永遠の自由落下


□糸口
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 私は今、ヴァリアー邸のだだっ広い廊下を山のような資料を抱えて駆け足で移動中。山のような、と言うのは誇張表現なんかじゃなくて、本気で山そのものなのだ。だってほら、重ねた書類の天辺は目のすぐ下まで伸びてる。

 …落とさないでスクアーロ様の所まで行けるだろうか。早く行かないと、今日は事務処理の後、スクアーロ様の任務に着いて行くことになっているのに。

 不安が過った矢先、山の真ん中あたりがぐらりと地滑りを起こし、あっという間もなく廊下一面紙の海。

 やってしまった。面倒くさがらないで、二回に分けて運べば良かった。それとも、手伝ってくれると言ったスクアーロ様に大人しく甘えておけばよかったのかも。いやいや、スクアーロ様に雑務を手伝わせるなんて、滅相も無さ過ぎてスクアーロ様が良くても私が良くない。

 あれこれ考えても仕方がないし、時間も無い。溜息を零す暇ももったいなくて、黙々と書類を拾っては重ねる作業に没頭し始めた。

 急ぐと逆に効率が落ちる。そんな訳で思ったよりも時間がかかったが、所詮相手は紙。粗方重ね終わって、残すは後1枚。ははは、紙ごときが人間様に叶うものか、どうだ思い知ったか!

 その最後の1枚に伸ばした手は、空中で行き場を失うことになる。あ、と手を止めた私の前で、ラスト1枚は小さくて可愛らしい手に拾い上げられた。



「マーモン様!」

「無茶な運び方してると、却って無駄が多いよ。僕の前であんまり無駄なことしてほしくないんだけど。苛々するから」

「すみません…」



 やっぱり、時間がかかっても二回に分けるべきだった。

 反省はしつつも、時間が無いので早く書類を返してもらいたい。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、マーモン様は書類を持ったままじっと動きを止めていた。

 幹部のマーモン様を急かすのは不味いよなあ。折角拾っていただいたんだし…でも早く行かないと、万が一任務の時間に差し支えたら大問題だ。

 焦りが顔に出始めた頃、漸くマーモン様が口を開いた。



「ねえ、取引しないかい?」



 少し高い声での突然の提案。何の話だろうか。幹部のマーモン様が、新米ぺーぺーの私に取引なんて。

 よく分からずに黙っていると、マーモン様はふわふわと浮かびながら近づいてきた。



「簡単なことさ。君が知りたいことを、僕が教える。その代わり君は、僕が知りたいことを教える。情報の取引さ。受けるの?受けないの?」

「…何でも教えてくださるんですか?」

「報酬によりけりだね。でもまあ、僕の計算じゃ、この取引は丁度成立する筈なんだ。どうするの?」



 マーモン様は私の目の前に浮かんで、早く答えて、暇じゃないんだ、と急かす。もう暫くだけ悩んでから、私はお願いしますと頭を下げた。

 マーモン様はへの字の口の口角を微かに上げた。



「交渉成立だね。じゃあまずは、僕の質問に答えてもらうよ」

「でも私、そんなに重要なことは何も………っ?!」



 空間に僅かな違和感を感じた。地を蹴って真横に飛び退ると、私の居た空間にはいままで無かった『モノ』が、でーんと何の違和感もなく鎮座していた。

 藍色の、メデューサの頭みたいな、それかたこの足のような。奇妙なそれはうねうねと蠢きながら周囲にその触手を伸ばしている。その謎の物体は伸びに伸びて、その先端はマーモン様のマントの中へ消えていた。



「へえ、良い勘持ってるね。勘だけじゃどうしようもないけど、無いよりは有る方がいいよ」

「マーモン様?!」

「怖がらなくて良い。ただ、君の『記憶』を見させてもらうだけだから。透視みたいなものだよ」



 うねうねが一本そろそろと伸びてきた。恐る恐る手を伸ばし、一瞬躊躇ってから、その先端に指先を這わせる。

 割れるような痛み、もしくは脳内をまさぐられるような居心地の悪い感覚。そう言うものを覚悟していた。



「ふーん…」



 マーモン様は考え深げに唸って、ほんの1,2秒で触手を引っ込めた。あれほどの体積をもったにゅるにゅるがマーモン様のマントの中に消えていくのは、本当に不思議な光景だ。ここまで来て、漸くそれが有幻覚だったことに気付いた。ヴァリアー随一と謳われるマーモン様の幻覚は、分かってなお本物以上のリアリティーをもって目の前にある。

 拍子抜けするほど何も起こらなかった『透視』に、本当に記憶を見られたのか疑いたくなった。今しがた触れられた指先を見ても特に変わった様子もなく、ぬめった感じもしない。



「何?もっとド派手な演出でも期待してたの?」

「いいえ、十分ド派手でした…でも、痛みは覚悟してました。」

「残念だったね」

「全くもって残念な要素が見当たりません」



 触手を全てマントに収め終わると、マーモン様はふわ、ともう一段高く浮かび上がり、私の肩に腰を落ち着けた。見た目以上に軽い。



「次は僕の番だ」

「私の知りたいことは、何でも教えて下さるんですよね。」

「僕は何でもいいけど。まあでも…面白いものを見せてもらったから、君が1番知りたいことを教えてあげてもいいかな。」

「…1番知りたいこと?」

「端的に言えば、職場の人間関係、ってとこかな。どう?当たってるだろ?」



 ああ、マーモン様は本当に凄い。私が聞きたかったことを一発で言い当てるなんて。

 …尊敬する上司に信頼してもらいたい、と言うのは、『職場の人間関係』に当てはまるに違いない。多分だけど。



「お願いします。それさえ分かれば、どんなにか気持ちが楽になるか」

「僕としては大した情報じゃないから、安いもんさ。」



 そう言うと、マーモン様はその小さくて可愛らしい手を私の頬に伸ばした。ひんやりとした感触がしたかと思うと、そこから走った電気ショックのような軽い痛み。



「あんまり人に聞かれたくないからね。直接頭に入れさせてもらったよ」



 瞬間的にぽわぽわと落ち着かなくなった頭を振ると、肩の上の重みが消失した。



「せいぜいその情報をもとによく考えて行動することだね。」



 マーモン様の声が遠ざかって行く。私の頭は、どうやら突然現れた知識を受け入れるのに大わらわのようだ。目を瞬かせているうちに、再び誰かが近づいてくるのを感じた。そして手の上にほんの少し質量を感じて、どっかの誰かを待たせてるんじゃないかい、というマーモン様の声。

 はっと、我に返ると、もうすでにマーモン様の姿はどこにもなく、抱えた書類の束の一番上には最後の一枚がさりげなく重ねられていた。



 …………ああああああああ!!!!!

 スクアーロ様が待ってるんだった!



 腕時計に目を走らせると、出発までにはまだ時間がある。でも、この書類の処理は帰ってからになりそうだ。

 今度こそ山を崩さないように、足早にその場を後にした。









 
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