企画

□報われない嘘
1ページ/1ページ










 ガラス張りの壁からゆるゆると差し込む温かい日差し。おかげで空調設備が整い外から完全に遮断されているこの空間でも春の到来を感じることが出来る。

 ここはミルフィオーレファミリー本部。超高層ビルの最上階に近い、とある廊下。

 前方に見慣れた黒髪を見つけて駆け寄る。

 偶然に見つけたわけではない。ずっと彼を探していたのだ。






「幻ちゃーん」

「…何の用だ」






 呼びかけると、それ自身も剣の一部であるかのような肢体が反転する。その動きには一分の隙もない。ぴり、と張り詰められた眼差しに射抜かれ、彼を呼びとめた目的を忘れそうになる。

 ほんの少し走っただけで切れてしまった息のせいで途切れがちになりながらも用件を伝える。






「あのね、白蘭様から伝言。」

「…なんだ。」






 『幻ちゃん、最近いつにもまして気合入ってる気がするんだよね〜。僕の為に頑張ってくれてるのは分かるんだけど、僕が飽きる前に潰れちゃいそうなんだよ。』






「…俺は潰れん。それに、白蘭様の剣として潰れるならば寧ろ本望だ。」

「幻騎士はそうかもしれないけどね。」







 切れ長の瞳から感情を読み取ることはできない。決して表情が乏しいわけではない。ただ、それを全部白蘭様に預けちゃっただけ。







 この馬鹿剣士は全然分かって無いなぁ。






「用事はそれだけか。」

「違うよ。まだ続きがあるんだ。」






 『だから、今日一日はゆっくり過ごすといいよ』






「…わざわざ伝えさせたな。済まない。」

「いいんだよ。」






 気にしないで。

 他ならない幻ちゃんの為だもの。






 * * * 








「…幻ちゃん、ゆっくり過ごすって意味分かってる?」

「…」






 幻ちゃんは答えない。眉毛すら動かない。その代わりにブンッ!とまた剣を振るう。

 ブンッ ブンッ ブンッ …

 私たちしかいない訓練場には重たい音が充満している。

 訓練場の隅で不満げに座り込む私は、30分くらい前からずっとこうして剣を振るう幻ちゃんを眺めている。






 唐突に幻ちゃんが声を放つ。





「…今俺が振った剣の軌跡の上には、何があると思う」





 答えを求めているのではなく、ただ言ったような感じだ。言いながら、剣を握る手を止めようとはしない。

 幻ちゃんは普段人に自分から話しかけたりしない。彼が白蘭様以外の人間とかかわりを持つのは、必要性がある時、もしくは白蘭様に益がある時のみ。

 この言葉は、そのどちらの理由から発せられる言葉なのだろうか。

 もし、もしもだけど。幻ちゃんが、そのどちらでもない理由で話しかけてくれるとしたら。

 その時私は…




「今の一撃で俺は、白蘭様の障害となりうるものを真っ二つに切り裂いたのだ。お前にそれが分かるか?」

「知ってるよ。」




 だって、それが幻ちゃんにとっての「存在する意義」なんでしょ?『神』の剣となり、手足となることが。

 知ってるよ。その為に毎日長い長い時間をかけて鍛錬してること。辛い任務でも表情一つ変えずに言われたとおりに実行してること。

 幻ちゃんの神様がそれを知らなかったとしても、私は知ってるの。






「こうして裂いて、裂いて、裂き続けることで、俺は神が新世界を創り上げるための道を切り拓いている。ゆっくりしている暇などない。」






 そっか。今のって私が最初に言った「ゆっくり過ごすって意味分かってる?」という質問への答えだったんだ。

 いよいよ速さを増した剣撃一撃一撃が「何か」を切り裂く様が容易く思い描ける。多くの場合、それは「人」と呼ばれるものだ。でも幻ちゃんにはそれが、白蘭様の障害となりうる「物」でしかない。





