恐らくそれを感じ取ったのだろう。
クロコダイルが小さく、


「…くだらねェことを考えてる暇があったら、さっさと着替えて“鍵かけて”寝ろ」


わずかに吐き捨てるようにそう告げて、開けた扉を乱雑に閉めた。

次第に遠ざかっていく足音を聞きながら本当に戻ったらしいことを確認し、ようやくななしは脱衣所から出てくる。
そうして恐る恐るベッドまで移動して視線を移すと、ベッドの上にはちゃんと寝間着と翌日の服が丁寧に広げて置かれていた。…相変わらずななしが好んで着たくない服が見事に選ばれてあったのだが、それはひとまず置いておいて。


「(…怒らせた…かな…)」


それらを眺めながら、ななしは思う。
そりゃあ誰だって疑われるのは気分が悪いだろうし、結果だけを言えばななしの勘違いだったわけだ。…まあクロコダイルにも原因はあるのだが、それにしても最後まで疑ってしまったのは少し申し訳なく思う。

あの言い方は、まるで“私を襲う気があるでしょう!”って言ってるようなもんだ。


「飛躍しすぎに自意識過剰…だよね…」


ななしは自分の考えに自分で否定をしておいた。

いくら“ばあちゃんの鈴”が鳴った相手だからって、いきなりその考えに結びつけるのはいただけない。そもそもその考えだって、相手にその気が無ければ意味のないことだ。
確かにクロコダイルは優しいが、それとこれとは別問題である。


「……とりあえず…」


少し寒くなってきた肌を何とかするため、ななしはようやく用意された服を着ることにした。
それから、


「…謝りに行こう……」


きっとまた「おれは寝ろと言ったはずだが」とでも言われて怒られることは、容易に想像できる。本当なら、明日朝一番に謝るのが得策なのだろう。
しかし明日では、きっと言い出しにくいと思うのだ。…案外そんなことも無いのかもしれないが、しかし謝るのは何だって早い方がいいに決まってる。


「(だって…気まずくなるのは嫌だし…)」


出された服を着ながら、ななしは即座に行動に移すことを決めた。




……………
………





オフィサーエージェントたちが一日泊まることになり、ロビンが各部屋に案内し終えて自室へと戻る途中。


「(………あら…?)」

「だからあの…さっきはすいません…」

「…おれは“さっさと鍵をかけて寝ろ”と言ったはずだが…?」

「(……何をしているのかしら…)」


クロコダイルの部屋の前で、ななしとクロコダイルが何やら話しているのが見えた。
内容はよく分からなかったが、どうやら会議のあとななしの部屋に帰って“何か”あったらしい。


「あ、いや、そうなんですけど……やっぱり先に謝っとこうと思って…」

「……」

「さっきはちょっと動転してて…変に疑ってごめんなさい」

「…それでわざわざ来たのか」

「まあ……明日だと言いにくくなるかなぁって…」

「それにしたって、“その格好”はねェだろう」

「(確かに…“あの格好”では出歩かないほうがいいわね…)」


クロコダイルも呆れながら言い、ロビンも密かにそう思った。

今のななしの格好は“寝間着”なのだ。
確かに夜に着る服としては正解だが、動き回る格好としては不正解だ。そして“男の前に出る格好”としては少し…いや、かなり間違っている。

まあ“ななしがクロコダイルを誘いに来た”というならあの格好も納得できるけれど、流石にそこまでは飛躍しないわね。


「いくら“居候”とは言え、他人…仮にも男の前に簡単に出る格好じゃあねェな」

「え、あ……ご、ごめんなさいっ。でもこれ、クロコダイルさんが選んだ…」

「あァそうだな、よく似合っている」

「う……っ」


自分で墓穴を掘ったと言いたげな顔で、ななしが言葉を詰まらせる。それを喉の奥で笑いながら、クロコダイルが告げた。


「まァ、いつまでもそんな格好で歩き回ると風邪を引く」

「あ、はい…。あの…さっきは……」

「いいから『もう寝ろ』、何度も言わせんじゃねェ」

「………」

「…もう気にしてねェ」

「……そう……ですか…」


「良かった…」とほっとした顔でそう言ったななしが、「では、おやすみなさい」と一礼して部屋へと帰っていく。
その後ろ姿を見えなくなるまで眺めていたクロコダイルも、溜め息を一つ吐いて部屋の扉を閉めた。


「………」


二人の状況もそこに至った経緯も、よく分からない。
しかしその様子を眺めていたロビンは、いつもと変わらぬ温かな笑みを浮かべて


「(フフフッ、若いのね……)」


自室へと帰るための歩みを再び進めながら、そう思った。



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