急がば回れ。…回りたくない時もある。
□朝焼け流れ星
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「ねぇ、結婚しようよ」
は。空気に似たスカスカの声が口から漏れた。
それは冷たい外の気温にさらされて白い水蒸気になって。そして空へと消えていった。
飛んでいった俺の言葉は散り散りになりながら昇っていって、昇っていって、ドイツの空の一番星になる。
「なに言ってんだよ」
もう日も暮れ始めていた。
今日のベルリンは季節に違わず寒々としていて、それに身を震わせた春海がコートの袖に腕を引っ込める。
少しばかり見える指先は、相変わらず手荒れてポロポロで、冷えて、真っ赤になっていた。
「結婚だよ、結婚」
随分古くなった庭のベンチに座りながら、春海はまた言った。
何回言うんだよ、それ。
俺が数百年前ギリシャの真似をして作った、堅い石ベンチはだいぶ年期が入っていて。
ベンチと言うか、俺様が作った遺跡みたいなモンだった。
石でできたそれは冬になれば当然、体を芯まで冷やすほど冷たくなるのに。
今日の彼女もそこに座っていた。
飽きない奴だぜ。ホント。
「ばっかじゃねーの」
俺様はそのベンチには座らず、ただ春海の斜め前で突っ立っている。
座った春海の表情は見えないし、彼女の体はやっぱりちっせえ。
俺の声を聞いた春海がやっと顔を上げた。ブルーの瞳が俺を見る。
そしてそれから、いつもと変わらないへにゃりとした笑い顔で空を見上げた。
「夜が来るね」
夏の真っ昼間、雲一つないない青空みたいな目が、一番星を見る。俺様がなにも知らないみたいに言うが、そんなの、お前が生まれる前から知ってる。
春海が冬の朝日の様だと言った俺の目も、彼女に続いてそれを追った。
夜は私たちみたいな色をしているよね。
いつの日か、確か俺がまだメープルの美味さを知らなかった日に春海が言った言葉だ。
どうしてか聞けば、夜はいつだって同じ色だからだと。昼の青さと、朝や夕方の朱色を混ぜたような、深い深い紫色。
永遠に変わらない。
「今夜は晴れそうだね」
嬉しそうな声が言う。
そしてまた、昼の空が俺を見た。晴れがなんでそんなに嬉しいのか、さっぱりわからない。
「今日はクリスマスだよ、ギルベルト」
「知ってるよ」
それこそ、お前が生まれる前から。
お前とクリスマスを過ごすのは何回目だろうか。最初こそ数えていた筈なのに、今じゃそれもしていない。
「じゃあ付き合ってよ」
「意味わかんねーよ、ばか」
俺の後ろで、だいぶ大きくなったヤドリギが笑った。
風が、強くなってきた。