「俺も剣士だ。体の状態には常に気を配っている。お前の言うように、必要に応じて休養も取っている。」





 違う、違うんだ。

 幻ちゃんは休んでなんかない。幻ちゃんは生きている時間の全部を白蘭様にあげちゃったから。

 心はさ、一秒だって休んでないよ。

 けれど私はそれを口にしない。






「だから、これ以上俺に構うな。俺を気にかけるな。」






 幻ちゃんの言葉が、訓練場の空間の上に不安定に残っている。

 それをも引き裂こうとするかのように、一際重さと速さを増す剣撃。幻ちゃんの輪郭を汗が伝う。





 私はもう少しの間、幻ちゃんを見ていた。

 それから体を前に傾け、床に座っていたせいで冷たくなってしまったお尻を上げた。





「わかったよ。幻ちゃん」





 ばいばい、幻ちゃん。

 もう構ったりしないよ。

 追いかけたり、話しかけたり、任務に付いて行ったり、そんなことしないからね。





 さよなら。







 涼しめに温度が調整されている訓練室の外は、ぬるりと空気が滞っているようだった。

 後ろ手に扉を閉める。扉が閉まりきる最後の一瞬まで、幻ちゃんは剣を振るい続けていた。白蘭様の為に。

 多分、その後もずっとそうしていた筈だ。







 * * *






 仕事に戻るべく、大きなエレベーターが下りてくるのを待っていた。ここにも春の光が満ちている。

 軽く、肩に重みを感じた。

 もう分かってはいるけれど、それでも振り返る。





「白蘭様…」

「やぁ♪」

「昼食ですか?」

「そ。レオ君が美味しいラーメン屋さん教えてくれたから、ちょっと行ってきたんだ。…それで、『四月馬鹿』の嘘は成功したかい?」

「…いいえ。」

「まぁ、そうだろうね。そうじゃなきゃ君がそんな暗い顔してる筈ないし、ここにいるわけもないからね」






 至極明るくそう言ってエレベーターのボタンに手を伸ばす白蘭様。そうして既に私が押していたことに気付いて、わざとらしく数回ボタンを押して見せた。





「君も、随分と健気なんだね」

「健気、ですか」

「だって、僕に頼んでまで彼にお休みをあげようとしてたじゃないか。しかもそれを彼には気付かれないように嘘まで付いて、さ。」

「今日は嘘をついてもいい日、ですから。」

「そうだね…その健気さ、もう少し僕の為にも使ってほしかったな」

「え?」

「意味、分かってるよね」





 白蘭様はにこり、と微笑んだ。

 ぞわり、と寒気がし、春の陽気が一瞬遠のく。





「うーん、最近ちょーっと運動不足気味だし、今日は階段で上ろうかな…それじゃ、バイバイ」





 そう言って白蘭様はひらひらと手を振りながらエレベーターを後にした。その姿が見えなくなって漸く息をつくことが出来た。






 …まさか、気付かれているなんて言うことは…






 チーン






 高い音がして、エレベーターの戸が開いた。









 * * *







 仕事場につくと、思いがけない来客があった。





「幻、ちゃん?」





 与えられた一人部屋の壁にもたれかかっていたのは、訓練している筈の幻ちゃん。





「ひどいなぁ、僕もいるのに、無視かい?」




…と、白蘭様。どうやって階段で、私より早くここにたどり着いたのか。




「何の御用ですか?」

「僕は遊びに来ただけだよ。それから、幻ちゃんはお仕事♪」




 幻ちゃんの、仕事。

 スラン、と金属が擦れる音がして、次の瞬間には首筋にひんやりとしたものが押し当てられていた。

 すぐ目の前には、幻ちゃんの顔。

 全く乱れていない呼吸がすぐそばに感じられる。





「随分前から、うち(ミルフィオーレ)の情報が少しずつ世界中のマフィアに流れてたんだ…ボンゴレを中心とする連合軍に、ね。」






 幻ちゃんの向こうから、ふわふわとした声が聞こえる。

 勿論私には彼の言わんとしていることが分かっている。

 その情報漏れは、私が故意に起こしたものだから。






「僕としてはそれぐらいの情報漏れ痛くもかゆくもないんだよ。あんまり力の差がありすぎるとゲームも面白くなくなるしね。だから見逃してあげてたんだけど……そろそろゲームセットにしようと思ってるんだ。」





 白蘭様…いや、白蘭は今、とびっきりの笑顔で私たちを見つめているに違いない。






「ばいばい、裏切り者さん。楽しかったよ。」





 揺れる白蘭の手が幻ちゃんの肩越しに見えた。見えるように振っているんだろう。

 ほんの少し幻ちゃんが力を入れれば、私の頸動脈は盛大に血を噴き出すことになる。本当は幻ちゃんがやる必要もないんだ。私には戦闘スキルが欠片もないんだから。






 今、幻ちゃんはどんな気持ちだろうか。

 うるさくまとわりついてくる女が消えてさっぱりしているだろうか。

 …ううん、寧ろ白蘭の障害となりうる「物」を斬ることが出来て嬉しい、の方が正しいかな。






 私は悲しいよ。

 大好きなボンゴレのみんなともお別れだし、もう少しできたことがあったかも、って凄く後悔もしてるよ。







 それに、もう幻ちゃんに会えなくなる。






 でも、幻ちゃんに殺されるんだから、そこだけは喜んでもいいのかな。私の死によって、頑張ってる幻ちゃんの心が少しでも休まるんだから。








 なんだ、悪いことばかりじゃないんだ。






 幻ちゃんの腕がほんの少し動く。お別れ、だね。






「幻ちゃん、ありがとう」





 頑張ってね、幻ちゃん。潰れないで。





 その時幻ちゃんがくしゃりと顔を歪めた。始めてみる顔だ。苦しくて苦しくてたまらない、そんな顔。くわりと開かれた瞳から伺える表情は…

 私には分からない。ずっと一緒にいたつもりだったけど。





 幻ちゃんは目の前の「物」を壊さないで、私は息をしたまま、短い時間が流れる。





「「幻ちゃん」」





 二つの声が重なる。白蘭と、私。





 私が最後に見たのは、閉じていく幻ちゃんの目。

 私が最後に聞いたのは、






「        」





 幻ちゃんの声。





 だから、なんだかもうそれだけで十分な気がするんだ。この世界は。







 * * *






「幻ちゃん、」

「白蘭様…申し訳ありません」

「いいんだよ幻ちゃん、気にしなくて。」




 白蘭がくるくると拳銃を弄びながら言う。




「幻ちゃんさ…もし、今起こったことがぜーんぶ嘘だったら良かったのに、とかそんなこと思わない?」

「…思います。」

「へぇ…意外だな」

「俺は…」





 また、神の剣になり損ねてしまいました。




 幻騎士の言葉に、白蘭は目を細める。





「そーだね。二回目だからね」




 幻騎士は何も言わず、ただ頭を下げた。





 白蘭は言わなかった。だから幻騎士は知らない。









「本当は、それだけじゃないくせに。」

「じゃあ、どうして君は泣いたりなんかしてるんだろうね?幻ちゃん」


















 何も、知らなかった。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