企画
□綿密な嘘
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「もうてめぇに価値なんざねぇ」
勧められるままに腰掛けた椅子の上で、俺はそう言った。
明るい部屋だった。
さわやかな柑橘系の香りのする、いつものように明るい部屋。
対する女は、カップを持つ手を驚いたように止める。
どこにそれほど驚くようなことがあるものか。情報を全て渡し終えてしまった今、自分に何の価値もないことくらい分かっていただろうに。それとも、驚いたふりをしているだけなのか。
どちらにせよ、気に食わない反応だ。このままこいつを消してしまう、と言うのも手かもしれない。ちらと机の下の右手を見やる。
…またか。
炎が、憤怒の炎が出ねぇ。
「それって、今までは私にも価値があった、って言うことですか?」
女の声に目を上げる。小首をかしげて、やはり驚いたような顔。
馬鹿な事を聞く女だ。価値もないのにこの俺がわざわざ足を運ぶとでも思っているのか?
唇を歪めて笑い、馬鹿にしたように返す。
「僅かだがな。だがそれはてめぇの価値じゃねぇ。お前の持っていた情報の、だ。」
「ふふ、じゃあそれは私の価値ですね」
「違え」
反射的に否定する。自分でもなぜか分からない。
女はふわふわと髪を揺らして頭を振った。
「違いませんよ。あの情報の価値は、私の価値の一分ですから。」
私が手に入れたんですよ、と緩い笑みを作る。
俺は否定せず、視線を動かす。
女はその先にあるものを確かめて、また微笑んだ。
「ええ、その通りです。」
女もそれを―――――部屋のかなりのスペースを使っている大きなベッドを眺めて言った。
ここは、高級娼館の一室。
この女は、『商品』。
といっても、俺がこいつの身体を買っていたというわけではない。
俺がこいつから買っていたのは、とあるファミリーの機密に関わる情報。そのファミリーのボスはこいつに熱を上げていたらしく、嫁に取ろうとしていたという話もある。
それゆえこいつからは様々な情報を買うことが出来た。一つ一つ確かで、なお且つ他では得難い情報を。
だがそれの関係も、これで終いだ。
ついさっき、この女は言った。
「あの人、死にました。」
マフィアの世界じゃ珍しいことでもなんでもない。遅かれ早かれ俺の耳にも入っただろう。
このことはつまり、これ以上この女から得られる情報は無いということを指す。
よって、俺がここへ通う理由もなくなった。
この女のどこに惹かれたと言うのか。ボンゴレの足元にさえ及ばないファミリーを統率していたあの男は。
目の前の女を眺めて、不思議に思う。
容姿も悪いというわけではないが、絶世の美女と言うわけでもない。しかもこの女は、ほんのはした金でそいつの情報を俺に売ったのだ。
そう考えると、娶ろうとまでしていたというカスが滑稽に思えてならない。
立ち上がると、引いた椅子が微かに絨毯に引っかかった。
女は引き留めなかった。
いいのか?大事な上客を、これで二人も失うってのに。この女の客は、その男と俺だけだと聞いた。袖にしていたのか、指名を受けられなかったのか。どちらにせよ、与えられたこの広い部屋も、売り上げの良い者への待遇も、全て失うことになるだろう。
数歩で部屋を横切り、ドアノブに手をかけるまでに大して時間はかからなかった。開け放つと、この館中に漂う甘ったるい香りが鼻につく。そう言えば以前女が、この妙な香が無いのはこの部屋位だと言っていた。
「あの、」
「…なんだ」
振り返らずに、取り敢えず足だけは止める。引き留められた所で、ここに来ることはもう無いだろう。
「いい加減今日こそ、ザンザスさん相手に『お水商売』するように言われてるんですけど…」
「…だから何だ」
「オーナーには、私が『お水商売』したってことにしておいてくださいね。」
オーナー、怒ると怖いんですよ。そう、ちっとも怖くなさそうに言って、女はそれ以上何も言わなかった。
話はそれだけらしい。
俺は小さく鼻を鳴らして、二度とくぐることはないであろう扉をくぐった。