白闇の書(長編)
□白哀華 第九章
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昨夜、真選組監察方の山崎退は久々に夜の市中見廻りの最中だった。
高杉晋助の大規模な攘夷活動を警戒中のため、ここ数日、監察方の山崎は働き詰めを余儀なくされていた。
上司の土方の不機嫌は、万事屋の主人の失踪から悪化し、更に昨日沖田が姿を消した事から真選組全体が混乱状態に陥り、
鬼の形相はこれまでに無い凄みを持っていた。
そのため山崎を含む数名の隊士以外は、副長室にすら近づけない様子で、
土方に用があると、山崎は何かと他の隊士に相伴を頼まれていた。
そうして心身共に疲れた山崎は、溜まったストレスを少しでも軽減しようと、同じく扱使われていた2人の隊士と共に、夜の街を巡回がてら散歩していた。
「全く。なんで俺らばっかり副長への書類提出やら報告やらに使われるんだよ。」
「俺達だって怖ぇのによ。」
連立って歩いている隊士2人が溜息を吐く。
「このまま行ったら副長、明日は鬼通り越して閻魔になってそうだな…」
「言えてる」
愚痴を溢し合いながら、川縁の道を歩く。
寝静まった夜の街は昼とは対照的に静寂で、やがて3人はある程度愚痴を溢し尽くすと、せせらぎに耳を傾けながら歩いていた。
さて、暫く歩いて、そろそろ屯所に戻らなければ鬼の上司に叱られるだろうと、踵を返した。
再び川沿いの道を歩く。
ふと顔を上げると、遠くに2つの人影が見えた。
(こんな時間に…。酔っ払いか?)
そう思いながら、横で再び話し始めた2人の隊士の話に加わる。
暫く話込み、ふと先程2つの人影が見えた辺りをもうとっくに通り過ぎていると気が付き、後ろを振り返った時には、2つの人影は消えていた。
やはり、酔っ払いか何かが川を眺めていたのだろう。
そう思って小川に翔けられた小さな橋を渡り、大通りへと進み始めた時。
山崎はふと違和感を感じて足を止めた。
「ザキ?」
「どうした?」
急に立ち止まり僅かに眉を寄せた山崎に気付いた2人が、不思議そうに見つめる。
聞こえるのは川のせせらぎだけ。
しかし、側で何かの気配を感じた気がして、山崎は黙ったまま感覚を研ぎ澄ましていた。
(誰か、いるのか)
一緒にいる隊士二人は顔を見合わせて、怪訝そうな顔をして自分を見ている。
だが、暫く周囲の空気を窺っていたが、感じた気配を確認する事は出来なかった。
山崎はほっと息を吐き出し、自分を振り返り見ている隊士二人を追い越して、大通りへの道へ歩み始めた。
その後を慌てて2人が追っていく。
「おい、ザキ!」
「お前なんか変だぞ?どうしたんだよ、急にさ。」
「小島、篠崎。」
「…なんだ?」
「ちょっとミントンのラケット部室に置いて来たから、先行ってて。」
そう言うと、山崎は踵を返し、少し早歩きで来た道を戻って行く。
「部室ってなんだよ…」
「ていうかなんでこんな夜中にラケット取りに行くんだ?」
「まぁいっか。副長に怒られんのザキだけだし」
「ザキだもんな。」
そう言うと、同僚2人は屯所へとまた歩きだした。
街灯は無かったが、月明かりが宵闇を微かに照らしている。
山崎は腰元の刀に手をやり、そっと来た道を辿るように歩く。
やはり、先程何か人がいた気配を感じたのは確かで、
何となく、酔っ払いだろうなどと安易に片付けてはいけない気がしたのだ。
普段密偵として攘夷志士のアジトに忍び込む時のように、腰を落とし、音と気配を最大限に消す努力をした。
そうして大通りへ続く道から、小さな川のある通りに差し掛かったところで、
今度はしっかりと、しかしかなり聞きなれている声が耳に届いた。
『返事は明日でいいかな?』
『良い返事、期待してますぜ、旦那』
橋の上には、
失踪中の銀髪の男と、
急に姿を消した亜麻色の髪をした男が
対峙していた。