砂漠に咲いた花

□遠出
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“それ”が来たのは、もう何週間も前のことだった。

届いた“それ”が指定する厄介な場所へ向かうため、渋々ながらクロコダイルは朝一番に社長室を後にしようとしていた。彼の傍らには、“仕事”の簡単な引き継ぎをするためにロビンがいる。
しかし“仕事”とは言ってもそれは書類関係が殆どで、水面下で進む“計画”に関しての引き継ぎは特にない。つまりそれは、手放しでも事は進んでいくことを示していた。

そうして二言三言、クロコダイルと会話していた時。上の方で扉の開く音がして、社長室に見慣れた影がひょっこりと顔を出す。


「あれ……おはようございま…す…?」


入ってきたななしは、こちらを見てから語尾に疑問符をつけた。少しばかり気まずそうな顔つきになったので、恐らくクロコダイルとロビンの会話を邪魔しただろうかと思っているのだろう。
大人二人が至近距離で会話している様に、何か特別な関係があるんじゃないかと考えたのかもしれない。

まあ…仮にそう考えたとしても、それは杞憂なのだけど。

クロコダイルとロビンの間には、仕事上の付き合い以外の何も無い。そこに妙な関係を見てしまったと思ったとしたら、それはとんだ誤解だ。
二人は互いに意識などしているはずがないし、そもそもクロコダイルは…


「随分と早いじゃねェか、ななし。まだ朝食までは時間があるはずだろう」

「あ、まあ…。ちょっと早く目が覚めたので、何か手伝えないかなって…思ったんですけど…」


ロビンが意識を戻すと、相変わらず口の端に笑みを浮かべたクロコダイルがまだ階段上にいるななしに声をかけていた。一方のななしは、まだ下りてもいいものか自問自答しているような顔つきで「お邪魔…でしたか…?」と言っている。


「(邪魔ではないでしょうけど、少しタイミングは悪い…かしら…?)」


二人の会話を微笑ましく聞きながら、ロビンはそう思った。
クロコダイルがななしを無下に扱うはずがないし、“計画”の話をしていないのに「邪魔だから出ていけ」などと言うはずもない。
来ることに関しては、何の問題もないのだ。…ただ一つだけ問題があるとすれば、それは“来たタイミング”だろうか。

今のななしは、出かけようとするクロコダイルの足を確実に止める存在だ。
そうでなければ、わざわざクロコダイルが“ななしが来るであろう” 時間以前にここを発とうとするはずがない。本人にその自覚は恐らくないだろうが、足を止める“原因”を遠ざける、一種の本能だったのではないかと思う。
…まあ指定の場所までは遠いので早く出るのは当たり前なのだろうし、例えその行動が本能だったとしても「早く目が覚めた」という予想外には対応できなかったようだが。

ななしはまだ階段を下りて来ようとはせず、むしろ少し後ずさりしている。出てくる言葉も行動と同じようなもので、どうやら部屋から出ていくつもりらしかった。


「邪魔みたいなので、またあとで来ます…」

「いや、構わねェ。もう出る所だ」

「…え……、また…出かけるんですか…?」


「出かける」という言葉に、社長室を出ようと踵を返しかけたななしの足が止まる。
そうして心配事があるような不安げな顔つきで、クロコダイルへと視線を投げた。それにクロコダイルは少し間を置いてから、やや投げやり気味に返事をする。


「……あァ」

「(やっぱり…タイミングが悪かったわね)」


折角渋々ながらに行くことを決めたのに、案の定ななしの発言一つでクロコダイルの足が止まりかけていた。まあ彼が行こうが行くまいがロビンにはどちらでもいいことだが、本人にとってはそうはいかないだろう。

なんたって彼の肩書きは『アラバスタの英雄』だ。
民衆も政府の目も誤魔化しておくには、下手に断るより応じて「良い子」でいた方がいいに決まっている。とはいえ元より海賊なのだから、応じなくても「海賊だから仕方ない」で済まされそうなものだ。
しかし迷った末に応じることにしたのは、面倒ながらも“それ”に応じることで少なからずの利が生まれると感じたからだろう。もっとも、最後まで至極面倒臭そうで、苦虫を噛み潰したような顔をしていたが。


「…あ、あの…っ」

「……?」


扉の前でそう切り出したななしは、かと思えば少し慌ただしい様子で階段を駆け下りてきた。そうしてクロコダイルの元へとやって来て、少し上がった息もそのままに一言。


「私も…連れて行ってもらえませんか…?」

「………」

「(まあ…)」


ひどく言いにくそうに、しかしはっきりと、ななしはその言葉を口にする。胸の前で握られている両手は固く、彼女の意志の強さを物語っているように思えた。

しかし、彼女は“知らない”のだ。…だから、そう言った無茶が言えるのだろう。
何故なら、彼女が行きたいと言った場所は……


「おれは遠足に行くんじゃねェんだ。遠出がしてェなら、またアルバーナにでも連れて行ってやる」


「クハハハ」と独特に笑いながら、クロコダイルはそう皮肉を漏らす。その言い方は、明らかにななしを連れていくのを拒んでいるように聞こえた。そしてロビンも、その意見に賛成だ。
いくら彼女が「行きたい」と言っても、その場所は安易に一般人が行ける場所ではない。仮に「行く」ことになっても普通なら委縮するだろうし、行ってくれと頼まれたって断るだろう。

