企画

□10月某日 モンスター警報発令
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桃看


文:緋柳 涙 絵:黒峰























「………」

久しぶりの休みに帰った実家。
最後に帰ったのがいつだったかすら忘れている自室。

そこに、



「trick or trick。とりあえず抱かせろ」



無茶苦茶言う狼男が1人。





10







カンシュコフは迷う事なく扉を閉め、そこに背を向けた。

(…今のは何だ?夢?幻?ああ俺疲れてんのかな、それとも殴られ過ぎてついに目までいかれた?)

混乱の極みに達したカンシュコフの脳は回路の運転を止めてしまっている。


神出鬼没の代名詞のような男なので、彼――キルネンコが勝手に部屋にいるのはまだギリギリ許容範囲。だが彼の頭にイヌ科の耳が生えていたのはとてもではないが信じられない。

(…!いや待て。双子の兄と体を半分取り替えても生きてるくらいだから、狼の一匹くらいくっつけれる…のか?)

そんな常識を超越した結論に達した途端、背中に冷たい汗が伝った。

「お、俺…ついに喰われる?血肉になれとかそんなノリ!?カニバリズム万歳だったのかアイツ!」

「…馬鹿だろ」

「!?ッウギャアアアァァァァ!!!来んなカニバ!」

いつの間に扉を開けていたのか、犬耳付きキルネンコが真後ろにいる。
叫び、反対側の壁に頭をぶつける勢いで後退りした。

呆れを全面に、あまつさえ哀れみも籠めた表情で扉の縦枠に寄りかかるキルネンコ。

「ンだよカニバって。よく見ろ、レプリカの耳だ」

「は………?」

言われてから、月明かりの逆光で見え辛いないながらに観察すると、なるほど確かに耳は全く動かない。

安堵して一気に肩の力を抜いた。

「な、んだよ…びっくりした…」

「…まず何でこれが即本物っつー考えに至るのか、詳しく教えろ」

それは普段の自分の素行を思い返せば分かるのでは、と思いつつも口には出さず苦笑に留める。
余計な事を言って逆鱗に触れ、拳か蹴りが飛んでくるのだけは回避したかった。

「そ、それより何でそんなん付けてんだ?」

慌てて取り繕う。キルネンコもさほど重要視していなかったのだろう、フンと鼻を鳴らすに留め、軽く顎をしゃくって暗に部屋の中を見ろ、と命令する。

「…?」

恐る恐るキルネンコの隣に立ち部屋を覗くと、見慣れた自室に一つの異彩。

子ども向けアニメでオバケ、と言われればそれ、と指せる目と口を彫られたカボチャ。
中が空洞になるようくり抜かれ、代わりに入れられた中の蝋燭が小さく燃え、月明かりのみを光源とする部屋ではなかなかの不気味さを放っていた。

「ジャック・オ・ランタン………ああ、ハロウィンか」

ここら一帯では「カルト行事」として敬遠されがちな行事。

キルネンコが微かに口端を吊り上げた。

「ああ。知ってんなら話は早いな。
trick or treat?」

宗教云々以前に自身しか信じない彼の事だ、精々面白そうだからという理由で興じているだけだろう。
だがその手の、所謂彼の気紛れで碌な目に遭った事のないカンシュコフは警戒レベルを上げながら一歩引いた。

「悪戯しか考えてねえくせに白々しいんだよ…さっき抱かせろとか不穏な事言ってたじゃねーか」

カンシュコフの言葉に今度はニヤリ、マフィアのボスに相応しい偽悪的な笑みを口元に浮かべ、キルネンコはゆっくり体を縦枠から離す。

「…ワーウルフとは、罪人を指す言葉でもあったらしい」

そして徐に低く静かな声で語りながら、こちらが焦れる程緩慢な動きで部屋の奥に歩みを進める。
レプリカの耳と同色の、闇色の尾がその動きに合わせて揺れた。

「あと、これは有名な俗説だが、満月に獣の本能が目覚める」

「………」

嫌な予感しかしない話の流れ。だが遮ろうにも、薄暗い部屋でランタンの灯と月明かりに輝く桃色に魅せられて喉から声が出て来なかった。

(畜生…!)

悔しい。これら一挙手一投足計算された動きだと分かっているのに魅了されてしまう。

指輪がこれでもかという程嵌められた手がカーテンにかかる。

「―――まぁ、つまりだ」

勢いをつけて開け放たれたカーテン。
さほど大きくない窓から見えたのは、そこに収まりきらない大きな満月。

ゆらり、妖しく光る紅の双眸が此方に向いた。



「飢えた罪人(ワーウルフ)が、菓子程度で満足するわけないよなぁ?」



その視線に、声に籠もった色に背筋がゾワリと粟立つ。

「ッ〜〜〜!!」

言葉へと昇華した事はなくとも、カンシュコフはキルネンコを好いていた。
特に、普段何の感情も映さない瞳に喜色が浮かぶこの時が何より好きで、見えない力でも働いているかの如く目が離せなくなる。
キルネンコも分かっているのか、喉の奥で笑ってカンシュコフの目の前に歩を進めた。

