スクアーロ短夢

□戦場でフィロソフィア
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「帰るぞぉ。何してんだぁ?」

「ん、ちょっと哲学してた。」




 哲学をしている。窓辺に蹲るように座り込んでいる天音はそう言って、随分と熱心に眺めていた物を持ち上げる。

 やけに優雅な所作で月明かりに翳されたのは美しい革装丁の本だった。この部屋で唯一の光源に浮かび上がるそれは、美しいくせにすっかり古びている。角だけでなく表紙まで擦り切れ、恐らく金で記されていたであろうタイトルももはや読めない。ただ、美しい。




「ねぇ、万物って流転してるんだってね。水と火と空気と地でできてるんだってね。…なんかさぁ、味気ないよね。」

「そうかぁ?」





 うん、味気ない。顔を擦りながら、天音が繰り返す。既に固まっていた返り血がぽろぽろと剥がれ落ち足元に散らばる。こびり付いた血が全て床に散り終えても、天音は手を止めない。深く考え込んだ天音は既に肉体を知覚していない。

 美しい。




「そんでね、哲学って何か、スクアーロは知ってる?世界がどうやってできてて、人が何で生きてるのかを考えることが哲学なんだってさ。世界、人生の根本原理。なんで、っていう理由を考えるの。」

「…下らねぇ。考えてどうなる?その根本原理って奴を見つけて、どうする?」

「どうもしないよ。うん、確かに下らないかもしれない。ギリシア人の暇潰しに皆して加わって、馬鹿なのかもしれない。でも、」



 帰るぞ、と言ったのに。天音の目に追われながら、その隣に腰を下ろした。とうに麻痺した筈の嗅覚が一瞬だけ正常に機能し、噎せ返る様な濃い血の匂いが頭を支配する。もうだいぶ前から、ずっとそん中にいたんだがなぁ。この小さなファミリーの瀟洒な屋敷で一人目の心臓を裂いたときから、ずっと。

 眉をひそめた俺を伺うように天音が視線を寄越す。ああ、構わない、続けてくれ。手振りで伝える。



「でもさ、下らないけど、一回気になりだしたら治まんないっていうか」

「何で生きてるか、がかぁ?」

「ねぇスクアーロ、私何で生まれてきたんだろ、生きてるんだろ。」




天音はぱらぱらとページを繰りながら、さも不思議そうに呟く。世界に嫌気がさしたとか、絶望したとか、そんな感じは一切させずに。

 それはもうまるで、ガキが空の青い理由を尋ねるのとまるっきり同じように。

 天音はページを繰り続ける。

 ぱら、ぱら、

 …パタン

 音を立てて本を閉じると、天音はそれを一切躊躇わずに暗がりへ放った。下に落ちる時、びしゃりと嫌な水音がした。




「やっぱり、そうそう易しくはないか。ギリシャからずっと考え続けて、今でも職業哲学者がいるくらいなんだ。ちょちょいと悩んで分かるようなら、哲学者はみんな路頭に迷っちゃう。」

「ハン、そんな奴ら迷っときゃいい。大概、意味だとかいうもんは考えてる奴に限ってわかんねぇようになってんだぁ。」

「ふーん。じゃ、スクアーロは分かってるんだ?考えてなさそうだし」

「ったりめぇだぁ。んな分かり切ったこと、考えるまでもねぇ。」

「へーんだ、どうせ私は分かり切ったことも分からないおバカさんですよーだ」

「何拗ねてんだぁ。諦めんな、もう少しくらい粘って考えろぉ」

「さっきは『考えてる奴に限ってわかんない』って言ってたじゃん、矛盾してる。あーあー、ソクラテスの爪の垢でも煎じて飲めば?」

「いいから黙って考えてろ。お前はそこらへんの哲学者よりよっぽど答えが近くにあんだからなぁ」

「うっわー、いつにもまして上から物を言うね」




 へらへら言い返して、それっきり天音は口を閉ざしてしまった。答え、を探しているんだろう。自分が知らない事を俺が知っている、というのが相当悔しいらしい。じっと床の一点を見つめ、いや何も見ず、ひたすら思考する天音。



 暫く経って、大してかかなかった任務の汗が冷え、というより暖房も入っていない夜気のせいで体が強張ってきた。ぐっと体を伸ばして立ち上がる。

 そろそろ帰んぞぉ、と言っても全く天音の耳に入っていないようだった。まぁ、半分は煽った俺のせいかぁ、と、静物と化した天音を肩に担ぎあげる。神経が頭の方に行ってしまっているのか、今日は全く抵抗してこない。いつもこうならどんなに楽か。

 窓枠に足をかけ、割れたガラスを避けながら潜り抜け、三階分の高さから飛び下りる。ごうごうと耳元で暴れる夜風が心地よい。血の匂いは嫌いではないというだけで、決して好きな訳ではない。対峙する相手が倒れた時点で俺のお楽しみはお仕舞いだ。



 少し距離をとってから、思い出したように振り返って爆破装置を投げ込んだ。ついさっきくぐったばかりの窓へ、時限装置を解除して。直ぐ様炸裂する閃光。爆発音とともに屋敷中のガラスが気圧の変化に耐えきれず、割れた。屋敷はあっという間に炎に包まれた。ゴァァッッと言う音と熱気を背中に感じる。これで証拠は何一つ残らない。残っても問題は無いだろうが、一応だぁ。



「あ、『猿でもわかる哲学の本』燃えちゃった」

「…さっきの本かぁ?」

「うん」




 自分で投げたくせに、天音は少し残念そうに言った。背中に当たっていた天音の上体の感覚が消え、重心が動く。背筋で体を起こしたんだろう。燃え盛る屋敷でも眺めているに違いない。




「で、答えは分かったかぁ?」

「…」





 無言の天音。納得する答えが見つからなかったのだろう。

 もう、俺の答えを教えてやることにしよう。

 天音の言うとおりちっとも真面目に考えちゃいない俺の結論は、割とチープな上に果てしなく一般性も欠く。まあ笑われたら笑われたで話の種にはなるだろうという程度の軽い気持ちで、何が悪い。

 そう思って口を開いたのと、




「「あんたに会うためだ」」




 天音がハッと、照れたように確かめるように、何より至極真剣に心から言ったのが全く同時だった。

 まあ、哲学なんてそんなもんだ。



戦場でではなくした


「スクアーロ、随分自信たっぷりに言ったね…」

「本当のことだしなぁ」

「…少しは恥じらうとか無いのか、空気読め」

「俺が恥じらったら気持ちわりぃだろぉ。それに俺の分もお前が照れてっから、丁度いいくらいだろぉ」

「…さいで。」
 

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