だがそういったことを“知らない”ななしは、依然としてクロコダイルを見上げたままで。


「別に、どこかに出かけたいわけじゃありません…!」

「なら何故言った…? 言い出したからには、それなりの理由があるんだろうな」

「……その…私……よく“知らなかった”ので…」


少しだけ目を伏せたななしは、ぼそぼそと言いにくそうに続ける。


「“この間”…お世話になってるのに、“何も知らないんだ”って気付いたんです」

「……」

「だから、もう少し知ろうと思ったんです。クロコダイルさんのことも、ロビンのことも!」

「…だから連れていけと…言いてェのか」

「はい。無理を承知でお願いします、連れて行って下さい…っ!」

「………」


次第に言葉に力がこもってきたななしとは対照的に、未だクロコダイルは乗り気ではない顔つきをしていた。しかし見上げるななしの瞳は、そこに確かな意思を持っているように見えて。

「断っても、連れて行くと言うまで食い下がります!」と無言で訴えているように感じた。


「(「どうしてもついて行きたい」なんて…、“この間”から随分と積極的になったのね)」


“定例会”に事故とは言え乗り込んできたあの件以来、どうにもななしが積極的になったようにロビンは思う。彼女の顔つきが少し変わったと言うか、はっきりと意思表示をして来るようになったと言うか。

それがすべて“知りたい”という点に繋がるのだとしたら、納得がいく。

つまり、“意識し始めた”と言うことなのだろう…とロビンは解釈していた。しかもそれを隠さずにおおっぴらに公言する所が、若いと言う証拠なのだろうか。


「………」


クロコダイルはとても鬱陶しそうに、ななしへと視線を落としている。それを正面から受け止めて、ななしは見返していた。いつもなら狼狽して視線を逸らしているだろうに、今回はそれがない。


「……いいだろう」


数秒ほど沈黙が流れて、その内ため息に近い音でクロコダイルが葉巻の煙を吐き出した。


「え、あ、じゃあ…っ」

「10分待ってやる。支度して来い」

「はいっ。有難うございます!」

「…礼はいい。さっさと準備して来ねェか」


諦めたように言ったクロコダイルに、ななしは勢いよくお辞儀をした。それに手を振ってあしらうような動作をすれば、まだ笑顔のままのななしは「はい!」と返事をしてロビンの方へと振り返る。
一瞬だけ、何事かとロビンが思ったのも束の間。口を開いたななしは


「ロビンは、もう準備出来てるの?」

「……?」


妙なことを口にした。
それに小首を傾げたロビンは、ななしへと疑問を返す。


「…どうして?」

「………え…?」

「ほら、早く準備しないと時間が無いわよ?」

「…え、あれ…? …ロビンも…行くんじゃないの…?」


何故かトーンダウンしたらしいななしは、間の抜けたような顔つきで首を傾げていた。それに、ロビンは「えぇ」と至極当然のように口にする。


「私は行かないわ。留守番よ」


そう、“行くわけがない”。

だってクロコダイルが向かおうとする場所は……


「あんな場所へは行きたくないわ。私たちにとってあの場所へ行くことは、“死にに行く”ようなものだもの」

「え、あ、あれ…? うそ…っ」

「いいえ、本当よ」

「しかも“死にに行く”って……!!」

「あら、安心して。貴方にとっては、あの場所はきっと恐くないと思うわ」


そう。

そこは海賊稼業をする者ならば、絶対に足を踏み入れたくない…と言うよりも踏み入れられない場所だった。ただ“一部の例外”…王下七武海の面子を除けば。
しかし危険だと思うのは犯罪者だけであって、それ以外の者にとってそこはあまり害の無い場所なのだろう。まあその一般人とて、好んで行きたがる場所ではないとは思うのだが。


「さあ、急がないと置いて行かれるわよ?」

「え、あ……いけない…っ」



まだ茫然とした表情をしているので、ロビンは「フフフッ」と笑いながら支度を促した。それにななしは曖昧に返事をしながら踵を返し、クロコダイルはその背中に、着ていく服装がどうのと言っている。
ロビンは温かく笑ってつき添いながら、あとで“諸注意”だけ言っておこうと思った。

あの場所は、関わり方を間違えればある意味での“危険”が伴う恐れがある。

クロコダイルとななしが向かう場所の名は、聖地『マリージョア』。
そこは地上よりはるか上空にある、この世の中枢とも呼ぶべき場所だった。



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