海賊が、敵船同盟関係なく一堂に集結する“海賊万博”。
その会場となっている『デルタ島』は、既に祭りの熱気で盛り上がっている。催し物や出店やらが至る所に立ち並んで、島はどこも人でごった返していた。
そんな島の一角で、


「…あ、す、すみません…っ」


流れるように歩いている人たちに交じり、何やら慌てたような声がする。
活気溢れる呼び子やら、店先で声を張る売り子やらとは正反対の、なんとも遠慮がちな女の声。周囲の喧騒に消えてしまいそうなその声は、


「ご、ごめんなさい!」


今度はぶつかりそうになった通行人に謝っていた。
だが謝罪もそこそこに、女は人の間を縫うように進んでいく。…はずなのだが、どうにも人が多すぎて思ったほど前に進まない。


「あの…ちょっと通ります…!!」


切迫した声でそう主張しても、こんな密集状態では叶わぬ願いなのだろうか…。
しかし、


「すみません、あの…っ」


女は今、とても“急いで”いた。なんとしてでも、出来るだけ早く、前に進まなければならないのに…。しかし四方を囲む人の壁は、どこも高くて先が見えない。そんな終わりの見えない状況に、心が折れそうになる。

…だが、泣き言を言ってもいられない。こんな状態は、島を降りる前から聞かされて分かっていたことだ。散々小言を言われて、嫌そうな顔もされた。それでも降りると決めたのは、他でもない自分なのだ。
とりあえず後悔は船に帰ってからするとして、今は前に進むことだけを考えなくては…。


「と、通してくださいっ!」


そうして、女が何度目かの人波をかき分けた時。


「………」

「…とお…し…っととっ…!!」


女は遂に、人の波から抜け出すことができた。…いや、正確にはかき分けた先に小さな空間が出来ていて、周囲の人たちがそこを避けて通っていたらしい。残念なことに、この人ごみ自体から抜け出たわけではなかったようだ。
そのことに女が気付いたのは、空間の真ん中に棒立ちしている塊に、抜け出すときの勢い余って追突した時で。
ついでに「ふわっ」とした、なんとも手触りの良い“何か”を掴んだ。


「…ひゃ…っ!!」

「……」


その心地の良い感触を女が認識するのと、


「…何を一人で遊んでやがる」


地を這うような低い声が頭上から降ってきたのは、ほぼ同時だった。その言葉で反射的に見上げると、女が急いでいた理由…懸命に追いかけていた人物が、こちらを見下ろして立っている。
両耳を結ぶ横一文字の縫い傷を顔に持つ、どこからどう見ても一般市民には見えない男。彼はかつて女がアラバスタにいた頃の居候先の主で、秘密組織のボスだった元王下七武海。
そして今は、一緒に旅をしている海賊だ。

降って湧いた男の登場に理解が追い付かず、女は茫然と見上げている。そうしてぽかんと開いた口から、海賊の名がこぼれ落ちた。


「クロコダイル…さん…」

「人ごみもまともに歩けねェのか、お前は」

「…す、すみません…」


こちらを見下ろす海賊…クロコダイルは、呆れを含んだ声音で皮肉を吐いた。反論したいところだが、その皮肉は的確に図星を突いている。なので女は反論せず、むしろしゅんと項垂れて視線を下げた。
その下げた視線の先に、今も自分が握りしめている“何か”の正体が映り込む。

女の両手が、しっかりとクロコダイルのコートを握りしめていた。…どうやら女が飛び込んだ先は、クロコダイルが纏っているロングコートだったらしい。道理でずっと手触りが上質で心地良い……じゃなかった。


「……わっ、ご、ごめんなさい…!!」

「……」


認識からの行動が一拍遅れて、女は弾かれたように一歩後ずさる。
十数秒程度とは言え、追突という名の密着をしてしまったのだ。…まあこれは“事故”なのだが、そうだとしても突然の出来事に心臓がドキドキと煩く鳴っている。
そんなわずかに赤面している女を、“抱き止めた”側のクロコダイルは静かに見下ろしていた。

