企画
□そして贅沢なキスを
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運狙
文:月影 絵:かの
何も特別な事はないけれど、
そして贅沢なキスを
気がつけば街中は、ジャック・オ・ランタンや幽霊たちで溢れかえっていた。何時からだろうか、この国でハロウィンなんて行事を大々的に取り上げるようになったのは。
浮かれた雰囲気の街中を歩くのは嫌いではない。オレンジと黒という不思議な雰囲気のモチーフ達に笑いかけながら、俺もこの波にでも乗ってお菓子でも用意しておこうか、なんて思ったりもする。
そして別にハロウィンとかは関係ないけれど、今日ボリスが家に来ることになっている。
それは特別な事でも無いので、ごちそうを用意したり特別なワインを買ったりはしない。
でも、キャンディーくらいなら良いかな、そう自分に理由づけてジャック・オ・ランタンの形を模したオレンジ色のべっ甲飴を手に取った。
買い物を終わらせ、車を待ち合わせ場所の保育園まで走らせれば秋風が吹く中、ヴァン・ヘルシングに扮したボリスが憮然とした顔で此方を睨んでいた。
今日は近くの保育園でハロウィンパーティーがあり、公僕であるボリス含め数名はボランティアとして駆り出されていたのだ。ただ残念なことに俺は非番で、ボリスの雄姿を拝めなかった。
「遅い!」
「時間通りに迎えに来たつもりだけど?」
「時計を見ろ!10分前行動は当たり前だ!!ジャストに来てんじゃねぇ、このとんまが…!しかもこの格好見た目と違って寒い上に、恥ずいんだよ!!」
「でも、その格好似合ってるよボリス?」
「うるさい、黙れ。似合ってたまるか!つーか、寒いんだよ!!」
「まぁ、確かに朝晩冷え込んでるし、明日からもう11月だもんね」
そんなことを言いあいながら車に乗り込むと、『じゃあ、ボルシチな』とボリスが着替えながら言うので、俺は「既に用意しております」と答える。
と彼は眼を細めて「さすがだ、相棒」と俺を茶化した。まぁ、例えボリスがステーキを食べたいと言っても俺は最初からボルシチを食べるつもりだっただけのことであるが。
ラーダを快調に飛ばしていると、ボリスが横で俺を伺って居る気配がした。赤信号に当ったので横をむく。するとボリスは俺に向い、ハロウィンの常套句を投げかけて来た。
「Trick or Treat」
ボリスにしては珍しくノリがいいなぁと思いつつ、俺は先ほど買って置いたあの大きめな飴を取り出した。ボリスはそれを見て呆れたように笑う。
「お前、準備よすぎ」
「なんだか残念そうだね。まさかボリス、俺にいたずらしたかったとか?」
「そりゃ…ハロウィンだからな」
ニヤリ、意味深な笑みを浮かべるボリスに呆気に取られているとプー!と後ろからクラクションを鳴らされて慌ててアクセルを踏んだ。
そんな俺をボリスは可笑しそうに見ている。今のも十分いたずらじゃ無いだろうか。
そんなことを思いながらミラー越しにボリスを盗み見れば、俺が渡した飴を咥えて鼻歌なんて歌っている。機嫌の良さが気味が悪い。
そこで先ほどの仕返しと言うには些か可愛過ぎるが、俺はボリスに夕食の荷物を全て持たせて部屋へと向うことにした。
ボリスはぶつぶつ文句を言いながらも部屋まで荷物を運ぶ。
そして部屋に着いた瞬間、両手も口も塞がっているボリスに俺もやりかえしてやろうと「トリックオアトリート!」と言ってやった。
どう、何も出来ないでしょ?
そう言ってやるつもりだったのにボリスはあっさりと両手の食べ物を手放し、くわえていた飴を手に取り俺の唇を塞いだ。
べっ甲飴特有のあまったるい味が口腔に広がる。しかし、それも一瞬のことで『これでおしまい』とばかりにボリスの口唇が離れて行く。それを俺は赦さず、両手でボリスの顔を掴むと、まるでむさぼるように何度も何度もキスを繰り返す。するとボリスが、遂にその場にへたりこんでしまった。
俺はボリスが持っていた飴をひょいと奪い、一口ガリと噛むと口に含み、へたり込むボリスに覆いかぶさるようにして再びキスをした。二人の間で飴の欠片がとろとろととけてゆく。
「…ふぁ……あっま…」
「…………ハロウィンって案外いいものかもね」
何が、と切れ切れに問う口唇にもう一度キスをする。ボリスの唇が甘いなんて、本当に贅沢かもしれない。いつもは俺の煙草の味しかしないから。
食べかけの飴を放って、夕食の為の材料もそのままにして、特別
でも何でもなかったはずの一日。
そんな一日を、たまには二人揃って世間の波に乗って楽しんでみるのも悪くないかも、と思うのはハロウィンの魔法なのかもしれない。
end
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