スクアーロ短夢

□ビスケット理論
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 ここにXという名の少女がいたと仮定する。

 彼女は、Xはしばしば死を思う。その際真っ先に脳裏をめぐるのは自身の死因でも、遺された人々でも、当然死後や来世の事でもない。それら全て、メインテーマである死に纏わる全ての代わりに、彼女は何の変哲もないただのビスケットについて考える。表面が赤くて裏の灰色い厚紙の箱の中、個別包装の透明ビニルに覆われたビスケット。包装に延々無個性に印刷された英字(恐らくは商品名であろう)の下に、チョコレートもシロップも、飾り気も可愛げもなく収まる大量生産品。X自身とは大して面識のない誰かがXの葬式でその箱を受け取る。その誰かは箱を家に持ち帰り、Xにとっては存在するかすら分からない子供たちに無感動に摂取される、ビスケット。残された箱が収納するのはもはや窒素、酸素、微量の気体、幾ばくかの塵芥だけ。解体された箱がゴミ箱に落とされる様を目の前の現実よりよっぽどリアルに想像し終える所まで来ると、Xは命題を忘れる。そして次に死を思う時までにビスケットを思うことは決してない。だって、ビスケットは人生の末路で、不可視で、吃驚するほどありふれている。

 ところで、このXには「範囲」と言うものが与えられていない。言いかえると、このXは、どんなXでもあり得る、可能性がある。Xは私かもしれないし、君かも知れないし、その両方かもしれない。もしかすると範囲など端から存在せず、虚数解だけ抱えたXと言う少女はこの世界に存在しない、そう言う可能性すらあるのだ!

 いや、訂正しよう。Xは、存在する。何故なら、少なくともXは私でありうる。「X=私」の恒等式、Xは私だ。しかし同時にXは君でもあり得る。だって、私は君がXで無いことを示せない。Xなどではなかったと、証明できない。



「ゆえに、ここで君がXである、と言う可能性が生まれた訳だ。君がXであると仮定すると、君の死もビスケットの空き箱みたい(にありふれている)ってことになるけど、ねえ、私はそんなの嫌だから、今から全部覆したいと思うんだ。でも私にはきっと出来ないから、代わりに君が証明してはくれないか。」



「…ああそうか、君は、数学や論理が大嫌いだ。じゃあ、証明要らないから、一つ反例を上げてほしいんだ。とてもスマートだと思わないか?この長ったらしく使い古された証明を君が覆すのには、たった一つ反証があるだけでいいんだ。例えば、今すぐ抱きしめてくれるとか、怒鳴り付けるだとか、何でもいいんだ。だから、頼むから、もう二度と面倒な論争も吹っ掛けないし言い負かしたりしないから、どうか、」



この矛盾だらけのロジックを論破してくれないか?


 水没した校舎中に存在を散りばめてしまったにも関わらずまだ帰ってこない君をYとして、Yと死を結ぶビスケットの空き箱並みに味気ない等号をXは、多分、覆せない。



 

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