スクアーロ短夢

□間違い
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 もう、どうにでもなれと思った。

 リングがザンザスの血を拒んだあの瞬間に、俺たちの戦いは終わっていた。それを判っていながらヴァリアー全隊員で総力戦に持ち込んだのは、もうそれしか選択肢がなかったからにすぎない。たとえあの場を武力で制圧出来ていたとしても、ザンザスは決してボンゴレのドンにはなれない。

 見果てぬ夢。

 だから今だって、ボンゴレに忠誠を試されている今だって、何も感じない、思えない。

 持ち合わせていない忠誠も見せられないが、敵対心も湧いてこない。そんな俺を、監視役のガナッシュと言う男はいつも哀れむフリをしているが、それにすら何の感情も芽生えない。




 俺は、他の幹部たちと引き離され、僻地に左遷されていた。

 世界地図の右端にある日本の、さらに端のほう。地名は覚える気が無かったので忘れたが、冬の今は酷い雪が降る地域だ。

 この地域で力を振るっている新興のヤクザを潰すと言うのが俺に課せられた任務。

 俺と、九代目の右腕であり俺の監視役でもあるガナッシュ、そして本部から来た数名の補佐たち。これがこの作戦の構成員だ。

 本来数日で終わる筈の任務だが、一応指示を出す立場の俺にやる気がないせいで、必要以上に時間を食っている。任務に出されたのは11月の頭で、今はもう12月も末だ。

 いっそ、殺せ。殺してくれ、こんな空間じゃ生きていけねえんだ、殺してくれよ。

 そんなことしか考えられないくせに、どうしてのうのうと生きているんだろうなぁ。自問自答には、当然終わりなど存在していなかった。




   *  *  *




 雪道が酷くて、迎えの車が出せないらしい。その連絡を聞いて、俺はすぐに無線を切った。

 標的を偵察するために出てきたが、収穫は零。根城が分かっていないために総攻撃がかけられないのだが、根城どころか噂も聞こえてこない。ヤクザ連中の集まりそうな場所を一通り当たってみたが、何処もはずれだった。

 迎えが来るまで待っても良かったが、俺は歩いて帰ることを選択した。今頃仮の本拠地の空きビルでは、俺が逃げるんじゃないかと連中は大慌てだろう。ざまあみろ。

 そして、すぐさま後悔した。積雪の為に、道が酷い有様だったからだ。今はぱっとしない薄曇りだが、昨日は随分激しく降ったらしい。路肩に寄せられた雪のせいですり鉢状になった車道を歩くのを諦め、細い道に入った。

 除雪のされていない道は膝下まで雪が積もっているが、よく見るとその真中には靴で踏み均された小さな道があった。シャーベット状の路面の雪よりは、幾分歩き易そうに見えた。





 何をやっているんだろうか、俺は。一体こうしていることに何の意味があるのか。この任務が終わったら、俺はどうなるのか。一生ボンゴレに飼い慣らされ、ヴァリアーに戻ることはできないのか。そもそも再びヴァリアーが立ち直ったとしても、そこに目指すべき物は存在していない。「無」しかない。

 考え飽きた議題が、案の定袋小路に入った時だった。

 細い道の向こうから、誰かが近づいてくることに気が付いた。足元に気を配っていたせいで気付くのが遅れた。

 俺と同じく俯いているそいつは、コートの裾から覗く制服のスカートから、学生だと分かった。マフラーで顔の下半分を覆い、両手はコートのポケットに突っこんでいる。大きなスポーツバッグが妙にアンバランスだ。

 そいつがふっと目をあげて、向こうもこちらに気付いた。

 この細い道で二人の人間がすれ違うことは不可能だ。かといって道を空けようにも、雪に埋もれてそんなスペースは存在していない。

 俺が足を止めた瞬間だ。そいつは何の躊躇いもなく、片足を雪の藪の中に突っ込んだ。続いてもう片方も。余りにも自然なその動作に、道を開けてくれたのだと気が付くまで少し時間がかかった。

