スクアーロ短夢
□それは見解の相違による
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過ごした時間が楽しければ、その分終わった時の寂しさは大きい。
過ごした時間が苦痛ならば、それだけ終わった時に晴れやかな気持ちになれる。
そんなこと、知っていなければよかったのに。
こんなことを考えているのは、先日うっかり気付いてしまったことがあるからだ。
「明日は早朝からの任務だぁ、遅れんじゃねぇぞぉ。」
「はい。それじゃあおやすみなさい、スクアーロ様。また明日。」
「あぁ。」
最大級の笑顔を送る。
それだけ。
一日の最後には必ず、と言っていいほど繰り返されるこの会話。でも、繰り返されるのは会話だけではない。
廊下の角を曲がってしまえば、姿は見えなくなる。けれど、足音だけは暫くの間聞いていられる。こつこつと誇らしげに歩くその音を聞くのが好きだった。
でも、高い靴音が聞こえなくなるまでいつも立ち止っていたのに、どうして今まで気付かなかったのだろう?
スクアーロ様の足音はいつも、角を曲がってから高くなる。
私の前では普通に振舞っているのに、見えなくなったらすぐに。最初は理由が分からなかったけれど、何となくわかった気がする。
嫌われてるんだ。
私は、スクアーロ様と一緒にいるのが好きだ。だから、離れるとき少し悲しくなる。
スクアーロ様は、その正反対。だから、嫌われているんだと思う。
一緒に話しているときやあの角を曲がるまでの間は、絶対にそんな素振りは見せない。それは、スクアーロ様の優しさなんだろう。
でもどうせなら…足音が消えてしまうまで隠していてほしかった。
気付いてしまってからは、遠ざかる足音を聞く度に胸が苦しくなるようになった。
小さかったはずの痛みは忘れようと思う度に重なり続け、気付かない間に大きくなっていた。
だから今日は、聞こえる前に私の方からいなくなってしまおう。
「明日は任務はねぇが、俺の部屋に寄れ。近々でかいヤマがあるのは知ってるだろぉ。てめぇには計画書の修整をやってもらう。」
「はい。それじゃあおやすみなさい、スクアーロ様。また明日。」
「あぁ。」
いつもならそのまま立ち止って見送る。でも、今日はそうしない。
スクアーロ様が背を向けるとすぐに歩き出す。
私の情けないくらいへなちょこな足音がスクアーロ様の靴音にかぶさって覆い隠した。
その情けない音は、遠ざかるいつもの高い音よりもずっと私を悲しくさせた。
「思ったよりかかったじゃねぇか。」
机を借りてその場で書き上げたものを渡すと、座っていたスクアーロ様は腕をのばして受け取る。
いちいち動作に隙がなくて、同じ暗殺者として見惚れてしまう。
「すみません、一か所原資料に書き漏れがあったのに気付かなくて…作り直してました。」
「諜報の奴ら、またかぁ!」
「構成員が変わったばかりなので、まだうまく回って無いんでしょうか。」
「んなもん関係ねぇ。ったく、VARIAの自覚が足んねぇんだぁ!」
スクアーロ様が苛立ちを込めて原資料を床に叩きつける。
「きっともうすぐですよ。もう少ししたら、きっと諜報部だってしっかり動きます。」
宥めなるように言うと、スクアーロ様は信用できないというように
「どうだかなぁ」
と鼻をならした。
「よっぽど諜報部を心配なさってるんですね」
「こっちの命に関わるんだぁ、しっかり働いてもらわねぇとなぁ」
私はうんうんと頷いた。
そうしながら、風向きを敏感に察知した私の心は虚無感にも似た寂しさに襲われた。
あぁ、もうすぐ戻らないといけないのか…
スクアーロ様はまだ諜報部に対して不満があるようだったが、私がただ突っ立っていることに気付いた。
「悪かったなぁ、手間掛けさせて。もう戻ってもいいぞぉ。」
やっぱり…
「はい。失礼しました。」
昨日は、足音さえ聞かなければ苦しくはならないと思っていた。
でも、間違っていた。
かちゃん、と悲しいドアが閉まる音。でも、スクアーロ様から遠ざかるこの足音はもっと悲しい。
その時、離れかけたドアが再び開いた。
「う”ぉぉい、忘れてるぜぇ?」
振り返った途端、愛用の筆記具入れが飛んできた。
それは見とれるくらい美しい軌跡を描いて、私の手にすっぽりと収まった。まるで筆記具入れが自分の意志で私の手のまで飛んできたみたいに。
