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□未来の神話が欲しい
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 不安になると服の裾を握る癖が有った。きっと何かに縋りたくて仕方がないからだろうと他人事のように考える。だって他人事だからね。

 こうして毒々しく赤いエナメルを塗りたくった指先を僕に突き付けてる今だって君は、空いている方の手では自分のTシャツの裾に縋っている。



「ねぇ!ちゃんと聞いてるの?!」
「まあ、半分くらい」



 適当な返事をしたらまた彼女不安がるかなって、手を観察する。それなのにその手はあっさりと裾を解放してしまった。なんだ、つまらない。内心呟いた瞬間、その手が急に襲い掛かってきた。反射で目を閉じるのと大体同じタイミングで小気味の良い乾いた音が炸裂する。ぎゅっと閉じた目を恐る恐る開くと、合わされた手のひらが鼻先からほんの二、三センチの所で静止していた。凶器のような十枚の爪は皆同じあかいろ。この華奢な手からあの音が生まれたのだと考えると不思議だった。



「さっきからどこを見てるの。ちっとも目を見てくれないのね」
「君の心の中を見ているんだよ」



 だって、君の中で一番素直なのは君の手なんだもの。苛立ちを隠しもせずに好戦的な炎がちらつく瞳なんかよりも、ずっとずっと正直じゃない?わざわざ教えてあげることはしない。君はそろそろ自分で気付くべきだ。

 だから僕はただ黙って、君曰く感情の読めない笑みを浮かべる。目の前の正直な手を、引っ込められないうちに自分の手で包み込む。君は不機嫌そうに睨み付けるだけで振り払うことはしない。

 本当は何かに縋りたくてたまらない君は今のところ君自身に縋る他無い。それは君がかつて縋り、今は跡形もなく消えてしまった「信頼」やら「性善説」といった人間神話のせいで、大げさに言うならば神様が自然科学に負けてしまった現代という時代のせいだった。だから君は、この時代から、世界から、遊離して見える。

 君は僕が見てきた誰よりも強気な女の子を演じるのが上手い。役者自身ですらそれが演技だと知らない。

 四面楚歌で頼りなげなSOS信号が、それでも逢着先を見つけたのは奇跡ではなく必然だと信じて疑わない。僕の手の中に案外落ち着いている君の両手。それは文句を言いながらも僕の隣に落ち着いている君そのものだ。僕は運命論が嫌いじゃない。



「ねぇ、君は多分今の時代に生まれるべき人じゃなかったんだ。」



 上白糖を口に突っ込んだまましゃべってもなかなか出せない程あまくあまく諭すように言い聞かせる。そうでもしないと、握り締めた君の手から熱がどんどん失われる錯覚を振り払えない。君の瞳の炎は多分、この手の熱を奪って燃え続けている。



「じゃあ、今じゃないならいつ生まれて来いって言うのよ」
「うん、一昔前の神様全盛期か、或いは…」



 僕がかみさまになった、その先の未来かな。そうしたら君は君自身よりもっと強固で無くなり得ない、永遠と信じるに足る拠り所を見つけられたはずだから。


 君の手を解放する。ゆっくりと持ち主の元へ帰るそれが僕の目には名残惜しげに映るのと同じように、僕の君に対する考え全てが空想に過ぎなくても構わない。

 ただ、僕がかみさまになれたら、気が済むまで縋って心酔してくれたらいいなと思う。


未来の神話が欲しい
 小さく鼻で笑った君によると、そうやって君に縋っているうちは僕は神様になれないのだそうだ。

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