スクアーロ短夢

□不死鳥のカタルシス
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「なんてお手軽なカタルシスだろう」



 一人ごちた声に返答は無い。当然だ、この部屋には私しかいなくて、その私が答えないのだから。それが「ごちる」という動作の最大の欠点だ。相当量の幸福を持ち合わせていないと虚しくなる。

 私が泣いているのは、別に虚しくて泣いている訳ではない。単に…自己嫌悪、不安、嫉妬、その他諸々の負の感情の手綱を手放しただけであって、却って充実している位だ。負の充実。また一人ごちて、溢れる感情に虚しさをプラス。そして、「虚しい」と言う感情が「無」とはまた別の代物だと言うことを悟る。虚しさは、他の感情を消し去りも押し退けもしない。上に積み重なるだけだ。

 冷静に分析しながら、後から後から溢れる涙は止まらない。理性的な思考は感情を抑えると誰かが研究したらしいけど、これは私には当てはまらない。

 だって、私は私を心得ている。ヴァリアーで一番心が弱く、脆いことを知っている。どれ程呆気なく傷つくのか理解しているし、その境界も知っている。但し、その心は不死鳥の如く。安易に燃え尽き、熱を失うが、その復活もまた安易である。そこまで理解しているから、冷静な私は時折自分の手で無防備な心臓を切りつける。だって、復活こそが私にとっての回復。

 涙腺と思考が関係なく働いている訳ではない。寧ろ理性と感情の間の結びつきは強すぎるくらい。結びつきながら、独立している。だから、こんなにクリアーな思考をしている今でも、毛布の中で蹲って滂沱する私の感情は今確かに崩壊寸前だ。



 の”っ



 奇怪な音を立て、ベッドが軋む。私を支えるマットレスに傾斜が付き、重力に従い微かに転がる私の身体。

 もう帰って来たのか。思ったよりも、というより予定時刻より随分と早い。なんて考えていると、温度を伴った重みが私を押しつぶす。勿論向こうも本気で潰しに来ている訳じゃないから重いと言う感じではない。風の強い日に紙押さえを置いてもらった書類のように、と言えば伝わるだろうか?私のよりも随分と長い腕が毛布越しに私の頭を抱え込み、降ってきたのは呆れた様な声。



「何やってんだぁ」



 そんな、呆れきった声でも愛しいよ、なんちって。まあ、強ち嘘でもない。とかは本人が調子に乗るから言わない。

 丸まった私を包む毛布。その上からさらに私を抱え込むスクアーロ、と言う三層構造は外から見れば相当おかしな光景に違いない。人に見られたら馬鹿にされるだろう、主にスクアーロが。そう思うとなんだか無性に笑いたくなって、でもスクアーロに返事を返したくて、迷っているうちに笑いが堪え切れなくなり、腹筋が震えだす。くつくつと漏れる振動に、ぴたりと張り付いていたスクアーロもすぐに気付いた。

 毛布の端を身体の下に押し込んで、防御態勢は完璧だった。はずなのに、呆気なく乖離する私と私の防御膜。毛布を引き抜かれた勢いでごろんと転がり、そのままベッドに大の字。熱の籠っていない空気が清々しい。天上の模様を見るのなんかいつ以来だ。



「う”ぉおい、」



 声のした方へ首だけ向けると、毛布を手にしたままマットレスに膝を沈めるスクアーロ。切れ長の三白眼を目一杯見開いた様が新鮮で、一瞬その原因が自分だという事実を忘れる。

 スクアーロが帰って来たと認識した時から涙は止まっていたけど、当然腫れた目蓋だとか濡れたほっぺだとかがそう早く元通りになる訳もない。加えてさっきの笑いは、何も知らないスクアーロからすれば嗚咽の震えに思えただろう。

 するりと毛布を落としたスクアーロの右手が伸びてくるのを、片手で制す。不審そうに首を傾げたスクアーロは、一拍遅れてあ”ぁ、と唸る。



「今日、見たんだなぁ」



 質問ではない、確認だ。素直に頷くと、スクアーロは上げた右手を自分の後頭部へ回す。困ったようにぐしゃぐしゃにするもんだから、ああ、綺麗な銀髪が絡まってしまう。



「任務だぁ」
「知ってるよ、昨日スクアーロが教えてくれたんじゃない」
「なぁ、嫌なのは分かるが、」
「うん、知ってる」



 じゃあ、なんでわざわざ見に来たんだ。尋ねるスクアーロの口調に、また微かに呆れが混じる。何故傷つくと分かってた上で任務中の俺が、他の女に媚を売る所をわざわざ見に来た。俺だってんなもん見せたか無かった。なんでそこに、一番見せたくないと思ってるお前が来たんだ。段々と責めるような口調へと変わっていくそれは、誇り云々を語る男と言うより、拗ねていじける少年に近い。少年だってさ。もうとうに二十歳を超えてるってのに、可愛いとか言ったら怒られるかな。