 ショートブーツより大分高さのある雪だ。靴の中まで雪が入ったに違いない。タイツ越しに雪に触れて、足だって寒くない筈がない。

 そいつの横を通る時、冷気で赤く染まった頬が目に止まった。少し歯も鳴っていた。

 自分の白い吐息が音声を伴い、無音の銀世界に消えるのを聞いた。



「Grazie」



 そんなつもりは無かったのにだ。瞬間的に溢れだした罪悪感のなせる業であって、言った俺が一番驚いた。

 イタリア語は分からなかったのだろう。それでも彼女は何となく察したらしくニッと笑って、会釈めいたものをしてからまた均された小道に戻った。

 俺がこの道を通ることは二度と無いだろうし、したがって彼女に会うことももう無い。

 何となく名残惜しかった。柄にもなく振り返ったのは、そのせいだろう。



「…」



 でも、どうしてその時雪道に残された手袋を拾ってしまったのかは、未だに分からない。その後彼女を追いかけた理由に至っては、死ぬまで分からないだろうと思った。




   *  *  *




 黒い手袋をポケットに入れて引き返した俺だったが、悪路の為に中々持ち主に追いつくことが出来なかった。流石、地元民は速い。そのまま、結局開けた通りまで戻ってきてしまった。また別の細い通りに消えて行く大きなスポーツバックを追って排気ガスで汚らしく弛んだ雪道を渡る。

 もうすぐ追いつけそうだ。




   *  *  *



 細い通りと言うより、路地裏と言った方がいいだろう。両脇の雑ビルの陰になって、通りは薄暗い。いかにも裏世界の人間がたまっていそうな場所だ。まあ、これだけ寒くなければの話だが。

 大分近づいた背中を何と呼び止めようかと迷っているうち、彼女の更に向こう側、六つの人影に気が付いた。見た所この路地裏にお似合いのヤクザ者のようだが、今時そんな分かりやすいヤクザがいたものか。

 そう思っている俺の前で、そいつらと目の前の学生が接触した。

 何か言葉を交わしている。どうやら学生は怯えていた。

 様子がおかしい。

 段々と距離は縮んでいく。あと一歩と言う所まで来て、ヤクザの一人が俺に気付いた。

 あっと思う間もなく、間にいた学生が奴らにどつかれ、雪だまりに尻もちをつく。こちらに近づいてくる連中は、間違いなくヤクザだ。



「悪いけど、あんたにも黙っててもらうよ」



 一番近くにいた奴は、そう言うなり突然襲いかかってきた。その手には日本では持ち歩きが禁止されているサイズのジャックナイフ。あの学生もこれで脅されていたのか。

 勢いを付けて突っ込んできたそいつを半身でかわした。蹴りつけ、逆に地面に圧しつける。そいつが居なくなったおかげで、向こうの奴らが何をしているのかが分かった。



「う”ぉおい、てめぇらぁ、こんな外でヤクの取引なんざご苦労なこった」



 こいつらには本拠地と言うものが無いらしい。道理で、パチンコ屋や雑ビルには溜まっていないわけだ。

 一人目が倒されたのを見て、他のメンバーは顔色を変えた。見るからに怯えていたから逃げられるかと思ったが、都合のいいことにそいつらは俺に立ち向かう道を選んだ。

 全く、やりやすくてしょうがない。

 戦闘訓練何かとは無縁らしい奴らには、素手で十分だった。寧ろ殺さないようにするのが難しい位だ。少し痛めつけただけですぐに音を上げ、頼んでもいないのに自分たちの頭の居所を伝えてくれた。

