砂漠に咲いた花

□恐々@
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いつものように、ロビンが廊下を何気なく曲がった時。
遠くに、なんとも奇妙な光景を見た。


「(…あら…?)」


細く長く続く、廊下の先。今からロビンが向かおうとしている社長室の前に、“奇妙な塊”があった。
一瞬何事かと足を止めたロビンだったが、すぐに歩みを再開させる。その塊が、“人の形”をしているとすぐに分かったからだ。

一歩ずつ、人の形をした不審者との距離は縮まってくる。そうしてあっという間にロビンは不審者の数歩後ろまで辿り着いて、そこでぴたりと止まった。
徐々に迫ってくる気配や足音などで、こちらの接近には気付くかと思ったのだが…。
生憎と、不審者は後ろに立つロビンの存在に気付いていないようだ。こちらに背中を向けているのも、原因なのかもしれない。


「………」

「……」


両手でドアノブを握りしめたまま、不審者は固まっている。しばらく眺めてみたが、少しも動く気配は無い。
“いつも”なら何の躊躇もなく扉を開けるであろう不審者に、ロビンはあくまで穏やかに声をかけた。


「……何をしているのかしら…?」

「ひゃぁっ!!?」


声をかけられた不審者は、飛び跳ねんばかりに驚いた声を上げる。
まるでドアノブに電流でも走ったのかと言うくらいに、びくりとその場から飛び退いて。かと思えば勢いよく、ロビンの方へと振り返る。
驚きに満ちた蒼白な顔をしているが、不審者はロビンのよく知る人物だった。…まあこのカジノの地下をウロウロ出来る人間など限られているので、正直声をかける前から分かっていた事だが。

目があったロビンが穏やかに微笑む先で、未だ蒼白な顔のままの不審者こと居候…ななしは声を上げた。


「…も、もう…! ロビン、驚かさないでよ…!!」

「フフフッ。あら、ごめんなさい?」

「びっくりしたぁ…」


飛び出そうな心臓の辺りを押さえて安堵の息を吐くななしに、ロビンはもう一度「フフッ」と笑う。これがどこぞのカジノのオーナーなら、「気付かねェ方が悪い」とかなんとか言ってななしを責めるところだろうが…。生憎とロビンはそこまで底意地が悪くないので、深く追求することをやめた。
それに何より、気になることもある。


「ところで、こんな所でどうしたの? 入らないのかしら…?」


“何故ななしが社長室に入らないのか?”という疑問だ。

ロビンが訊ねた先で、ようやく落ちついてきたらしいななしは「えぇっと…」と今度は何やら気まずそうに視線を逸らした。かと思えば、とても言いにくそうに口先でぼそぼそと。


「…その…」

「?」

「…な、なんだか、その…入りにくくて…」


小さく、しかし確かに、そんな言葉を放った。


「……社長室に?」

「…うん…」

「……」


確認でロビンがもう一度訊ねると、一拍の間を置いたななしは肯定の返事と共に頷く。…どうやら、聞いた言葉に間違いはないらしい。

確かに今、ななしは『社長室に入りにくい』と言った。


「(珍しいわね…)」


そんな感想が、一番に浮かぶ。
このななしという居候と同じ屋根の下で生活して、まだ1ヶ月も経っていない。ななしを知っていると言うには、あまりに短い期間ではある。しかし彼女が今まで“社長室に入るのに躊躇したこと”など、一度も無かった。
そりゃあ来たばかりの頃は、遠慮も緊張もしていただろうが…。ついこの間まで普通に出入りしていた部屋に、急に入りにくくなったと言うのはおかしな話だ。
きっと、何かしらの原因があるに違いない。

……そう、例えば…主にこの部屋を“仕事場”としている、このカジノのオーナーとか…。


「フフッ。もしかして…“彼”と、何かあったの?」

「!!?」


あえて直接的な名前を避けて、ロビンは言ってみる。だが彼女たちにとっての“彼”とは、一人しかいない。
いつも不機嫌そうな顔をして葉巻をふかす、大柄な体躯に重そうなロングコートを羽織った男。顔を横断する縫い傷と、左手の鋭い鉤爪が特徴的な、ロビンの仕事上のパートナー。
そして、ななしを居候させることを決めた張本人…。


「べっ、別に何も…!?」


案の定ななしも、すぐに“誰”の事だか分かったようだ。今度はわずかに頬を赤らめながら、手をぶんぶんと振って否定を口にした。
それが“何かあった”と言いたげなのだが、ロビンはあえて追求する口を閉じる。すぐにななしが「ただ…」と言葉を継いだので、それに耳を傾けた。


「もし“この前”みたいに集まってる最中だったら……その…困るなって…」


「…思って…」と俯き加減で、ななしはそう言う。

“この前”…と言うのは、つい最近この扉の向こうで開かれていた『定例会』のことだ。本来なら組織に属する者以外は立ち入り禁止で、そもそも立ち入れば“処分”されるような、極秘裏の会議…だった。
しかし何故か、アルバーナに置いてきたはずのななしが、その会議の最中に乱入してきたという“事件”が起きたのだ。つい先日のその出来事は、ロビンの記憶にも新しい。

本来ならば、“口封じ”されてもおかしくない状況だ。運が悪かった、の一言では済まされない。ロビンも集まっていたエージェントたちも誰もがそう思って、ななしの最期を予期していた。
…しかし珍しくボスの“恩赦”があって、特に何事も無くななしは今もこうして生きている。
本人は多少“お灸”を据えられたようだが…。
その程度で収まったのは、他ならぬななしだったからに違いない、とロビンは思っている。


…成程。だから全身全霊を両手に集中させて、ゆっくりと扉を開けようとしたわけね…。


ななしの挙動不審の謎が一つ解けて、ロビンは内心で手を打った。一見不思議で奇妙に思えるななしの行動は、彼女なりの気遣い…防衛策だったらしい。


「あら、それは大丈夫よ」


…だが、それは不要だ。


「………でも…」

「だって“私”が、ここにいるもの」


別に安心させようと言うわけではないが、ついななしの不安を解消する言葉を口にしてしまう。

……そう。心配は無用だ。

彼女がどこまで“見ていた”のかは不明だが、ロビンがここにいる時点で社長室の中で『定例会』は開かれていない。…アレは一応、オフィサーエージェントが定刻通りに揃って、初めて開かれる会議だ。


「“アレ”は、頻繁にするものではないの」

「……けど…」

「それに、この間の一件で向こうも分かったんじゃないかしら?」


ロビンは微笑ましく、しかしどこか意地悪めいた笑みを浮かべながら。


「ななしにはちゃんと言っておかないと、どんな無茶をするか分からない。って」

「…そ、それは…」

「第一、あまり何度も立ち入られたら、ボスもその度に理由を考えるのが大変だわ」

「……それは…どういう…?」


フフフッ…。さあ、どういう意味かしら…?


穏やかに笑みを浮かべて、ロビンは答えをはぐらかした。
そうしてななしが言葉の意味を探している間に、次の疑問を投げかける。


「ところで、ななし」

「…なに?」

「…アナタ…怖くないの…?」


私たち組織が。…サー・クロコダイルという人間が。


「…!!」


そう訊ねられて、ななしは一瞬驚いた顔をした。



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