企画

□私以外の誰か
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 別に男同士だし、どちらもとびきり綺麗好きというタイプではないので部屋が多少散らかっていても構わない。
 とは思うのだが、やはりある程度の見た目を保っておくのがマナーだろう。ロウドフが寝るスペースの確保だって必要だ。

 というわけで休み当日、相手が来るまでの時間を利用して俺は部屋の掃除を始めた。
 あくまで簡単にだから、投げてあった服や雑誌を端へ避け、雑巾で床を軽く拭く。台所とトイレもささっと完了。

 で、問題は風呂場だ―――
トイレと併設のユニットバスは、実のところ今俺の住居で一番居心地悪い場所になっている。何故なら密室になるからだ。
 トイレは最悪ドアを開けて済ませられるが(そこ、汚いとか言うな)シャワーを浴びる時は閉め切るしかない。閉めると、狭い空間になんだか自分のもの以外の気配が濃くなる、ような気がする。音の反響や籠る熱気も、なんだか悪いイメージに結びつく。シャンプーをする際目を瞑りたくない。瞑ったら開けたくない。兎に角、風呂場は嫌な予感がするのだ。

 だから他の場所より余計早く終わらせようと決め、俺はブラシを手にした。風呂用スリッパに足を突っ込み、仕切りとなるドアを全開にした状態で水が散らないよう調整しつつシャワーをかける。

 大丈夫、まだ陽も高いし何かだって出てくるには早すぎるだろ、何かって何なのか知らねぇけど。鏡とか極力覗いてねぇけど。大丈夫だろ。

 一人滅多に歌わない唄なんぞ口にしながらゴシゴシ擦り、泡を流す。ホラ、何も起きない。

 なんだ、と若干拍子抜けさえした。わざわざ他人を呼ぶ必要なんてなかったんじゃないか―――そうすっかり油断しきった俺は排水溝の蓋を開けた瞬間、固まった。

 排水管の上には網が張ってあるゴミが管に詰まらないようにするためになのだが、そこにうじゃうじゃ髪の毛が引っかかっていた。



 俺自身の金髪に混じって、見慣れない、黒い髪が。



 ザァッ、と自分の血の気が引くのが分かった。彼女でもいるならまだ言い分はあろう、しかし悲しいことにその可能性はない。
 恐る恐る、黒髪の一本を持ち上げる。ズルリ、滑りを帯びて抜けた髪はかなり長さがある。それが何本、何十本と網に絡んであるのだ。眩暈がした。

 すぐ流せ、今すぐ見なかったことにしろ。そう脳が警告を発していたが、俺には動くことも目を背けることも出来ない。

 吐きだした白っぽい息が震えた―――気のせいか、風呂場の気温が低い。
 水を使ったせいなのか、それとも、もっと別の理由か……

 常識で説明できない状況を前にどのくらいの時間が経過したかは分からない。
 唐突に、電話の鳴る音が聞こえた。




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 ビックリしつつも私は排水管から目を逸らし、慌てて鳴り響く電話の元へ向かいました。スリッパを脱ぐのももどかしく、床が濡れるのも構わず履いたまま部屋へと下ります。

 急いでいた、というのもあります。でも、それ以上に私は私のすぐそばにいる『何か』から逃げたかったのです……




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 反射的に飛び上がる。と、体から硬直が解けた。それまでまるで金縛りにあってたみたいにガチガチだった指先が自分の意思通りに動く。しめた、と俺は蓋を投げ捨て一目散に風呂場を飛び出した。
 足元は風呂用スリッパのままだが、関係ない。立ち止りたくなかった。振り向きたくない。ジリリリ、ジリリリッ、と鳴る電話へ俺は思いっきり手を伸ばす。




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 が、電話は私が掴む直前、切れてしまいました。きっと今日泊りに来る友人からだろう。そう思って私がかけ直そうと顔を上げると……―――





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『おー、カンシュコフ。出るのおせーぞー』

「……ロウドフ、か。」


 呑気にも聞こえる野太い声。滑り込むようにして出た電話の相手は泊りの約束をしている同僚だった。ガサツな性格の表れた大声が耳に痛い。それまでの緊迫感が馬鹿みたい感じた俺の両肩から一気に力が抜けた。

 ドサッとベッドへ座り込み、受話器を握り直す。「席外してたんだ、仕方ねぇだろ!」。腹立ち紛れに怒鳴ると、ほんの少し、室内の空気が自然に戻った。


「それより何だよ?」

『ああ、今酒屋に寄っててなー。折角だから一本買ってこうと思うんだけどよ、お前、タブレートフカとトロイノーイ・オジェコローンだったらどっちが飲みてぇ?』

「そんな安酒買うくらいなら手ぶらで来いよ……」


 椅子からでも作れる粗悪品とオーデコロンのなれの果てと究極の二択はいくら土産でもらえても御免こうむる。
 結局、割り勘にして普通のウォッカ、それと幾つかのつまみを頼んだ。予想していたが、今夜は確実にどんちゃん騒ぎだ。大家に怒られない程度にしとかないと。
 少し約束の時間より遅れる、と言う相手に適当に返事をし、受話器を置いた。思わず溜め息を吐いた。しかしアホな会話をしたおかげというか、自分の中に冷静さが戻ってくる。

 ガシガシ意味もなく頭を掻いて振り返る。濡れたスリッパで歩いたせいで床に点々と水が落ちている。折角掃除したのに。とんだ二度手間だ。

 再びため息。そうして先に使った雑巾を片手に、今度はちゃんとスリッパを脱いでから濡れた跡を拭いて―――俺は、気づいた。気づかなくてもいいことに、気づいてしまった。


 床に残る濡れた足跡。
 スリッパを履いた俺の足は扁平な型しか残らない。なのに、腰を屈めた先にあるくっきりした形は素足がつけるものだ。


 横にある俺の足幅よりも、もっと小さな裸足の跡―――風呂場まで点々と続くそれは、丁度俺の目の前で途切れていた。













 なぁ、俺の前には何がいる?







<暗転>
















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