薄桜鬼長編
□肆ノ巻
1ページ/3ページ
その日の夕方から、屯所は急に騒がしくなった。
そして日が沈んだ頃になると、さらに屯所の中は騒がしくなる。
「さ――じゃなかった、光太郎君!」
廊下を走っていると、千鶴に呼び止められる。
「何かあったの?何だかみんな、ばたばたしてるけど……。長州の間者って人から、何か情報でも聞き出せたとか?」
そう……今日巡察に出ていた総司が長州の間者せある古高を捕まえてきて、夕方から屯所中がばたばたとしていた。
……本当はもう少し泳がせておきたかったんだろうけど、ね……。捕まえてしまったものはしょうがない。それならそれで、動くまでだ。
「あぁ……今夜、長州の奴らが会合するらしい。で、俺達は討ち入り準備中ってわけ。騒がしくてごめんな」
「いや、それは大丈夫なんだけど……」
新選組は二つの隊に分かれて、別方向から町中を探索する。池田屋に向かうのは近藤さん達、十一人。四国屋に向かうのは土方さん達、二十四人。
「土方さん達の行く四国屋が当たりっぽいよ。……俺は逆方向だから、ちょっと残念だ」
土方さん達の向かう方向が本命っぽいから、そっちの班の人数を多くしたのだ。
……ちっ、あたしも不逞浪士達を捕まえたかったぜ。
「……動ける隊士は、三十人ちょっとなんだ……」
討ち入りに行くとはいえ、新選組の状態は万全とはいえない。
季節や気温やその他諸々のせいで、ここ最近病人が多いのだ。討ち入りに割ける人数も決して多くはない。
はぁ、とあたしがため息を吐くと、千鶴はますます不安そうな表情を浮かべた。
「会津藩や所司代にも連絡入れたんだけど、動いてくれる気配無いんだよなぁ……」
「……大変なんだね」
もっと隊士が揃っていて、他の連中も動いてくれればもっと事は楽に進むだろうに……。
まぁ何にせよ――。
「……長い夜になりそうだ」
――戌の刻。
あたし達は、池田屋に到着した。
周辺を走り回った平隊士が池田屋の前に来て、あたしが報告を受けていた時――。
「……こっちが当たりか。まさか長州藩邸のすぐ裏で会合とはなぁ」
「僕は最初からこっちだと思ってたけど。奴らは今までも、頻繁に池田屋を使ったし」
「だからって古高が捕まった晩に、わざわざ普段と同じ場所で集まるか?普通は場所を変えるだろ?常識的に考えて」
「じゃあ、奴らには常識が無かったんだね。実際こうして池田屋で会合してるわけだし?」
新八っつぁんと総司は、世間話のような軽い口調で話していた。やっぱりこの二人も緊張はしていないみたいだ。
……しかし、まさか池田屋とは……ね……。長州の連中にも、多少は頭の回る奴がいるってことか。
あたしが報告を受け終わったのに気づいて、平助が駆け寄って来る。
「どうだ?」
「ん……会津藩も所司代も、まだ動いてないらしい。この辺りには、だ〜れもいないってさ」
あたしが返答すると、平助は顔を歪めて舌打ちした。
「日暮れ頃にはとっくに連絡してたってのに、何やってんだよ……」
「落ち着けよ、平助」
新八っつぁんは、少しの焦りも見せずに笑った。
「あんな奴ら役に立たねぇんだから、来ても来なくても一緒だろ?」
「そうそう。むしろ俺達の足を引っ張るかもしれないし、暗闇で不逞浪士と間違って斬っちまってもあとあと面倒だ」
「……だけどさ、新ぱっつぁん、光太郎。オレらだけで突入とか無謀だと思わねーの?」
「ま、そりゃそうなんだが……何にせよ、俺らに出来ることをするだけだ」
結局、あたし達は援軍を待つことになった。
――だがいくら待っても、役人達は現れなかった。
――亥の刻。
ふと、あたしが空を見上げると、池田屋に着いた頃より随分と月も傾いている。
「……さすがに、これはちょっと遅すぎるな」
「近藤さん、どうします?これでみすみす逃しちゃったら無様ですよ?」
それまでずっと沈黙を守り続けていた局長は、不意に立ち上がった。
そして――近藤さんは池田屋に踏み入った。
「会津中将お預かり浪士隊、新選組。――詮議のため、宿内を改める!」
高らかな宣言に、小さな悲鳴が続いた。
「わざわざ大声で討ち入りを知らせちゃうとか、すごく近藤さんらしいよね」
総司が声を弾ませて続く。
「いいんじゃねぇの?……正々堂々名乗りを上げる。それが、討ち入りの定石ってもんだ」
新八っつぁんの声色からも、わくわくしているのが伝わってくる。
「自分をわざわざ不利な状況に追い込むのが、新ぱっつぁんの言う定石?」
そう言う平助の声も軽い。彼もみんなと同じ気持ちのようだ。
「あはは!上等上等!要するに、勝ちゃいいんだよ!」
あたしも彼らに続いて楽しげに笑みを浮かべた。
不謹慎なのは分かっているけど……少なくとも新選組幹部で、自分の力を実戦で試せることに心踊らない奴なんていないよ!!
「御用改めである!手向かいすれば、容赦なく斬り捨てる!」
.