「申し訳ありません…。」
「どうしたぁ?最近調子悪いじゃねぇかぁ。」
スクアーロ様が声を掛けてくださる。
呆れられちゃったかな。でもスクアーロ様を伺うと全然そんな感じはしなくて。
だから余計になんと言えば良いのか分からなくなる。
気遣ってもらって素直に嬉しい気持ちと、何といえばいいのか迷う気持ちが責めぎあって、考えると一層分からなくなる。
肯定したら、きっと心配をかけてしまう。でもばれないように嘘をつける自信など決してない。
だから答えられずに、曖昧に頷くことしかできない。
スクアーロ様は隠そうともせずに眉を寄せた。
そして、
「そんなに俺と働きたくねぇのかぁ?」
悲しそうにも、怒っているようにも、ただ疑問に思っているだけのようにも取れる声色で尋ねた。
「えっ?!」
突然の展開に戸惑う。
どうして、そんなこと。例えスクアーロ様が私を嫌っていても、私が嫌うなんてことありえない。
私がどう否定すればいいのか迷っているうちに、スクアーロ様は再び口を開いた。
「まぁ、てめぇがどんなに嫌がっても、俺は使える部下を手放す気はねぇけどなぁ。」
今度は、悲しそうに聞こえた。
その声に、まだまとまり切っていない言葉が焦ったように飛び出した。
「そんなわけないじゃないですか!あなたの部下であることが誇りなのに、楽しくて仕方ないのに、嫌なわけ」
「無理すんなぁ。気ぃ遣ってんじゃねぇ。隠してるつもりだろうが足音聞きゃあ分かる」
足音。
その単語を聞いた瞬間、ここ最近の不安や悲しい気持ちが一気に目の前に浮かび上がってきた。
ぐらぐらと不安定な気持ちがトンと押される。
あ、崩れる…
我慢できずに下を向くと、スクアーロ様の声だけが聞こえた。
「昨日も、今日も、随分つまらなそうに帰ってただろぉ。」
「当たり前です。」
だって、あなたに嫌われているかも知れないのに、明るく離れられますか?
下向きの私の声はこもっていて、もう泣いているみたい。
「ほらなぁ。俺の前でだけ無理して笑われても困る。」
どうしてそんなに辛そうに話すんですか。
「スクアーロ様こそ!!」
ぱっと顔を上げて見上げれば、声だけでなく、目まで悲しそうな顔。
「私を気遣ってくださっているのは、本当に嬉しいんです。でも、楽しかったのが嘘だったって分かることの方がずっと辛いんです!」
「嘘ついてんのはてめぇだろぉ?」
「スクアーロ様でしょう?」
互いに瞳の奥を見ようとするように目を合わせ続けた。
きっとスクアーロ様の目の奥の色は、失望の色。
先に視線を外したのは、私。
「…スクアーロ様、さっき『足音』とおっしゃいましたよね。私も足音が無ければ、スクアーロ様が無理をなさってらっしゃるのに気付かなかったかも知れません。スクアーロ様はご自分では気付いていらっしゃらないかも知れませんが。」
「なんのことだぁ」
一瞬だけ、続けるのを躊躇った。けど。
「気付いたんです。スクアーロ様が、私と離れるときに楽しそうに帰って行くのを。」
こうやって私は、今までスクアーロ様が気遣ってくださっていたことを無茶苦茶にしてるんだな。そう分かっていても、最後の言葉を止めることが出来なかった。
「帰るときに清々する位嫌いでしたら、どうか無理して私に会わないでください。」
…言ってしまった。
「てめぇ、本当にそう思ってんのかぁ?俺がてめぇを嫌っていると?」
「はい。」
「何をどう考えたぁ?んなわけねぇだろぉ。」
「無理、なさら」
「無理してるように見えるかぁ?」
おずおずと、瞳にスクアーロ様を映しこむ。
瞳からは好戦的な光が消え、穏やかですらあった。
…だめだ、今は気持ちが弱くなって冷静な判断ができない。
「…わかりません。」
「それなら、俺の言葉を信じてもらうしかねぇなぁ。俺はてめぇとは逆の理由で嫌がられると思ってたんだぁ。」
「逆?」
「無理して明るく振舞って、見えないところで疲れてんだと思ってたぜぇ。どうやら、違ったみたいだけどなぁ。」
「無理してなんか!」
「あ”ぁ。てめぇの言ってることを信じてやる。その代わりこっちも信用してもらうぜぇ。」
私は、まだ少し迷っていた。
引っかかっていた高い足音と、目の前のスクアーロ様。
一体、どちらが…?
