企画

□廃墟に住まうモノ
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文:タコクラゲ

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これは俺が体験した実際の話なんだけど…




廃墟に住まうモノ



語り手:コプチェフ








 その日は俺もボリスも非番で、俺は相変わらず冷蔵庫の中身が空っぽの上、出不精のボリスを半ば強引に引っ張って、一緒に買い物に出たんだ。


その帰り道。
商店街から少し離れた道の一角にある、一棟の廃墟アパートに、俺は何となく目が行った。

 そのアパートは十数年前に、老朽化が激しくなった為使われなくなって久しいんだけど、そのアパートの最上階。9階の窓から、6〜7歳くらいの小さな子どもがこっちを見下ろしているのが見えたんだ。

 この廃墟アパートは時々不良やごろつきなんかが溜まり場にしていることもあったし、何よりも老朽化が進んであちこちが崩壊しかけている。

 危ないなと思った俺は、ボリスに事情を話して、二人でその廃墟アパートへ子どもを保護しに行くことにしたんだ。



 アパートはやはり老朽化が進んでいて、窓ガラスは殆ど割れ、壁にはいくつもの亀裂が走っていて床には誰かが捨てて行った食べ物のカスやゴミが散乱していた。

 日の光が差し込まない位置に設置された、上の階へと続く階段は薄暗く、一つ先の大通りでは、車が頻繁に走っているにもかかわらず、そこはまるでそんな外界と切り離されたかのように静まり返っていた。



1階…2階…3階…


 もしかしたら9階に居たあの子以外にも、ここを遊び場にしている子どもが居るかもしれない。
念の為、俺とボリスは一部屋一部屋を確認しながら階を上っていった。

 しかし、そこは流石我が国の集合住宅。アパートは所有するものではなく国から支給されるものというこの国の国営アパートは、建物が大きい割には一部屋一部屋の間取りが小さく、やたらと部屋数が多いのだ。

 上の階へと上るにつれて、調べる部屋数の多さに段々と俺やボリスにも嫌気が差し始めていた。

 ここを溜まり場にしていた不良やごろつきたちも、流石にしんどい思いをしてまでわざわざ上の階に行くことはあまりないようで、4階辺りからは誰かが上ってきたという痕跡は、もう自分達の足跡だけになった。


「全然人の気配がしないが、本当に見たのか?誰かが上ってきた痕跡も見られないし…」


 そうボリスに問われ、俺はこの廃墟アパートで本当に子どもを見たのか、段々と自信がなくなってきた。


しかし今俺達が居るのは5階。

 ここまで来ると、俺もボリスも中途半端な状態で帰るには何だか気持ちが悪かったので、時間短縮の為、残りの階を俺とボリスの二手に分かれて捜索を続けることにした。

 6階はボリスで7階が俺、その上の階がまたボリスという風に。
 一応警戒もして、何か変わったことがあったらすぐに大声でお互いを呼び合うことを取り決めてから、俺はボリスと分かれた。



7階は異常なし。
6階も異常はなかったようで、廊下の端からはボリスが階段を上って行く音が聞こえた。
俺は残る最上階の9階を目指し、階段へと向かった。

その廊下から階段へと差し掛けたところで、




不意に上の階から誰かの足音が聞こえてきた。






 明らかにボリスの足音とは異なる、小さく不規則な音をした…まるで、子どもが走り回っているかのような足音が。

やっぱり見間違いじゃなかった。

俺は慌ててその足音を追うべく、9階へと駆け上がった。


階段を上りきって、部屋が連なる廊下へ出た所で、






バンッ








と、扉が強く閉まる音が聞こえた

 一瞬しか目に入らなかったが、閉まったのはおそらく廊下の中央にあるあの部屋…

 俺は誰かが入ったであろう部屋を目指して歩き出した。


 今になってから思うんだけど、その時、何故俺は『何か変わったことがあったら大声でお互いを呼び合う』という、ボリスとの取り決めを行わなかったのか…

 兎に角俺は、その扉に吸い込まれるように、歩いて行ったんだ。

 途中、頬の付近に纏わり付くような空気が、何だか生ぬるくて気持ち悪い気がしたんだけど、その時はあまり気に留めることもせずに、俺はその扉の前に立った。


コンコン


「ねぇ、誰か居るの?お願いだから開けて?」

 俺は中に居るであろう人物に向かって声を掛けた。

 しかし部屋の中からは確実に人の気配がするのに、聞こえるのは小さな笑い声だけ。



……困ったな。

ふざけているのか、それとも見知らぬ大人に警戒をしているのか。

 俺は出来るだけ優しく、ゆっくりめの声で、再度ドアの向こうの人物に話し掛けた。


「あのね、俺民警をやっているんだけど、ここは建物が古くなっていて危ないから、遊ばないで欲しいんだ」


 それでも、中から聞こえるのは小さな笑い声だけ。

 一向に開ける気配もなく、返事もしてくれないドアの向こうの相手に、俺は困り切ってドアの前にしゃがみ込んだ。


 しゃがんだ目線の先には、新聞受けの入り口。

 このドアの向こうに、多分アパートの下で見た、あの子どもが居る…


 俺は何となくその新聞受けの入り口を見つめていると、





ガチャン




「うわ!?」


 突然新聞受けの窓が開かれたかと思うと、中から見えたは、
二つの大きな目。

 興味深げにこちらを見つめる目は、大きく見開かれたと思うと、
すぅっ と、静かに細められた。

多分、笑っているのだろう。


 突然のことにびっくりした俺は新聞受けから覗く、その二つの目から目が離せないでいると、


ぎぃ、と

内側からドアが開かれたんだ。





 から出てきたのは、アパートの下で見たのと同じ、6〜7歳くらいのあの子どもだった。
男の子だったようで、前髪は少しのびていて目にかかっていたものの、活発そうな印象を受けた。