かと思えば、何も言わずにゆっくりと左手を上げて。


「くだらねェことを考えてんじゃねェよ」


腕の先に付いた鉤爪の湾曲した部分で、女の額を小突く。

「ごつっ」と金属と骨がぶつかる、鈍い音がした。


「いだっ!」

「“そんな馬鹿”やってる暇があったら、さっさと行くぞ」

「あ…、す、すみません!」


鈍痛と同時に現実に引き戻されて、女は思い出す。「はっ」として顔を上げれば、クロコダイルが踵を返して歩き出すところで。
まだ痛む額を押さえながら、女は慌ててその大きな背中を追いかける。

……そうだった。
彼女…少なくともクロコダイルの方は、特に。


「急ぐんですよね…!」

「あァ」


“用事”があって、とても急いでいるんだった。







『スタンピード』のオープニング小噺。






元々クロコダイルは、彼女をデルタ島に下ろすことは反対だった。

今は賑わって平和そうなこの島も、“奴”が動き出せば途端に“戦場”に変わる。なんの能力も持たない非力な女には、地獄のような空間になるはずだ。
それを守るのは、クロコダイルの役目かもしれないが…。生憎とクロコダイルには、別の用事がある。そもそもその“目的”のために下船しているのだ。一般市民の女を守るという用事は、二の次三の次……恐らく下から数えても入っていない。……はずだったのだが。


『その“戦場”になる前には、戻ってきますから…!』


一度言い出したら聞かない女が、どうしても留守番と言う“命令”に首を縦に振らなかったのだ。
挙句、


『少しだけ、クロコダイルさんと島を見て回るのも…良いと思ったんですが…』


などと、クロコダイルを引き合いに出して訴える始末。
結果仕方なく、クロコダイルは彼女の上陸を許したのだった。…別に、情に流されたのではない。時間も迫っているし、あれ以上ゴネられたら面倒だから仕方なく…だ。


「わざわざ時間を作ってやったんだ」


しかし、その判断は間違いだったかもしれない。


「くだらねェことで足を止めるんなら、今すぐ…」

「あっ、すいません!」

「…?」


小言を遮るように、背後から女の声がする。何事かと振り返ってみれば、


「ちょっと……あの、通して…っ」


折角生還した女は、再び群衆の荒波に飲まれようとしていた。…いや、あれは既に飲まれている。
再び歩みを止めたクロコダイルは、まだ出て来ない女の方を見た。本人は進みたがっているようだが、遠慮しがちに進んでいる所為で少しも前に進めていない。


「…………」


先程より一層強い呆れ顔と、盛大なため息。次いで、やや苦虫を噛み潰したような顔。

痺れを切らしたクロコダイルは、やや雑に手を伸ばす。そうして荒波の中からまだ当分出てきそうにない女の左手を引っ掴むと、無理矢理に引っ張り出した。


「通し………わっ…!」

「……」

「あ…、クロコダイルさん…! 有難うござ…」

「まったくお前は…、わざとか?」

「!!?」


お礼の言葉を遮り、少し苛立った様子でそう訊ねると女の肩がわずかに「びくっ」と揺れる。


「時間がねェと、何度言わせりゃ分かる」

「や、あ、あの…っ」

「…行くぞ」

「は、はいっ!!」

「……」


威勢だけは良い女の返事を背中で聞きながら、クロコダイルは再び歩みを進める。“奴”は、クロコダイルの“目的”の物が出てくるまでは動かないだろうが…。それでも、あまり悠長にしている時間はない。


「…あ、あの…っ」


ざくざくと進んでいくクロコダイルの背後で、何度目かの女の声がした。その声は周囲の喧騒に消えそうなほど一層小さくなりながら、歩みを止めないクロコダイルへおずおずと。


「…なんだ」

「その……一人でも、あの…歩けますので…」

「……」

「もう手を離……」

「断る」


だが女が言い終わるより早く、クロコダイルがその提案をぴしゃりと蹴った。


「…え…っ」

「一人でも歩ける、だと? …お前の言うことはいちいち信用ならねェ。これ以上、面倒事を起こされるのはごめんだ」


進行方向を向いたまま、クロコダイルは淡々と言い放つ。
この女は、アラバスタで会ったときから行動しては何かと“巻き込まれる”女だった。デルタ島に降りると言い出した時から、嫌な予感はしていたが…。この人ごみを歩いて確信した。
これ以上女を一人で歩かせると、どんな妙なことになるか分からない。
…それにくどいようだが、いちいち波に飲まれた女を助けるほど、クロコダイルは暇ではないのだ。

