また、まただ。
大好きな人が、大好きな声で名前を呼んでくれているのに、『私』はどんどん離れて行く。泣いている。
真っ暗な闇がからみついて、『私』がどこにいるのか、どこに行こうとしているのかは分からない。
私も、泣いていた。
「そっちじゃない!!」
思わず叫んだ。声は出なかった。でも、「私」には届いた。泣き腫らした目で振り返った『私』は、私じゃなかった。
* * *
風が、吹いた。
「起きろぉ。」
声が聞こえた。頭の上から降ってくる。
「う”ぉぉい!邪魔だぁ!早く退けぇ!」
「…?」
体を起こす。座り込んだまま眠っていたらしい。変な体勢で寝ていたせいで全身がちがちだ。ちょっと腰が痛い。足も痺れ…
…あっれー…
「う”ぉぉい、そろそろ入れろぉ、いつまでぶら下がらせとく気だぁ?」
位置の変わった月光を遮って、窓枠の上の方にぶら下がっている剣士。
慌てて体をずらすと、スクアーロ君は反動をつけて部屋に飛び込んできた。
「ったく、このまま朝まで起きねーんじゃねぇかと冷や冷やしたぜぇ」
「ちょ!!わき腹スパーンなのになんで壁よじ登ってんの?!」
「わき腹スパーンって、あのなぁ…もう完治したっつったろぉ、ほれ」
「あ、本当だ、跡形もないね。凄い治癒力…って見せんでもいいわ!なんでここにいるの?!」
「無断で抜け出してきた。」
「何やってんのー?!」
「心配すんな、ばれねーよ」
「そういう問題じゃねーよ!!」
「…お前、最近言葉遣い悪くなってねぇかぁ?」
「誰の影響でしょうね!!」
「誰だぁ?」
「スクアーロ君だから!!」
相変わらずぴんぴんしてる。先生、こんなのが病院で謹慎って無理があると思います。早く授業に戻してあげてください。
真剣に、明日辺り先生に抗議しよう。
あ、あんまり大声出しちゃいけないんだっけか。スクアーロ君がここにいることばれたら私も困る。確か、男子は女子寮に立ち入れないことになってたはずだ。
少しトーンを落として、ごくごく当たり前のように私のベッドに腰掛けているスクアーロ君に尋ねる。
「ねぇ、なんで来たの?」
「来ちゃまずいのかよ?」
いや、そんなことは無いけど。寧ろ嬉しいけど。
「明日だとダメな位急な用事?」
「お前なぁ…」
スクアーロ君が息をついた。この年で大人のため息を習得してるって、何者だ、スクアーロ君。
スクアーロ君の手が伸びてきた。その手は私の顔の所まで伸びて、ぐにっと頬をつまんだ。
「痛っ…くないけろ、なにすんらよ!」
「いなくなんだろぉ?」
「…え」
スクアーロ君は、表情の無い顔で言った。
スクアーロ君が来てからすっかり忘れていた留学のことが、凄まじい質量をもって戻ってきた。
どうして…?
「今日担任が言いに来た。」
「そっか…」
「てめぇがいつまでも来ねぇから俺が来てやったんだぜぇ。ありがたく思え」
「…ありあとう」
スクアーロ君には、私の口から言わなくて済んだ。その代わり、もうスクアーロ君は私がいなくなっちゃうことを知ってる。
つねられた頬に鋭い痛みが走った。
「いれれれれれ!!!!」
「泣いてんじゃねぇ」
今、泣いてた…?そんなはず…そっか、ほっぺに型がついてたんだ。
もしかしたら、スクアーロ君は励ましに来てくれたのかもしれない。
「スクアーロ君、」
「あ”?」
「寂しいよ。」
「楽しみじゃねぇのか?」
「楽しみだけど、寂しい」
スクアローロ君は黙り込んでしまった。
そりゃ、困るよね。だってスクアーロ君にとってはどうでもいいことで、どうしようもできないことだから。
スクアーロ君は私がいなくなっちゃうのを知って、わざわざ謹慎を抜け出してまで会いに来てくれた。それだけで十分なのに、これ以上困らせちゃいけないんだ、本当は。
不意にほっぺが解放された。嫌だ…。温かい手が離れて行くのが凄く悲しかった。痛いのより、寂しいのの方が強いんだ。
もしかして、「怪我よりも勝負の方が大事だ」って言った時のスクアーロ君も、こんな気持ちだったのかもしれない。寂しいのと勝負とでは全然違うんだろうけど。
手を離したスクアーロ君は、何を言うでもするでもなく、ただそこにいた。本当に、ただ会いに来てくれただけなんだ。それだけの為に来てくれたんだ。そう思うと、じんわりと心があったかくなった。
「私、ジャッポ―ネでも頑張るよ。」
「頑張んねぇと向こうで落第だろぉなぁ?」
「 失 礼 な ! 」
「まぁ、大丈夫だろぉ。」
「大丈夫じゃなくなったら電話する。」
「電話持ってねぇ」
「まじで?!じゃあメールするよ。」
「だから持ってねぇっつってんだろぉ」
確かにスクアーロ君がメール打ってる所とか想像できないけどさ…このご時世に。なんて貴重なアナログ人間。
「…手紙かー、時間かかるなぁ…。」
「…ククッ…」
