砂漠に咲いた花
□恐々A
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ななしと一緒に会議に乱入したMr.2から聞いた話では、ななしにはおおよその“極秘情報”を話したらしい。
…つまり組織の存在も、動かしている陰謀も、英雄の仮面を付けた偽善も…。ななしは一日にして、ロビンたちの裏の顔や秘密を知ってしまった、と言うわけだ。
だがそれらを突きつけられて尚、今日もこうして社長室に入ろうとし、組織の人間であるはずのロビンと平然と会話をしている。恐らくは社長室にいるであろうボスにも、いつもの明るく人懐っこい笑顔を向けるに違いない。
…ロビンには、それが不思議で仕方ないのだ。
まるで定例会に乱入したことも、エージェントたちから殺意を向けられた事も、組織のボスに脅されたことも、すべてが“夢だった”とでも言うようで…。
「……あんなひどい仕打ちをされて…。流石に彼のことも、怖くなったんじゃない?」
「……」
少し考える素振りをしたななしは、気まずそうに「ついっ」と視線を逸らしながら。
「…そりゃあ…全然怖くないって言ったら、嘘になるよ…?」
ぽつりと本音を漏らした…気がした。
「けど…クロコダイルさんに怒られたのは、私が勝手に約束を破ったからだし…。あの人に追いかけられたのはまあ…誤解と言うか…勘違いだったんだけど」
「……」
「ロビンもクロコダイルさんも、ずっと優しくしてくれたし……“悪い話”を信じたくないと言うか…」
「……」
「でも、みんなのことを“知らない”から、強く否定も出来ない…と言うか…」
「………そう」
ロビンは一言、相槌を打つ。…そうだった。
「…そうね。あなたは“知らない”んだったわね。ごめんなさい」
ななしに流されてすっかり忘れていたが、ななしは定例会の事は“知らない”のだった。折角ボス…クロコダイルが“何も見ていない”“何も知らない”としたななしの立ち位置を、ロビンが危うくしては意味が無い。
…まあ組織のトップが許しているし、今は誰も聞いてはいないのだが…念のため。
「ロビンが謝ることないよ! むしろ私が……」
フォローなのか本心からか、視線を戻したななしが慌てて口を開く。
だが言い終わるより先に、傍らの重厚感のある扉がやや勢いよく開く方が早かった。
あれだけななしが慎重に入ろうとしていた社長室からあっさりと出てきたのは、秘密組織『バロックワークス』のトップで。廊下に立っているロビンとななしを交互に一瞥して、少しばかり怪訝そうな顔をした。
そうしてわずかに開いた口から漏れ出るのは、地を這うような低い声。
「…お前ら、部屋の前で何してやがる」
「く、クロコダイルさん…っ!!」
「あら。ただの立ち話よ、気にしないで」
「…随分と暇そうだなァ。ミス・オールサンデー」
どこか面白くないと言いたげに鼻を鳴らして、クロコダイルはその場を立ち去ろうとする。それをいつもの事だと軽く流して、ロビンも見送ろうとしていた。
「…あ、あの…! どこか行かれるんですか…?」
しかしここで「待った」をかけるのが、ななしだ。歩きかけたクロコダイルの背に、やや早口で言葉を投げる。
「もし遠出なら、私も…」
「いちいちお前に言う必要があるのか」
「……あ、い、いえ…。ないですけど…」
「なら、くだらねェことを聞くんじゃねェよ」
振りかえったクロコダイルは、じろりとななしを睨みつけた。ロビンには普段の彼に見えるのだが、まだその威圧に慣れていないななしは違うらしい。びくりと肩を震わせて、行き先確認の必要性を否定している。
「…あら。ダメよ」
その委縮する姿がなんだかかわいそうに見えて、ロビンは会話に割って入った。
「私は貴方がどこへ行こうと、気にも留めないけれど」
そうしてななしの疑問を圧殺しようとするクロコダイルを、穏やかに諭す。
「ななしには、ちゃんと言っておかなくちゃ。貴方だって、ななしが勝手にどこかへ行ってしまったら、気になるでしょう?」
「……どこかのガキと一緒にすんじゃねェよ。“ニコ・ロビン”…」
「フフッ…、その名は呼ばない約束のはずよ。サー・クロコダイル」
不機嫌に怒気が上乗せされたような視線を向けられたが、ロビンは気にしていない。ロビンが放った言葉は正論なのだ。どこかの皮肉とは違って、何も間違ったことは言っていない。
それにこの間、身を持って知ったばかりだ。
「ガキじゃあるまいし」とクロコダイルは言うだろうが、事実、ななしはアルバーナから引き返してくる行動力の持ち主である。…こんな言い方は本人に失礼だとは思うが、ちゃんと“行き先”を告げておかないと、どんな突飛な行動を起こすか分かったもんじゃない。
「……」
「……」
恐らくクロコダイルも、その考えに至ったのだろう。ロビンから再び視線をななしへと落とした。
かと思えば、まるで諦めたようなため息を一回吐いて。
「…上のフロアに顔出しに行くだけだ。これで満足か?」
やけにあっさりと、自分の用事を口にする。だがななしが「はい…」と返事をするのを待たず、クロコダイルは上体を元に戻すとさっさと歩いて行ってしまった。
まるで「面倒だから付いてくるな」と言いたげな背中を見送ったななしの顔は、どこか不安げで不服そうだ。
「行っちゃったわね」
「…うん」
「大丈夫よ。フロアへの顔出しなら、すぐ終わって戻ってくるわ」
恐らくは散歩がてらの暇つぶし、と言ったところだろう。彼がフロアに顔を出すのは稀にあるが、いずれも長時間出ていた事は無い。
軽く見回って、まだ仕事が残っているとか何とか適当な理由を付けて戻ってくるのが大概だ。
「……でも…」
「…?」
「やっぱり…私、行ってくる…っ」
そう言うのと、ななしがカジノフロアの方向へ駆け出したのは、ほぼ同時だった。ロビンが止める間もなくななしは廊下の角を曲がって見えなくなり、軽快な足音が遠ざかっていく。
「(…やっぱり、離れるのが嫌なのね)」
一人ぽつんと取り残されて、ロビンは思った。決してロビンやクロコダイルの言ったことを信じていないわけではないだろうが、不安なのかもしれない。
ななしはどういうわけだか、クロコダイルと“離れる”ことに対して、一種の強迫観念のようなものがあるような気がする。アルバーナから勝手にとんぼ返りしてきたのが、いい例だ。
…やはり“気まずい”だの“恐い”だのと言っていても、ななしがロビンや…特にクロコダイルに寄せる信頼のようなものは、揺るがないらしい。その“若さ”が羨ましくもあり、微笑ましくもある。
「…あとで怒られないと良いけど」
誰に言うわけでもなくロビンは言って、とりあえず三人分のお茶を用意しておこうと社長室へと入っていった。