あるヘンゼルとグレーテルと、
□光の道と、
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暗い森の中。
手を繋ぎ、落ち葉を鳴らしながら進む兄妹。
暫く行くうちに、今度は妹が足を止めました。
手を繋いでいた為にすぐ気付いた兄もつられて立ち止ります。そして後ろにいた妹を振り返り…
「…何、こいつ。」
「わかんない」
何何何何。何なのコイツ。気配ないんだけど、つーかいつからいた。
兄の目は妹の頭の上…に乗っかっている不思議な生き物に釘付けです。
小さな生き物です。まるで人間の赤ん坊のような姿をしていますが、赤ん坊がここまで悟りきった雰囲気を醸し出せるはずがありません。
黒いフードのようなものに覆われて、表情を伺うことはできませんが、背中から飛び出た濡れ羽色の翼をふよふよと動かしている所を見ると、何となく機嫌がいいようです。
その小さな生き物が口を開きました。
可愛らしい声に、きゅん…
「何見てんだい、見物料取るよ」
…としかけた妹は一気に疲労がたまったのを感じました。
「お前何?目障りなんだけど、王子の前から消えてくんない?」
「こっちだって君たちみたいなガキのそばにいたくないよ」
ガキ…赤ん坊に言われた二人は一瞬言葉を失います。
ふわ…
赤ん坊が浮き上がりました。羽があるのに羽ばたいているわけではなく、唐突に重力から解放されたかのように。
「じゃ、僕は行くよ。君、休憩場所になってくれたことには感謝するよ。お金は出さないけど。」
妹に言って、赤ん坊はふよふよと…
「あ”−!!」
濁音交じりですが、今のは妹の声です。その妹の声に、何だと言うように赤ん坊が振り返ります。
妹の指差す先…赤ん坊の下げている肩掛けバッグに、三人の視線が集中します。
そこにいっぱいに詰まっている、キラキラと月明かりに輝く…
「これかい?あげないよ、僕が拾い集めたものだからね。」
そう言うと、赤ん坊は今度こそ飛び去ってしまいました。兄妹が元来た道を辿る様に。時折低くなるのは、小石を拾っているからです。
兄がいらだち紛れにさっきの銀色を…ナイフを投げつけます。あっさりとかわした赤ん坊は、黒装束と小ささも手伝ってあっという間に闇に紛れてしまいました。
これで、家へと戻る術は無くなりました。
兄は、天才です。しかしいくら天才だって、全部同じに見える木の中で正しい道を見つけることはできません。第一、道なんて初めからないのです。
小石に頼っていたことが仇となり、湖に戻る道も分からなくなっていました。水すらありません。
兄は、妹の手がまた震えだしたことに気がつきましたが、今はどうしてやることもできません。安心させようにも、不確かなことを言っては余計に不安にさせてしまうのは目に見えています。
ですから、取り敢えずは妹の手を引いて歩きはじめることにしました。あそこにとどまっているよりはましです。森から抜けられなくても、もしかしたら休めるような所、食べられるようなものがあるかもしれません。
そうはいっても、晩秋。木の実などは既に落ちたか、森にすむ生き物の冬眠前の養分として食い荒らされてしまっています。空腹と寒さが、幼い二人にこれでもかとひもじさを押しつけます。
とうとう、妹は歩くことが出来なくなりました。歩き回ってきた距離は、小さな足にはあまりに長かったのです。先の見えない不安、飢餓感、寒さ…
兄のおかげで忘れることが出来ていた、『捨てられた子』の烙印。
それを乗り越えられるほどの強さは、まだありません。
妹はへたり込み、声を上げて泣きじゃくり始めました。
心配して覗きこんでくれる兄の手も、もう何が何だか分からずに振り払ってしまいました。
嗚咽に紛れて、言葉を零します。
途切れがちの言葉を繋げて、兄は妹の感情の一端を読み取ります。
このまま帰れないのかな。真っ暗なで死んじゃうのかな。食べ物がなくてしんじゃうのかな。怖い狼に食べられちゃうの?
