あるヘンゼルとグレーテルと、

□月夜の森と、
1ページ/1ページ

















 ひゅるん、ひゅるん。

 凍みるような風に揺らされ、沢山の梢たちがざわ、ざわと騒ぎます。

 北極星が冷たく輝く、夜。

 宙空にぶら下がったお月さまが、空間を埋め尽くす様に茂る木々の天辺を照らします。

 折り重なるようにひしめき合う葉に遮られ、明りが地面に届くことはほとんどありません。

 どこまでも広がる木々の中に、ぽっかりと空いた空間。やっと行き場を見つけたお月さまの光はその中に吸い込まれ、下…湖面へ乱反射を繰り返します。

 風が凪ぎます。口笛のようだった風の音も騒いでいた森の声も止み、辺りは静まり返り…

 





「お兄ちゃーん…」

「ん?」






 幼い声が二つ、湖の際から生まれます。






「…お腹、すいた」






 初めの声が言います。もう一つの声が答えないので、情けない声が続きます。





「ねぇねぇ、もうお弁当食べようよ…お昼、とっくに過ぎたよ」

「ばっかじゃねーの」




 やっと答えてもらったと思ったら、罵倒されてしまいました。最初の声は拗ねたように口をつぐみます。そこで二番目の声は、親切なことにその理由を教えてあげることにしました。

 だって、お兄ちゃんですから。





「その弁当作ったの、だーれだ」




 でも、最初から教えたりはしません。




 だって、王子様ですから。





 黒髪の少女…最初の声が小さく答えます。





「お、母さん」

「そ、俺ら捨てよーと、つまり殺そーとしてる奴が作ったの」





 びくり。少女の体に震えが走ります。

 もう晩秋。小さな体には堪える寒さです。特に、両親に置き去りにされ、一日中軽装で水際に座っているときには。

 少女の兄で、王子様で、金髪の少年が続けます。




「だから毒入っててもおかしくないっしょ?毒殺って奴。つまんねー殺し方。」

「どくさつ?」




 言葉の意味が分からなかったのか、妹は首をかしげます。

 そ、俺だったらもっとかっこよく、ド派手に殺すけどな。そんな具合に余り教育的ではないことを教え込む兄。妹は頷いていますが、多分良く分かっていないでしょう。










 きゅ、る。






 静かな空間に小さな音が恥ずかしそうに響きます。

「いっ…!今のは違うの、私じゃな、」

「ししっ」

「違うってば!」




 ここには兄妹二人しかいませんから、兄には音の正体がすぐに分かりました。にもかかわらず、妹は自分が犯人ではないと言い張ります。




「ししっ、分かった分かった」

「絶−っ対分かって無い!」

「はいはい。」





 じゃ、誰かさんの腹の虫も鳴ったことだし、帰る?

 鳴って無い!!と言いかけた妹は、もっと重要な、兄の言葉に引っかかって口答えを止めました。



「帰る?」

「ん。」

「でも、どうやって?真っ暗だよ?道だって分かんないし…狼だって。」

「関係無いね、だって俺、王子だもん。」

「お兄ちゃん…!」

「あぁ…」

「…ごめん、さっぱり意味が。」

「ししっ、やっぱお前って馬鹿だよな。」

「ばっ、ばっ…!!!」

「ま、任せとけって。」

「…うん。」





 兄について、妹も湖の畔を離れます。

 木々の間に足を踏み入れると、一枚一枚大きくて不思議な形をした葉っぱのせいで、妹はお月さまを見ることができません。

 兄は迷うことなく木々の間を縫って行きます。足元もきちんと見えているらしい兄とは違い、妹は転ばずに付いていくのに必死です。







 兄が、不意に足を止めました。置いてけぼりになりかけていた妹は足元が見えないなりに頑張って走り寄ります。




「お兄ちゃ、」

「しっ」



 唇に人差し指を寄せて、兄は妹を黙らせます。

 いつの間に取り出したのでしょう。兄の手の中には暗がりでもキラキラと光りを映しこむ、銀の何かがいくつか握られていました。兄はそれを同時に、しかも多方向へ放り投げました。

 およそ、丑、卯、辰、未、申、亥の方角へ。

 例え十分に明るかったとして、それを目視することは困難だったでしょう。キラキラと目立つくせに、とんでもない速さだったからです。

 続けざまに、ぐえぇぇぇっ!!というような、なんとも形容しがたい、気味の悪い断末魔以外の言葉が当てはまらないような音が聞こえます。その数は、兄が放った銀色の数とぴったり同じでした。

 どさり、と重いものが崩れ落ちる音。少しの間ひゅーひゅーという耳障りな音が続きましたが、やがてはそれも聞こえなくなります。後に残るのは完全な沈黙の世界。

 周りの様子をうかがっている兄にひっついて、妹は小刻みに震えています。見えないのに聞こえた音。見えないのに感じる生臭い匂い…小さな少女にの恐怖心をあおるのには十分すぎます。




「お、かみ?」

「多分な」




 なんともないようにさらりと言って、兄は再び歩き始めます。今倒したものたち以外に外敵はいないと判断したのです。

 いつの間にか繋いでいた小さな手を引いて。

 お兄ちゃんは優しいのです。何故って、お兄ちゃんで、王子様ですから。

 カタカタと震えていた指は、少しずつ落ち着きを取り戻していきます。







「あ」




 兄に引っ張られるようにして歩いていた妹が、何かに気付いたようです。地面を指差します。





「お兄ちゃん!光の道!」

「ん。」




 どうして一度しか通ったことの無い道を、しかも暗闇の中で迷わずに進めたのか。やっと分かった妹は安心感からにこりと笑みを零します。




「来る途中、月明かりに反射する石撒きながら来た。」

「凄いぃぃ!!お兄ちゃん頭いい!!天才!!」

「当然。だって俺、王子だし。」




 ま、思ったより暗くて石が見つかりにくいのは、想定外だけど。

 とは、言いません。

 妹はすっかり安心しきったようで、鼻歌まで歌っています。先程までの怯えは微塵も感じられません。

 こうして妹を安心させられただけで、兄としては十分満足です。





「帰ったら温かいスープ飲もうね、お兄ちゃん。」

「いいかもな。ま、つってもあの家には帰らねーけど」




 いや、帰ってもいいか。あいつら殺しちゃえば、問題なくね?住む場所ないと困るし、食べ物もあるだろーし。

 うっとりと温かいスープの話をする妹を見下ろしながら、静かに思うのでした。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