 無線でガナッシュに連絡を入れ、逃げられる前にすぐさま突撃するよう指示を出す。

 その間にヤクザどもは逃げ出したが、敢えて追うことはしなかった。どうせ後でまとめて始末するのだ。

 乱れた足音が消えると、路地裏は一気に静まり返った。

 学生はまだ雪の上に座り込んでいて、動き出す気配がなかったが、俺の出した手を戸惑うように借りて立ち上がった。

 いや、もっと戸惑ってんのは、手を出した俺の方なんだが。

 右手の中の学生の手を見て、思わず声が漏れた。



「…あ」

「…?」

「てめぇのだと思ったんだがよぉ…」



 その手は、白い手袋に覆われていた。

 どうやら人違いだったらしい。じゃあ俺は、勘違いの為にここまで来たのか。

 げんなりとする俺に、学生はありがとうございますと頭を下げた。




「あ”?」

「助けてくれて、ありがとうございました。」

「それは偶々向こうが先に手を出してきて、それが俺の標的だったから」

「今度ちゃんとお礼に伺います!」

「あ?おう…っててめぇ、どうやって伺うつもりだぁ」

「あ…」






「おいスクアーロ、いつまで油を売っているつもりだ」



 聞きたくない声が背後から聞こえ、振り向く。黒塗りの車から渋い顔のガナッシュが下りてくる所だった。

 忌々しそうに雪道に降り立ったガナッシュは後ろの学生に目を止めると、更に表情を曇らせた。



「…スクアーロ、お前、自分の立場が分かっているのか。見下げ果てたぞ」

「…は?」

「いくらから不自由な生活だからといって、学生に手を出す奴があるか。」

「…はぁああっっ!!!???」



 呆れた。何をどう見たら、俺がこいつに手を出しているように見えるのか。…見えるかもしれない。



「違いますよ、この人は助けてくれたんです。」

「…君、スクアーロの知り合いかい」

「さっき知り合いました。」

「そうか、じゃあもう関わらない方がいい。」



 スクアーロ、早く来い。標的に逃げられるぞ。

 それだけ言って、ガナッシュはさっさと車に戻って行った。



「…じゃあなぁ」

「スクアーロさんって言うんですね」

「あ”あ」

「きっと、きっとお礼に行きますから」

「…いいかぁ、今度俺に会っても、知らないフリをしろぉ」



 一般人がマフィアに関わっても、ろくなことが無い。見知らぬ人間の為にすぐさま道を空けるようなあいつなら、なおさらだ。裏世界とは掠るような接触もない方が良い。

 護送車みてぇな車の後部座席に入りこんだ時、学生の声が聞こえた。



「天音です!私、天音って言います!!」



 その後も何か言っていたようだったが、ドアの閉まる音にかき消されてそれしか聞きとることは出来なかった。

 天音。今度こそ、二度と会うこともない。







 その後先程聞き出したヤクザの親玉の居場所へ着いた俺たちは、何の苦もなく一瞬でその場を制圧し、駆逐した。

 任務を終え、俺とガナッシュは後始末を補佐たちに任せ、すぐさまイタリアのボンゴレ本部へ飛んだ。






 それ以来、俺はあの街へ行っていない。

 向こうはもう忘れているだろうが、どうしてか俺は、今でも天音の名を覚えている。

 それから数カ月でヴァリアーは活動を再開し、シモンファミリー騒動だの何だのが発生するうちに部隊の権威も回復してきた。



「おい、カス」

「誰がカスだぁあ!!!」

「じゃあ返事すんなよカス鮫が」



 こんな具合に、ザンザスも殆ど通常運行。



「本部から、てめえの部隊に異動があった」

「そうかぁ、やっと補充が来たかぁ……っ!」



 嘘だ。ありえない。

 何しろここはイタリアで、しかも暗殺部隊の最奥部で、だから日本の一般人が入りこめる筈もないのに、



「お久しぶりです、スクアーロさん」

「…」

「成り行きで、道を踏み外しちゃって」

「…ふざけんな」



 きっと俺はあの日、こいつに惹かれたんだと思う。あのままの人間で、ずっと生きていてほしいと、あの時思ったらしかった。

 そうでなければ、どうして悲しいなどと思うものか。

 雪道で出会った天音は、もうこの世界のどこにもいない。喪失感、と言ってもいい。



「でも本当は、生まれた時から踏み外していたみたいなんですけどね」

「…は?」

「スクアーロさんのおかげで、あの一家から抜けられて…お陰でまた、こうやってスクアーロさんに会えた」

「…」

「私、これからの人生、スクアーロさんに恩返ししながらヴァリアーで生きていくつもりなんです」



 にこり、と天音。言われたって、それがマフィアだなんてちっとも思えない

 ああ、なんだ、そうか。最初から間違っていたのか。不意にすとん、と腑に落ちて、そうなってしまえば呆気無い位筋が通っていて。

 天音が裏世界にいることも、ザンザスがドン・ボンゴレになれないことも、俺がそれをどうにもできないことも、全部全部最初っから最後まで間違いっぱなしだ。

 じゃあ、もうそれでいいんじゃねえか。

 間違ってんなら間違っているなりに、ザンザスがヴァリアートップで、天音がヴァリアーで、俺がこいつらと同じ空間にいて、それでいいんじゃねえか。



「う”ぉおい、本当だなぁ?」

「嘘はつきませんよ。」



 正直なのが取り柄なので。そう言って笑うお前と俺が一緒にいるっていう小さな間違い位、どうってことないだろう?

 なんて暗部らしい結末だ。それも悪くねえよ。

 俺たちはまた、間違いを積み上げていく。

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