そんな私を見て、スクアーロ様がため息をついた。
「なぁ、そんなに足音なんかが気になるかぁ?」
小さく頷く。
「楽しい時に暗い足音立てる必要なんてねぇだろぉ」
わざわざ言うほどのもんでもねぇと思うがなぁ、とスクアーロ様は呆れたように笑った。
「でも、廊下を曲がってからで、それからで、それまでは」
こん
軽く。スクアーロ様がその先を遮るように私の頭をはたいた。決して強くなかったのに、強い衝撃を感じた。
「ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇ。そこまで説明させる気かぁ。てめぇの前でだけうきうき歩いてたら気色わりぃからに決まってんだろぉがぁ!」
うきうき…?
「そうだったんですか…」
あぁ、じゃあ、嫌いだったわけじゃないんだ…
そう思った途端、ぐらぐらの気持ちは涙腺と一緒に一気に崩れ落ちた。
「う”ぉぉぉい、何泣いてんだぁ。ここは笑う所だろぉがぁ。」
スクアーロ様が少し不機嫌そうに言う。
「私もそう思うんですけど、止まってくれないみたいです。」
止まれ、止まれと命じても、決して止まることは無かった。
「泣かせたくて言ったんじゃねぇんだがなぁ」
「嬉し涙ですよ。」
「分かってる。理解はできねぇが。」
嬉しい時は笑うもんだろぉ、と言って、スクアーロ様は笑って見せた。
その笑顔に、心がクッとしめられた。そうしたら余計に涙が止まらなくて。
涙が私の視界を歪めている間、笑顔は黙って泣き顔を見つめていた。
「また明日からも一緒に仕事しましょう」
涙が止まって、私は確認するように言った。
「当然だぁ。言ったろぉ、てめぇが嫌がっても一緒に働いてもらうってなぁ。」
「はい!一生付いていきます!」
「う”ぉぉい、語弊があるぞぉ」
「あってもかまいませんよ。」
涙と同じくらい勝手に、笑いが溢れてくる。
今、とても幸せだ。
「大丈夫かぁ?部屋まで送ってやろうかぁ」
「大丈夫ですよ、すぐそこですから。」
「そうかぁ。」
「スクアーロ様、明日は、」
「明日は任務はねぇ。」
「でも、もしよかったら、邪魔でなければ、ここにきてもいいですか」
「あ”ぁ、待っててやる」
「ありがとうございます!それじゃあおやすみなさい、スクアーロ様。また明日。」
「あぁ。」
スクアーロ様が部屋に戻るのを、今日も見届ける。
部屋を歩き回る足音が落ち着くまでそこに立っていた。
気のせいかもしれない。でも、今日はドアの向こうにいなくなる前からスクアーロ様の足音は軽かった気がした。
私は、幸せだ。
名残を惜しみながら去る私の足音は、やっぱり寂しい。
でも、もう悲しいとは思わない。
気付けて
知ることが出来て
良かった
それは見解の相違による