「しょうがなかったんだよ、予定されてた補助の隊員が前の任務で怪我して、急に行けなくなったから。」
「じゃあ、別の隊員派遣すりゃあよかったじゃねえかぁ」
「ヴァリアーのごくごく少ない休息時間に突発的に入ってきた任務の辛さはよく知ってるもん、頼めないよ」
「だからって自分で行こうと思い立ったてめえが信じらんねえよ。」
「私なら、スクアーロの補助だって思えば少しは任務に対する嫌気が薄れるじゃない」
「…他の任務ならなぁ」



 不服そうに口を引き絞ったスクアーロの右手が、もう一度伸びる。頬に伸びたそれを、今度は止めなかった。でも、抱き寄せようとした左手は払いのけた。



「はいはい、わかったわかった。いいから、シャワーしてきてよ」
「はぁ?…あ”ぁ、別に、何もしてねぇぞぉ。」



 心外だと言うように語気を強めるスクアーロを、はいはいといなす。そりゃあ、こんなかっこいいんだもん、スクアーロならちょっとした駆け引きだけで大抵の人から情報を引き出せる。本人はその類の神経を使う、そのうえ自由に暴れられない類の任務は毛嫌いしてるけど、いかんせん彼以上に適任な人物は少ない。私としてはそれが複雑で、まあ他の人を抱いたりだのなんだのしなくて済んでるのはいいことだよねと言い聞かせてみる。

 ただ、仕方ないと割り切ることと、それを嫌がらないことは全くの別問題であって。



「嫌だもん、知らない人の香水の匂いとかしたら。」



 お揃いのシャンプーの匂い以外認めない!と宣言したら、じゃあ長期任務帰りはどうなんだと苦笑しながら、スクアーロはシャワールームに消えて行った。返り血だらけで帰る時の方が元気に見えるなんて、つくづくスクアーロの本性は人斬りだ。そのスクアーロが私の下らない要求を飲んでくれるのもまた彼の本性によるもので、根は優しい人だと言うことを私は知っている。ただ、それを滅多に出さないだけだ。(これも、本人に言ったら間違いなく否定される)

 くぐもった水音を聞きながら、そんな人に大切にしてもらう自分がいかに幸福なのかを噛み締める。さっきまでぐすぐすに燻っていた心内環境は、もうほとんど再生している。

 カタルシス。泣いた後特有の爽快感、心地よい空白。さながら不死鳥のように。こんなに満ち足りた空っぽ感、一緒に埋めてくれるスクアーロがいなくちゃ存在し得ない。

 さあさあ、泣き腫らした生まれたての不死鳥が通ります。呼び戻してくれた主に報いるのには、混じりけないの笑顔とハグで足りるかしら?キスでも足りなければ、何をあげよう?



「ねえ、何が良い??」



 お礼には?って大急ぎで上がってきた君が超人的な速さで髪まで乾かしたのを見計らって飛びついたら、「まあ、お前で勘弁しといてやる」だって。すっかり不機嫌モードから脱したスクアーロ、さりげなく腰に手まで回して、ちゃっかりしてんなぁ。



「残念でした、寄贈済みでーす」
「そりゃあ、気が付かなかったぜぇ」
「気付かない上でのこの態度なら、そのうち誰かに訴えられるよ。」
「問題ねえよ。天音が俺を訴えられる訳ねえからなぁ」
「えへっ」
「何で照れた」
「遠回しな『俺にはお前しかいない』的愛の告白ありがとう私にもスクアーロしかいないよ!!」
「なあ゛っ!?そう言う意味じゃねええ゛!!」
「何で照れた」
「照れてねえええ゛!!!!」



 なんて、下らないようで欠かせない会話が相当量の「幸福」ってのを供給してくれるので、今日も私は元気に「幸せー」って一人ごちるのです。





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