「ねぇ、さっきからここに居たのは君?あのね、ここは危ないからさ、俺と一緒に外に出よう?」


 そう言いながら近付くと、男の子はくすくすと笑いながら後ろに下がって俺から一定の距離をとった。


「…別にここで遊んでいたことを怒っているんじゃないんだよ?ここは怖い人達も来ることがあるからね、お願いだから一緒にここを出よう?」


 それでも男の子は無言でまた距離をとる。

 逃げるでもなく、かと言って近付いてきてくれるでもない。
 保護をしに来たつもだったのにまるでこちらが誘導されているようだ。完全にあの子に遊ばれている。


「ここに居るのは君だけ?他にここで遊んでいる子はいないの?」




「居るよ?







『いっぱい』







唐突に。

はっきりとした口調で返されたその声は、
大人のものなのか、
子どものものなのか、
分からなかった。

野太い成人男性のようにも、幼い少女のようにも、しわがれた老婆のようにも聞こえ、



男の子がこちらを見ながら、にぃ と、笑う。





そこで俺はふと、開け放たれたドアの方を見た。

目の前の男の子が覗き込んできた新聞受け。

 その扉の内側には、新聞が床に落ちないよう、鉄で出来た小さな箱が設置されていた。


そこで違和感に気付く。



 いくら小さな子どもでも、こんなところから首が突っ込めるものだろうか…?



 その疑問が頭を過ぎった途端、全身に電気が走るような感覚に襲われた。

腕を見るとびっしりと鳥肌が立っていた。今の季節、寒いなんてないはずなのに。





ここは何だかヤバい。

でも、あの子どもを放っておく訳にはいかない。

それにしてもあの子は何故こんな所に居たんだろう。

何の為にたった一人でこんな所に居たんだろうか。

いや、あの子は一人だって言っていない。

他にも居るって言っていた。



それも『いっぱい』。



…いっぱいって何処に?

それにあの子どもらしからぬ声は一体何なんだ?

いっぱいってあの声のこと?

でもここにはあの子以外には誰も居ないよね?

じゃあ声は何処から?







そもそもあの子は、人間なんだろうか…?











 そんな常識では考えられないような思考がグルグルと脳内を渦巻き、寒気と頭痛で意識がぼんやりとしてきた直後、







「コプチェフ!」











その声にびくりと肩が震え、
はっ と声のする方向を振り向くと、そこには、





ボリスが居た。





その途端、

耳に、

頬に、

髪に、

全身に、


何かが通り抜ける音と感覚が身体に戻って来た。



ボリスの後方には、夕闇が迫る前の紫掛かった空が広がっていた。

 さっき、自分の頬に纏わり付いて気持ち悪いと感じていたものは日中の熱の残滓と、夜の湿気を含んだ空気が混ざった、夕方に流れる風だったのだ。



俺はいつの間にか、9階を越え、屋上にまで上ってきていたのだ。





「何やってんだよお前。
下の階を確認し終わったなら声くらい掛けろって言っただろ」


 呆れたように、そして少し怒ったような口調のボリスに、俺はボリスと交わした例の取り決めを思い出し、


「そうだ!今、男の子を見つけたんだけど…」


そう言って男の子が居た方向を振り返ると、







そこには、誰も居なかったのだ。







代わりに目の前にあったのは、錆びて壊れた鉄柵。
そして、屋上から遥か真下で剥き出しになっている



コンクリート。



 ちょうど自分の居る位置から真下に見えるそのコンクリートの地面には、そこだけ、うっすらとではあるが、赤黒く変色したような染みが出来ており、

 まるでそこへと誘うかのようなソレに、俺は未だに自分が置かれた状況が信じられず、身の危険を察知した本能が思考よりも先に、身体全体に異常を訴えかけた。

 俺は情けないながらもガタガタと震える身体を抑えることが出来なかった。


「…そもそも、本当にこの廃墟アパートに誰かが居たのを見たのか?」


 そんな俺の異変に気付いたのだろう。ボリスが静かに、そして確認するように、5階で言った台詞を再度俺に投げかけた。


 俺は内から湧き上がってくる恐怖心を必死で抑えながら、

「だって、俺…9階の一室にあの子が隠れていたのを見たんだよ…!」

と言うと、ボリスは、










「何言ってんだ?このアパート、8階までしかないぞ」










そう。

そもそもこのアパートは8階建てで、そのすぐ上の階は屋上だったのだ


 ボリスは自分の確認した階が最上階であるにもかかわらず、一向に階段を上がって来ない俺を不審に思って、下の階と、そしてこの屋上へと探しに来たと言うのだ。


じゃあ、俺が行ったのは、あの子どもが居たのは、

一体何階だったんだ…?














 後から地域部の民警仲間から聞いた話なんだけど、その廃墟アパートは時々、屋上から飛び降りる人間があとを絶たないとかで。



 俺は今でも時々、あのアパートの近くを通り過ぎる際には、ちゃんと階数が8階なのかと数えてしまうんだ。

 もしかしたらあの男の子がまたこちらを見ているかもしれないと思うと、少し怖い気もするんだけど…





 もしあの時、ボリスに声を掛けられなかったら、俺は一体、



どうなっていたんだろうか…







<暗転>

















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