「何がおかしいの?」
「携帯位持ってるぜぇ。今時持ってねぇ奴いねぇだろぉ」
「っ!また騙したー!!」
「引っかかる方が悪ぃんだよ」
「何その悪役の常套句?!」
「おら、携帯出せぇ。」
「何で?」
「番号もアドレスも知らねぇでどうやって連絡取る気だぁ?」
「OH---☆」
ポチポチと赤外線受信画面にしてから赤外線ポート同士をくっつけて、接続されるのを待つ。なんか、赤外線送信してるスクアーロ君って新鮮と言うか可愛いというか…。
「…なかなか届かないね。」
「てめぇの携帯が壊れてんじゃねぇかぁ?」
「そんなわけない!きっとスクアーロ君のが壊れてる!見せて」
「あ”っ!何すんだぁ!」
「「あ」」
何のことは無い、これじゃあ接続されなくて当たり前だ。だって、覗きこんだスクアーロ君の携帯、待ち受け画面なんだもん。
「へへーん?スクアーロ君やり方知らないの〜?」
「それ位知ってんに決まってんだろぉ!」
「そうかいそうかい、やってあげようかー?」
「いらねぇよ!」
むすっとして携帯をいじるスクアーロ君。なんだ、知ってるんなら最初からやればいいのに。何がしたかったんだ。
「…ねぇ、スクアーロ君本当にちゃんとやってる?」
「あ”?今度はちゃんとやってんぞぉ!見てみろ、ここに『接続先を探してます』って書いてんだろぉ!!」
「…それじゃ通信できないよ。」
「は?」
「だって、二人とも受信待ってるんだもん。」
自分の持ってる携帯も見せる。どっちかが送信しなきゃ赤外線通信は成り立たない。気が合うんだか合わないんだか…。
「ふ、ふふふ…」
「ククッ…」
「ははっ、二人して何やってんだろ!」
「全くだぁ」
「じゃあ今度はスクアーロ君の方から送ってよ。」
「そこはお前からだろぉ?」
「だってスクアーロ君、メアド持っててもメールくれなそうじゃん?」
「お前から送ったとして、俺が携帯見なかったら意味無いだろぉ?」
「…仕方ないなー、私が送りますか。後でちゃんとスクアーロ君のも送ってよ?」
「いいからとっとと準備しろぉ」
「はーい」
最初はなかなかデータが送れなかったけど、いったん接続してしまえばそこからはあっという間だった。
これで、遠くに居ても、細い糸でだけど繋がってられる。それだけで嬉しいと思うのは、やっぱり私がスクアーロ君に『恋』してるからなんだろうか。
携帯同士をくっつけてるせいで凄く近くにある顔を見つめていたら、気付いたスクアーロ君が首を傾げた。
「ん?俺の顔になんかついてんのかぁ?」
「かっこいい目とか鼻とかがついてるよ。」
「な”っ…」
「あ、口もかっこいい。全部かっこいいよ。」
「…どうしたぁ?急に」
「今のうちに言っとこうと思って。そのうち直接は言えなくなっちゃうから。」
「…」
「スクアーロ君は飽きるほど言われてるかもしれないけど、私はまだ言ってなかったでしょ?」
「…」
あーあ、黙っちゃった。呆れられたかな。スクアーロ君、あんまりこういうの言われたがらないような気がする。でも私が言いたかったんだ。ごめん。
スクアーロ君の表情は最初に窓から飛び込んできた時と同じ、どんな感情も読み取れない。けど、多分何かは感じてるはずなんだ。少しは寂しいと思ってくれてるのかもしれない。こうやって来てくれた位だから。
「スクアーロ君のおかげで、毎日結構面白かった。」
「面白かったってなんだぁ…」
「ありがと。」
「…まだ早ぇよ。あと一週間はこっちにいるんだろぉ?」
「でも、荷造りとか手続きとかで、スクアーロ君には会いに行けなくなるかもしれない。」
「また来てやるよ」
「…嬉しい。」
スクアーロ君は優しい人だ。だから、こうやって何気なくまた来てくれることを約束してくれた。ただの面白い人じゃないんだ。
「これが恋って奴なんだな…」
小さく声に出したけど、スクアーロ君には聞こえなかったに違いない。丁度窓から強い風が吹き込んで、その言葉を私の口元から持っていってしまったから。
「あ”?なんか言ったかぁ?」
「何もー。」
これから遠くに行かなきゃいけないなんて、全然実感が湧かない。でも、何となくだけど頑張れる気がする。
そう思えるのは、きっとこの銀髪のおかげなんだ。
「ありがとう…」
「…やべぇ…」
「?」
「もうすぐ見回りの時間だぁ!」
「ぇぇええっ!!看護師さんにばれちゃうじゃん?!」
「悪ぃ、今日は帰る」
「うん、気をつけて!!」
ひと飛びで窓枠から飛び下りたスクアーロ君は、あっという間に木々に埋もれて見えなくなった。3階の窓から飛び下りるなんて、流石と言うかなんというか…
スクアーロ君、ばれないで帰れればいいな。じゃないと明日から来られなくなっちゃう。
そんなことを思いながら布団にもぐりこんだ。もう眠れないなんてことは無かった。