私って、「いらない子」だった?
カツンっ!
乾いた音、鈍い音。一つの音。
妹は目を見開きます。頬が一瞬冷たくなって、今は熱いのです。空気に触れ薄く染みるそこに手を這わせると、涙とは別の液体が流れています。痛くはありません。もしかしたら本当は痛いのかもしれません。けれど、それ以上の驚きが感覚を麻痺させているのです。
びっくりして、涙は止まっていました。
音のした方を見やると、後ろの木に何かが刺さっています。暗くてよくは見えませんが、あれはお兄ちゃんが磨いたり投げたり守ってくれたりするものです。
「次、そんな顔したら殺すぜ?」
ころす。よくお兄ちゃんの口から聞く言葉です。良く意味は分かりません。でも、それが妹に向けられたのは初めてのことでした。
妹がうん、と小さく頷くと、兄はにっと独特な笑みを見せます。
もう、妹の中からさっきまでの不安は消えています。小さな頭が、びっくりした後までそれを覚えていられなかったのです。
「あのな、俺は王子なの」
「じゃあお父さんとお母さんは王様とお妃さま?」
「いや、違うね。」
「変なの」
「でも、お前は姫だからな」
「どうして?」
「簡単なこと聞くなよ。王子の妹だからに決まってんだろ?」
姫は泣くの禁止ー。そう言って、兄は妹の頭を撫でてやります。誰が見てもほほえましい光景…
「…っ!!」
けれど、それも長くは続きませんでした。
鼻先をかすめた焦げた臭い。それはほんの一瞬だけでしたが、兄の注意をひきつけるには十分でした。
手を止めた兄を、妹は不思議そうに見上げます。そして、その視線の先を…
真っ暗な中、紅蓮に燃え盛る業火を見つけてしまいました。
その火に焼かれる錯覚に陥って、膝から崩れ落ちます。腕で頭を庇うように、肌を焦がされぬように小さく丸まって…
それから、まだ頭の上にある温かい手に気付きました。恐る恐る眼を開きます。
火は、まだまだ遠くにありました。でも、安心はできません。山火事は人よりも、犬よりも、熊よりも、馬よりも、どんなものよりもうんと早く走れるのです。
言葉を探すのももどかしく、兄の手を引きます。前髪で眼は見えなくても十分に複雑だと分かる表情の兄は、火を見つめたまま動こうとしません。
つっかえていた言葉が駆け足で飛び出します。
「お兄ちゃん!早く逃げないと!!こっちまで火が来ちゃう!」
「それはねーよ。」
意味が分かりません。
「あれ、森からチョイ離れてっから。」
「森から離れて…?じゃ、」
「もう少し歩けば出られる」
やったー!!素直に喜ぶ妹に対して、兄は変わらず渋い顔のまま。駆けだす妹の腕をつかみ、引き留めます。
「ちょっと、黙ってろ」
兄の耳には、火の燃え盛る音にまぎれて別の音も届いていました。
それを聞き終えると、兄は掴んだままの妹の手を引いて歩き始めます。
炎、そして森の出口から遠ざかるように。
「こ、っち?」
「今出てったら、焼かれるからな」
「そっか、そうだよね…火に突っ込むところだった」
「お前な…」
そう言って、妹がついてくることができるぎりぎりの速さまで歩みを速めます。
焼かれるから、と言うのも嘘ではありません。けれど、それ以上の理由があります。
目が隠れているくせに視力はいい兄には、「何が」燃えているのか見えていました。
人の話は聞かないくせに聴力はいい兄には、「何故」燃えているのか分かりました。
でも、言いません。お兄ちゃんは言ってはいけないのです。
これからどうすっかな…
森のさらに最奥に踏み込みながら、兄は考えるのでした。