だからこうして女の手を握って…もとい掴んでおくことが、結果としてクロコダイルの利益にもなる。
…ただ、それだけのことだ。


「…そ、それは…そうですが…」

「なら、黙って歩け」

「……でも…」


しかし、女の方はまだ腑に落ちていないらしい。何度も波にのまれているくせに、生意気にもクロコダイルに異を唱えようとしていた。普段は二つ返事で聞くくせに、彼女は時々妙に強情と言うか…頑固になる時がある。
…だがそれも、ある程度は想定内だ。


「……」

「…この人ごみを抜けたら、離してやる」


そんな女を宥め…黙らせるように、クロコダイルは出来る限り優しい音でそう告げた。
狙い通り「…はい」と返事をし、女は大人しくなる。ようやく静かになった女の手を引いて、クロコダイルたちは人ごみの中へと消えていった。


島の中心にある湖で“海賊王の宝探し争奪戦”が始まるまで、まだもう少し…。



おしまい




§後書§
…はい。そんなわけでして、およそ8年ぶりくらいに変更した拍手が、こんな感じになります。大変お粗末さまでございます…!(ホントね…)

先日、購入した映画『スタンピード』のブックレットを、ようやく眺めまして。
「え、鰐オープニングにも出てたの…!!?」
と驚愕したんです。
…うん、そうですよね。鰐は一応、アラバスタ編のラスボスでしたもんね…!
エージェントたちは発見出来たりしたもんですが、まさかボスまで映りこんでいるとは…!! 本編で喋るし動いていたので、勝手にオープニングには出てないと思ってました。…と言うか見つけられなかったんだから、認識できるはずありませんね!
などとセルフでツッコミつつ、思わぬサプライズについ嬉しくなって、今回『前日譚』として急遽作らせていただきました。…とは言え『前日譚』とするには短いエピソードかなと思い、“小噺”とさせていただいております。…こんなことあったら良いな、のワンシーン的な…。

…因みにがんばって見ようとも思ったんですが…、鰐のシーンって1秒間に5キャラくらい出てるし、人ごみにすぐ紛れちゃうしで、見えるはずもなく…。
リアルで見ることは諦めて、今はブックレットを悦りながら、ざくざくと人々の中を颯爽と歩いている鰐を妄想…想像するだけにしています。…皆々様は是非スローにしてご覧ください。…と言うか、物凄くたくさんの人が出てたんですね…! ブックレット様々です。
因みに副音声で見ると、ちゃんと「今鰐出ましたよ」と教えてくれます(「顔に傷の〜」と言ってくれる)。見えないところも教えてくれる、副音声さんの仕事量が凄い…っ。


既に出させていただいた『後日談』と同様、今回の話も“長編の番外”扱いになります。
…しかも“長編の未来編(仮)”的な話のため、短編として出すことに躊躇してしまい、今回拍手と言う立ち位置で出させていただくことにしました(出さない、という選択肢は…)。
まあ次の拍手が出来たら過去拍手に格納してしまうんですが……そ、それはともかく。
登場シーンが“人ごみ”ということである程度流れは決まってたんですが、捏ね過ぎて時間がかかってしまいました…。
やっぱり混雑するところでは、手を繋いでた方が離れる心配無くて安心ですよね! …まあ鰐的には「手を繋ぐ? 掴むの間違いだろ」って言って認めないでしょうね。因みに普通の繋ぎ方か、恋人繋ぎか……どちらだったのかは、皆様のご想像にお任せしておきます。

……ともあれ、
楽しんでいただけますと幸いです。
後日談ほどではないとは思いますが、ネタバレてしまったら大変すみません。

一読、一押し、有難うございます!
大変励みになります!! コメントも、大切に何度も読ませていただいております!
次の拍手でも、是非お逢いできます事を。

霞世


お返事は にっき にて (不要な場合はお手数ですが冒頭に“+”を付けて下さい)



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