トン、左腕がカンシュコフの顔の脇の壁に付き、互いの鼻先が触れんばかりの距離になる。

「trick or treat…」

そしてより一層低い声で囁かれた『選択』に顔が熱を持った。

「ひ、きょうだろ…それ…」

顔を逸らし呟く。

「あ?心外だな。こんなに譲歩してやってるだろう」

「ど・の・辺が!殆ど一択じゃねーか…!」

後ろ髪を引かれ、無理矢理視線を合わせられた。

「いでッ!」

悪戯に鼻先を甘噛みし、キルネンコが嗤う。

「選択肢をやった。菓子があれば、回避できるぜ?」

恐らく、カンシュコフが普段菓子など持ち歩かない性分だと知っての発言。
だがその読みは外れており、今日は偶々、本当に偶々ポケットにゼニロフから貰った飴が一つ入っていた。

それをキルネンコの口に放り込めば当面の危機は回避できる。できてしまう。

ぐい、近過ぎる顔を押しやり唸るよう言った。

「あ、あんだけごり押ししといて…!例え今平気だったとしても後が怖過ぎんだろーが…!」

「…素直じゃねえな。ヤる気があるなら大人しく抱き付くとかしろ」

顔の赤が茹で蛸級になった。

「ち…ちげーよ!何でそこまで都合いい解釈できんだお前!」

「うるせーな。ヤるのか、ヤらねーのか」

元々気の短いキルネンコ。次第に苛立ってきたのか、体に僅か力が入る。

「………俺としては、無理矢理犯すのもアリだが?」

伴って彼が腕を置いている壁がミシミシと悲鳴を上げ始めた。

(やべっ!)

経験則だが、彼はキレると犯すより先に抵抗出来なくなるまで殴打する。
体が覚えているその恐怖にカンシュコフは咄嗟に自分のポケットに手を突っ込み、そこに入れてあった飴をキルネンコの口に押し込んだ。

「ングッ…!?」

歯にぶつかってしまったのかガキ、と嫌な音がした。

「は…ハッピー、ハロウィン…」

彼は人並み外れた頑丈さを持つとはいえ、後ろめたさはある。まだ残る恐怖も相まってなんとか作った笑みは少々ぎこちなかった。

「………」

いかにも不満だと顔に書いたキルネンコは鋭く睨むが、菓子があればと言ったのは彼の方。約束通りそれ以上は特に何もせず力を緩めたので、いそいそと脇を抜け部屋に入る。

「俺、今日初めてゼニロフに感謝したわ」

「…あっそ」

続いて部屋に入ったキルネンコの声だけでなく、足音からすら不満だと聞こえた気がした。

何となく気まずい空気を打破するため、サイドテーブルに置かれたランタンを持ち上げ、話しかける。

「…よく手に入ったな、こんなカボチャ」

「………」

「この辺じゃない種類だしよ。あ、お前外国にもパイプあんだっけ。なら簡単か」

「………」

怖くて振り向かず話していたが、返事はおろか身じろぎの音一つしないキルネンコに流石に違和感を覚えて、振り返った。

「キル、ネンコ…?」

扉に寄りかかり、何やら難しい顔をして考え事をしている。

(?忘れてた仕事でもあったのか?)

先までのどこか楽しんでいる子どものような雰囲気が全くない。

邪魔は出来ないと判断しベッドに腰掛け、改めてランタンを観察させてもらうことにした。

結構な大きさのそれは、ペンキでも塗ったかのように鮮やかな橙をしていて、素人目にも相当良い物だと分かる。

(もし、)

これを今日この為だけに取り寄せたのだとしたら、自分は彼の扱いがぞんざいだったのではないだろうか。

(それにしたってヤらせろはない………いや、最後ヤったのがいつだか忘れたくらいだし、寧ろ正当…?)

元より真面目な性格のカンシュコフ。少し譲歩すると思考はどんどん肯定へと傾いた。

(けど足腰立たなくなるのはなぁ…口、で…いや無理だ色んな意味で化け物なコイツがその程度で満足する訳ねぇ)

最早否定という単語が消え去った頭を唸って譲歩の度合いを考えていると、睨めっこしていたランタンの灯がふと消える。

「?」

原因を探る間もなく肩への衝撃と共に視界が反転し、瞬きの後には天井と狼男が映った。

ランタンが床に落ちる音が遠い。

何が起きたのか理解出来ていないカンシュコフに馬乗りになったキルネンコが、真剣な顔のまま口を開いた。



「止めた。約束なんざ破るためにあるんだ」



何の約束かは言わずもがな。

「な…ぁ…!」

横暴な発言と行動への怒りとか、呆れとか、譲歩してやろうとした良心を裏切られたことへのショックとか、色々綯い交ぜになって体が震える。

「ふっざけんな!嘘吐き!色魔!ケダモノ!!」

つまりさっき真剣な顔で考えていたのはカンシュコフを押し倒すための理由だったというのか。
顔を真っ赤にして怒鳴ると、それこそ飢えた肉食獣を彷彿とさせる、凶暴な色気を纏った笑みを見せる。

「ハッ…!なんとでも言え」

鎖骨から首筋をなぞるように熱い舌が這い、耳元に寄せられた所で同じく熱い吐息が吹き込まれた。

「言ったろ?菓子じゃ満足しねぇんだ…―――」





翌日、体調不良で寝込んだカンシュコフは語る。


「モンスターの甘い話には絶対乗らねぇ…」


と。








end











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