10/16の日記

21:49
さんぽけの武将列伝に関して
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馬姫伝の後編が読めず滅びかけているリトですコンニチワ。むしろコンバンハ

今回は、まあそんな感じの列伝に関しての話。
南蛮の武将にはなかったものなので、一切気にしてなかったんですけど、馬超がらみは見過ごせねえ!って思っていたんですよええ。

引けねえし仮に引けても前編から既に????状態で準じたくねえ…っていうこの。
いやまあ、そもそも馬超伝からして龐徳→馬超の呼称が「馬超殿」だったり(というか龐徳自体が魏SR龐徳のほうなんだけど)で、実は参考にしきれなかったりするんですけどね。

馬姫ちゃんて、あとあと劉備の子供である劉理と結婚して子供を産むんですよね。
ってことは、少なくともその劉理よりは若い(?)わけで、いくらなんでも馬騰が存命なころは、よくて10代手前が限界なんじゃ…?とか思ったり。
というか馬超あちこちで家族が殺されたりしてるんだから西涼から一人娘が生き延びてるのは無茶があるのでは、とかなんとか思ってしまってですね…

えっと、言い訳します。ネタバレ(?)もします。
私のちっぽけな作品を楽しみに読んでくれてる方(いない気もするけど)にはちょっとガッカリさせてしまうかもですが、これだけは言わせてください。



馬姫が西涼のころから夢主と面識あったら時代飛び越えたあとの夢主が同一人物だって気付いちゃうやんけ!!!!!。゚(゚´ω`゚)゚。

もともとは、馬超はかつて志を共にした夢主との再会を密かに喜びつつ、なにも覚えていない彼女の過去を教えることはせず、今度は自分が幸せにするつもりで養子として育てる…という流れで、馬姫は彼女を知らないはずでした。
けど、その前提を崩さぬまま今回さんぽけで追加された馬姫伝の前編に準じるとなると、夢主ちゃんは馬姫が生まれる前か、生まれてすぐぐらいには彼らの元を去らねばならぬという…

馬騰とのやりとりが何年かは明記されてない(はず)ので、208年の入朝前と仮定して、その頃の馬姫がおよそ5-10歳、キリよく200年誕生の8歳として、その頃の馬超が34ぐらい?なので馬姫は26のときの子となるとします。
馬超が没するのが47歳のとき。馬姫ちゃんは21歳、もう結婚していてもいい年ですね。というか確か劉理とは馬超存命中に結婚するんだったかな。
…うん、年齢だけを考えれば無理があるとは言わん。でも、馬超なんだよな???家族を大事に出来ないあの馬超の子供なんだよな…?みたいな気持ちが先行して首を捻らざるを得ないんですよ…
潼関の戦いでかなりの数の一族を処刑されたみたいだし尚更うーんってところ。
なので、その辺もあって私は馬姫ちゃんは入蜀後の子なのかなって勝手に思ってたわけでして。
だからこそ、今さら馬姫は西涼からずっとついてきてたって言われても矛盾してまうやん…と
いやまあ、こっちが二次創作である以上そういう矛盾はつきものではあるんですけど、どうしたもんか…っていう感じでございます。ぐちぐちうるさくてスミマセン。

でも馬姫伝をなかったことにして、211年以降も夢主が馬超や龐徳と行動してたらそれはそれで公式から外れる気がして……というような板挟みの気持ちだったりするのです。
なるべくなら合わせたいんです!!!ってわがままなんですけどね、むずかしいですね。

…まあ、どうするかはぼんやり後から考える予定です。
地続きのつもりで書いてはいますが、全部基本的には単発作品なのでそれはそれ的な解釈でもいいわけですし。
頭が硬いので分岐パラレル的な考えで書くのが苦手なんです…っていう、懺悔。
カテゴリ: 駄文

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